奇態な目で見られている視線を十分に感じながら、保険会社の行き帰りを、車の窓を全開にして憂さ晴らしの大声を張り上げてきました。
時間にして往復30分だと思いますが、今頃は大勢の人が事務所や我が家に帰って、奇声を発する奇態な車の話を熱帯夜の土産話にして、結構な話題性をもって楽しんでいることでしょう。
一応は常識と礼節を兼ね備えている心算ですので、公害になるほどのことでなく、何故か発声練習的な音階を一段づつ上げ下げする程のことを、繰り返して発声をしていたわけです。
自分勝手的には、大声を張り上げてすることは、結構ストレスの発散になって、事務所にはすっきりした気分で帰ることが出来ました。
時には大声を張上げてみるのも、健康のためには効果があって、毎日暑い暑いと嘆き叫んでいるよりは、移動する車の中での発声は遥に効果がある思いです。
以外にも事務仕事が多い生活をしていますと、急な電話とか接客への話しぶりが、なかなか的を得なく、舌がもつれて恥ずかしい思いをすることがあります。
話をしだしても的確な単語が表現できなく、言葉と裏腹に頭の中では、こんなときの例え話があったけれど、なんと表現をすれば好いのか悩んでしまう時があります。
かといって、饒舌な時もあって、こんなにも話が上手く喋れるのかと、自分自身で感嘆してしまう場面もあって、時と場合の舌好調に悦にいって喜んだりした経験もあります。
人それぞれが餅屋を持っていて、話上手な人、書き上手な人、その両方とも上手な人等々餅屋の線引きがされている気がしますが、自身はどちらかと言えば書き人間の部類に入る気がします。
特別に秀でた能力を持っているわけではなく、好き嫌いの範疇で分けるとすれば、書く事が好きなのかもしれませんし、恥をかきながら拙文を書きこむ度胸も、いつの間にかくそ度胸が備わってきたようです。
それでも機会があればのことですが、大勢の人様の前で、原稿を持たずに気持ちよく話をして見たい気は、結構真面目に願望をしていますことは、書くことよりも熱望度があるようです。
何度か原稿を持っての話は経験があるのですが、ただただ文章を棒読みしてしまい、感情の起伏もなく、読んでいる自分が悲しくなってしまうものです。
持ち時間一杯に聴衆の心を引き付けて、話の濃淡を駆使しながら聞き手に伝えることに、執着心をもっているのですが、まだまだ未熟な知能では、とてもとても現実には程遠い過程があります。
書くことの利得は、書き貯めすることができ、時間があるうちには、修正加筆が自由にできることが嬉しくて、作文の度に活用させて、こうした日記を飽きずに出来ていることが、かすかな誇りになっています。
書く事が好きでも文章能力があるとは保証もなく、リテラシイーは書くほどに上達するとは確信がないのですが、何度も目を通して修正する文章は、遥に読みやすいことが理解されています。
何時の日か、念ずれば叶うことを信じて、恥をかなぐり捨てても、書き人間と話人間との調和のコラボレーションが実現できることを念じて、こつこつと恥の上塗りを、日々重ねていくことにしましょう。
時間にして往復30分だと思いますが、今頃は大勢の人が事務所や我が家に帰って、奇声を発する奇態な車の話を熱帯夜の土産話にして、結構な話題性をもって楽しんでいることでしょう。
一応は常識と礼節を兼ね備えている心算ですので、公害になるほどのことでなく、何故か発声練習的な音階を一段づつ上げ下げする程のことを、繰り返して発声をしていたわけです。
自分勝手的には、大声を張り上げてすることは、結構ストレスの発散になって、事務所にはすっきりした気分で帰ることが出来ました。
時には大声を張上げてみるのも、健康のためには効果があって、毎日暑い暑いと嘆き叫んでいるよりは、移動する車の中での発声は遥に効果がある思いです。
以外にも事務仕事が多い生活をしていますと、急な電話とか接客への話しぶりが、なかなか的を得なく、舌がもつれて恥ずかしい思いをすることがあります。
話をしだしても的確な単語が表現できなく、言葉と裏腹に頭の中では、こんなときの例え話があったけれど、なんと表現をすれば好いのか悩んでしまう時があります。
かといって、饒舌な時もあって、こんなにも話が上手く喋れるのかと、自分自身で感嘆してしまう場面もあって、時と場合の舌好調に悦にいって喜んだりした経験もあります。
人それぞれが餅屋を持っていて、話上手な人、書き上手な人、その両方とも上手な人等々餅屋の線引きがされている気がしますが、自身はどちらかと言えば書き人間の部類に入る気がします。
特別に秀でた能力を持っているわけではなく、好き嫌いの範疇で分けるとすれば、書く事が好きなのかもしれませんし、恥をかきながら拙文を書きこむ度胸も、いつの間にかくそ度胸が備わってきたようです。
それでも機会があればのことですが、大勢の人様の前で、原稿を持たずに気持ちよく話をして見たい気は、結構真面目に願望をしていますことは、書くことよりも熱望度があるようです。
何度か原稿を持っての話は経験があるのですが、ただただ文章を棒読みしてしまい、感情の起伏もなく、読んでいる自分が悲しくなってしまうものです。
持ち時間一杯に聴衆の心を引き付けて、話の濃淡を駆使しながら聞き手に伝えることに、執着心をもっているのですが、まだまだ未熟な知能では、とてもとても現実には程遠い過程があります。
書くことの利得は、書き貯めすることができ、時間があるうちには、修正加筆が自由にできることが嬉しくて、作文の度に活用させて、こうした日記を飽きずに出来ていることが、かすかな誇りになっています。
書く事が好きでも文章能力があるとは保証もなく、リテラシイーは書くほどに上達するとは確信がないのですが、何度も目を通して修正する文章は、遥に読みやすいことが理解されています。
何時の日か、念ずれば叶うことを信じて、恥をかなぐり捨てても、書き人間と話人間との調和のコラボレーションが実現できることを念じて、こつこつと恥の上塗りを、日々重ねていくことにしましょう。