昨晩開幕した第29回北京オリンピックの開幕式は、随分長い時間に亘って催事があって、中国ならではのパホーマンスを存分に魅せてくれました。

高度経済急成長を果たすなか、日本が開催した第18回東京オリンピックの純朴な感動とは違った、華美過ぎる開幕式のプログラムの中で、中国4000年の歴史を振り返っては、時間がいくら有っても足りません。

確か9時に開幕がされた開会式が長くて、各国の入場行進が終わって、聖火が燈されたのは4時間が過ぎた9日が明けた深夜になっていたのですが、全てに人海戦術と音と光は最大限に活躍されていました。

国家の体制は違っていても、若者が溌剌と大会に参加して、きびきびと役割を果たしている姿は、近代国家に成長した自信と誇りさえ感じ取れました。

大きな役割目標をもった意識の高さは、ニートや引きこもりが多く居るらしい国とは違った、若者奮起の何かのヒントを与えてくれていた気がします。

国家一丸になってのオリンピックは、東京オリンピックの時とて同じで、当時の高校生時代を思い返しても、繰り返しされるオリンピック喚起に鼓舞されていたもので、記念硬貨の交換に銀行間を渡り歩き、友人と枚数を競争していたほどです。

記念発売されたオリンピック関係曲や行進曲のセットレコードを何回も聴きこんで、あくまでも整然とされて入場行進の素晴らしさに思いを馳せて、若き心をワクワクさせていたものです。

夕日を真正面に受けた国立競技場に、最後に日本チームが真っ赤なブレザーで真っ白な帽子を被って、大デレゲーションと言わしめたNHKの福島アナウンサーの言葉にどぎまぎしてしまい、ただただテレビに釘付けであったし、同世代の聖火ランナーがフィールドを走る後には、ほのぼのとした白煙がたなびく姿が懐かしく、昨日のように思いだされます。

全てがアナログ時代の良き時代でもあって、今思い返すと、このスローな時代を経験できたことが自体が、豊かな人心として素晴らしい至宝になっている気がするのです。

北京オリンピックは、全てがハイテクのデジタルをフルに活用して、目が疲れるほどキラキラと点滅がされ、光が流れてていましたが、東京の秋空に描かれた飛行機雲の五輪マークには、素朴な驚きは負けてしまいますが、今となっては子供の絵本の題材に最適なほど、牧歌的な素材でした。

感動の秤が違ってしまっている世代背景があっても、素直な感激は共に分かち合う心掛けをもちたいものです。

今回は物騒な予告電話があったり、厳戒化の大会模様を日夜報道されていて、厳しい報道がされていますが、中国の国民にとっては、成功裏に終わったあとの満足感と、成功できた誇りが、将来国家を背負っていく若者の為になることを期待しています。

政治的な国家政策に対しては、いろいろクレームも言い足りないことがありますが、東京大会を若者時代に経過した者として、素晴らしい感動を何時までも持ち続けることができる財産を、経験した仲間としても、何時までも変らぬ元気の素に活用させていって貰いたいものです。

そのころには国家間の醜い取引は消え去って、国家の壁やイデオロギーも関係無い、本当の意味の人間世界になっていることでしょうし、肝心な人心は何処までもお人良し過ぎる位の、豊かな温かさの時代であって欲しいことを願っています。