一日経ってこれほど気温差があると身体の新陳代謝の作用が上手くいかなく、発汗で身体中にべとべと感が不快感で一杯にしていたのですが、今朝は寒さで目覚めるほどで、温度計を覗いて見れば約10度も下回っていました。
特に昨日は大雨が降ったうえに、曇天のためにこれほど気温が下がってしまったのでしょうが、半ズボンでは肌寒く、座って書類に目を通していると寒くなってしまい、一枚余計に羽織たいほどです。
曇天の外はお盆休みと日曜が重なった為か、人も車も姿が見えなく静かな街並みになって、昨日までの雑踏からすると、タイムスリップした違和感を味わっています。
これで季節が夏から秋に一気に切り替わっていくのでしょうし、暫し不安定なお天気から紺碧の秋空が間もなく天空一杯に広がることを期待してしまいます。
家族が集っている居間で北京オリンピックの中継を観ていたのですが、女子マラソンではあれだけ高温多湿の悪条件が懸念されていた暑そうな北京が、ヤッパリ曇天で小雨がふるなか競技が行なわれ、水泳や卓球では会場の応援の熱さに魅入ってしまいました。
競技の中だけで自国の応援に一喜一憂する会場の雰囲気は、平和の祭典そのもので、どこで国家紛争が起きえるのかが理解できないくらいですし、スポーツや文化を通した国際交流が世界中の主流になってほしいものです。
国家のスポーツ選手を代表するアスリート達が、国旗掲揚を目指して夢中で競技をおこなっている姿には、手に汗を握って応援をしてしまうのですが、純粋なスポーツをルールに従がって闘う場面に感動を覚えてしまいます。
勝者が肩にかける国旗の鮮やかさが感じられますし、会場からの大きな歓声と拍手の坩堝になる表彰台での晴れやかさは、勝者だけが知りえる最高の喜びなのだと思います。
此の世からエゴとイデオロギーがなくなれば、どれほど幸せな世界が広がって、笑顔で交流が出来るかを思慮するのですが、政治家のもつ特殊な感覚が不思議なほど分かりづらい現実があります。
北京オリンピックの素晴らしい開会式には、多くの国家主席や王族が参列して自国を応援していましたが、そのままの素直な感動する心を、政治に生かせてくれれば、醜い国家間の紛争だけは無くすことが出来るのだと信じています。
限界の練習を積んだアスリートは、自身が持つ肉体と技の限界を武器に極限の競技に、勝敗は別にした自己陶酔がありそうですし、そこから新たな闘争心が芽生える厳しい社会を垣間見ることができます。
甲子園でも高校野球も最後の闘いが行なわれていますが、スポーツマンは毎日厳しい自己管理と技の磨きをした正選手と、一歩及ばない補欠の選手がたくさん居る事実は、民主主義の基本を知る良い機会と思いますし、競技の結果が全ての人生でないことも弁えて、良き経験を人生に生かすことに尽力をしてもらいたいものです。
好適選手の素敵な技に拍手をできる余裕と、学べる謙虚さをもって自己鍛錬ができることは、スポーツ社会だけで無い、自己心にも応用が出来るのです。
特に昨日は大雨が降ったうえに、曇天のためにこれほど気温が下がってしまったのでしょうが、半ズボンでは肌寒く、座って書類に目を通していると寒くなってしまい、一枚余計に羽織たいほどです。
曇天の外はお盆休みと日曜が重なった為か、人も車も姿が見えなく静かな街並みになって、昨日までの雑踏からすると、タイムスリップした違和感を味わっています。
これで季節が夏から秋に一気に切り替わっていくのでしょうし、暫し不安定なお天気から紺碧の秋空が間もなく天空一杯に広がることを期待してしまいます。
家族が集っている居間で北京オリンピックの中継を観ていたのですが、女子マラソンではあれだけ高温多湿の悪条件が懸念されていた暑そうな北京が、ヤッパリ曇天で小雨がふるなか競技が行なわれ、水泳や卓球では会場の応援の熱さに魅入ってしまいました。
競技の中だけで自国の応援に一喜一憂する会場の雰囲気は、平和の祭典そのもので、どこで国家紛争が起きえるのかが理解できないくらいですし、スポーツや文化を通した国際交流が世界中の主流になってほしいものです。
国家のスポーツ選手を代表するアスリート達が、国旗掲揚を目指して夢中で競技をおこなっている姿には、手に汗を握って応援をしてしまうのですが、純粋なスポーツをルールに従がって闘う場面に感動を覚えてしまいます。
勝者が肩にかける国旗の鮮やかさが感じられますし、会場からの大きな歓声と拍手の坩堝になる表彰台での晴れやかさは、勝者だけが知りえる最高の喜びなのだと思います。
此の世からエゴとイデオロギーがなくなれば、どれほど幸せな世界が広がって、笑顔で交流が出来るかを思慮するのですが、政治家のもつ特殊な感覚が不思議なほど分かりづらい現実があります。
北京オリンピックの素晴らしい開会式には、多くの国家主席や王族が参列して自国を応援していましたが、そのままの素直な感動する心を、政治に生かせてくれれば、醜い国家間の紛争だけは無くすことが出来るのだと信じています。
限界の練習を積んだアスリートは、自身が持つ肉体と技の限界を武器に極限の競技に、勝敗は別にした自己陶酔がありそうですし、そこから新たな闘争心が芽生える厳しい社会を垣間見ることができます。
甲子園でも高校野球も最後の闘いが行なわれていますが、スポーツマンは毎日厳しい自己管理と技の磨きをした正選手と、一歩及ばない補欠の選手がたくさん居る事実は、民主主義の基本を知る良い機会と思いますし、競技の結果が全ての人生でないことも弁えて、良き経験を人生に生かすことに尽力をしてもらいたいものです。
好適選手の素敵な技に拍手をできる余裕と、学べる謙虚さをもって自己鍛錬ができることは、スポーツ社会だけで無い、自己心にも応用が出来るのです。