そばにいてくれるだけで好いという言葉は、一世を風靡したうたの歌詞にありますが、家族や身内は勿論のことですが、素敵な仲間こそ何時もそばにいてくれる人であって欲しいものです。

以心伝心できる仲間がいてくれればなんでも相談でき、辛苦を分かち合えるのですが、現実社会の中にはとことん身の上話ができる人がいるかと訊かれると、簡単にYesとはこたえることができない現状があります。

心が通じ合える仲間として阿吽の呼吸で交流ができること、簡単なようでなかなか難しいものなのですが、以心伝心以上の適語として、心の分かち合いが出来る言葉が拈華微笑(ねんげみしょう)であるように思えています。

以心伝心は自分から何かをして欲しい場合に、願いを叶えてくれたときの適語として好いと思うのですが、お互いの阿吽の心の伝播には拈華微笑の言葉が、よりぴったりと納得がされる気がしています。

拈華微笑の言葉はつい最近知った言葉ですが、日々生活の中で上手く心してみたいものですが、いつも慌ただしく常に動き回る世の中には、人を思い遣る心が欠けやすく、とかく自身の狭い範囲での我欲だけに、しがみつきたい心理が有り有りです。

いずれにしても、人様への思い遣りの心の余裕が無いと、利己的な判断になりがちですが、年齢とともに思い遣れる心の清さと、心の豊かさの余裕を備えあって持ちたいものと念じます。

今朝になって電話で連絡をくれたのですが、風の便りで耳にしていた保険のクライアントさんと、チームの年長者との会談が昨晩あったそうで、アドバイスが生かされて良い結果が得られたと、心底喜んで貰えました。

クライアントの一人として、サークルの仲間としては付かず離れずの交流ができていましたが、仲間としての分け隔てをすることなく、自身が善いとして判断をしたことを問われては、思っている良識を直言をさせて貰い、自分なりの公平なアドバイスをさせてもらいました。

偏った利己的な判断でなく、総合かつ建設的な意見表明は、発信する側も受ける側も常に虚心坦懐にしていれば、分け隔てなく仲間の交流の中で生かせるものです。

おそらくは、昨晩に集まった長老達も同じような意識でもって、サークルを公平に見ての判断がされて、その結果がサークルにとっても、最善の判断がされたことだと思っています。

サークルの仲間達としては、一人ひとりの心の中では拈華微笑がされて、衒いとかエゴがあって、なかなか本来の素直な表現がされていなかったのだと信じます。

少しでも心の発信度を深めて、一人でも多くの方々との拈華微笑を実現させてみたいものですし、これが信頼に繋がればと思うのですが、信頼があってこその拈華微笑であれば、それこそ切磋琢磨の信頼をしあえる仲間創りを優先させなければなりません。

保険のクライアントさんがいみじくも伝えてくれた、あなたが仲間からの信用があるから、安心して相談に乗ってもらえると言われて、改めて自戒をしながら信用の積み増しを心掛け、先ずは人様から信頼されるようにと念じたいものです。

家族を思い遣ることで人様にも思い遣りの心が芽生え、人様を思い遣ることが自分に信用が付き信頼される
結果となって、感性を豊かにさせながら、沢山の人の拈華微笑を感じ取りたいものです。