休みなく刻々と過ぎ去る時の流れの中で生きてくこと、その時が流れる音もなく一瞬を体験することが、即、時の経過となって、自身の成長する為の、大きな要因になってくれています。

人生とは人それぞれがもっている宿命であると思いますので、如何にもって生まれた時間を素直に受けいれて過ごすかで、人生観が変わってきたり歩む歩幅までが決まってくると思われます。

1945年9月15日の生誕ですと、年数で63年間、月数で756ヶ月、日数で22995日、時間数で551880時間と言う計数に変化するのですが、時間はともかく日数で数えると、数え切れないほどたくさんの、22995日を息をしてきたことになるとは、ちょっとばかり驚きの感があります。

3年前に還暦を迎えて、仲のいい友人が集まり、仲間内のささやかなお祝いをしてくれて、初めて人生60年間の重みを味わうことができたのですが、それからの3年間はあっという間の時間経過でした。

この3年間は自身の経験でも初めての大きな行事を体験したり、真の知り合いを亡くしたり、新しい知り合いが沢山出来たりして、まさしく第二の人生に相応しい、沢山の感動と喜びを味わうことができています。

当然のことですが、63年間の過去には沢山の喜怒哀楽がありまして、そのつど大きな学びごとを経験することができたのですが、還暦を迎えてからの苦悩は人生経験で初めての難儀なこととなり、一山二山を越えて一歩一歩前進の日々となり、まさしく修験者の様を呈しています。

人とは同じ時間の数字内では、計り知れない体験と学びが出来ているのですが、みんなの年齢が、イコールで人生を表現していないことを実感しています。

年齢の割りに若いですねと言われますが、その分苦労の経験が未体験である証拠であり、まだまだ命を大切に生きてこそ、苦悩を味わう必用があることが命題だと思い、まだ学びごとをしなさいと、まさしく実証されているのだと思います。

その結果として肉体的な若さを保って、叱咤激励の励みに耐えることが許されているのが、人生の宿命だと自己理解をしているところです。

苦悩とは苦しみ悩むことの中に、自身に与えられた時間の中で、社会に向けて遣らねばならない役割があることだと思いますし、目の前の役割を果たす過程のなかから、喜びや幸せを味わうことができる、人生のプログラムが組み込まれているように思っています。

たくさんの遣るべきこととは、安易に出来るものや、難しく困難な物事でもあるのですが、未体験の勉強をする必要は、それだけでも多くの方との出会いと学びとりが体験できる悦びにもなると思うのです。

固定された自身の環境でなく、常に新鮮な交流ができる場をもって、未体験の場と人との出会いに積極的に参加していくことが、自らの宿命を豊かに大きくさせていくことになるのでしょう。

年齢だけに固守した既成の生きかたでなく、柔軟な思考をもって世の中に存在できる役目をもって、時間の積み増しができれば良いのですが、これからの人生では無駄を少なく効率を意識しなければいけません。

人生100年を目指して、まだまだ修験者として満願は先のことになりますが、苦悩を喜びに変えること、人を万遍に隔たり無く交流できることを目指すことが大きな指針として、自身の課題として有り難く受止めていこうと思っています。

人生100年とは、残り37年間、13505日のカウントダウンが始まった
こととイコールです、喜愛と気合を程よく心配りをして生かさせてもらいたいものです。