二十四節季の立秋を昨日迎えて、暑中お見舞いから残暑お見舞いに変わったのですが、現実では毎日茹だるような猛暑日で、外出ををするたびに、じっとりと大汗をかいています。

水分を補給すればしただけ、滴り落ちる汗を感じ、生きている生身の身体能力の素晴らしさに、平に平に感動をして、生きるが為のメカニズムに感謝をせざるを得ません。

7月中にはとんと耳にすることが出来なかった各種蝉の声が、一斉に五月蝿いほど鳴きやまなくて、この住宅地にもこれほどの蝉が生息できる環境があるのかと、素朴な驚きと認識をするほど、子供の頃に匹敵する蝉時雨を味わうことができています。

今日は猛暑だ、本日は酷暑だいや炎暑だと言葉の表現を変える程なのですが、立秋が過ぎてからの暑さは熱風そのもので、灼熱の厳しさを身に染みて体感できています。

発汗作用が健康体を証明できる体力がある人は良いのですが、身体を害している方には、いくらエアコン設備が有ったとしても、体力の消耗や気力の散漫を考えると、深い同情をせざるを得ません。

夕方になったら昔言葉で言うところの、カンダチ(夕立)があってくれれば、一時的にでも爽やかな涼風を得ることができるのですが、地球温暖化が悪く影響してか、自然の循環サイクルが発揮できなくなっている様子は悲しいことです。

当時、各家庭には深井戸があって、冷たい清水を飲用しながら簡易冷蔵庫の役割を果たしてくれ、スイカやトマトのひんやり感を味わっていましたが、今流の冷蔵庫よりも適度な冷たさに、嬉しさと満足をしていた気がします。

今では住宅地の中で、これほどに蝉の鳴き声がしていても、子供達が無関心で通り過ぎていますが、昔であれば長い竹竿の先に網をつけたり、独自の工夫で、くもの巣を張らせたりした道具でもって、早朝から昆虫採種するのが日課であったのですが・・・

町全体が設備的にエアコンが充実されていますから、一年間を通して寒暖の調整が程よく効いた恩恵をうけていますが、この蒸し暑い時にこそ、大汗を一杯かくことが健康体を維持できる秘訣になっている気がします。

趣味でもって、ジョギングや運動をしなければならないほど、現代人の日常には肉体的な運動をする場がが少なくなっていますが、適度な運動から発汗させる生理作用は、生きる基本を教えられます。

暦の上では立秋を向かえたということは、確実に夏から秋へのお天気が切り替わる準備がされていると言うことであり、暑さ寒さも彼岸まで、の格言が生きているとすれば、厳しい残暑も一ヶ月もすれば涼しい風が感じられるのです。

人の傲慢さは、春秋の程よい季節をじっくりと味わうことができなく、暑い夏と寒い冬の両極端な自然を生き抜く必要になっているようで、今後ますます猛暑と極寒を交互に経験することになるようです。

せめて、心の中にはいつでも程よい爽やかな気持ちでいれる余裕をもって、少しでも豊かな発想が出来ることを期待してみたいと思います。

先ずは家族中が快眠快食快便の、規則正しい日々を過ごせていることを喜び、効率が上がらない仕事には、決して猛暑の性にしないことを念じたいものです