実に大きな存在感があったお人でしたし、その一言の影響が大きかったことが、二年の時間が経った今だからこそ、改めて腑の中から強く実感をさせられています。

今から18年前に初めてお会いできたOさんは、お寺の住職さんでありましたが、若い頃には教職にあって、時間が空いた時にお寺の仕事をされていたことを訊かされていました。

いまこそ何処のお寺さんも経済的な保証と余裕があるようですが、Oさんが若かりし頃はお寺の経営が厳しくあって、教職と掛け持ちが必然であった時代が、当然のこと暫くの間あったようでした。

そんな時代からこそ社会に目を向けて、お寺と学校を勤務しながら、青年会議所に所属して、ご夫婦して社会貢献に励んでいたそうで、それでも飽きたらずに、ロータリー・クラブに入会して、一層社会奉仕に全身全霊の活動を、世の中に向けて励むことになりました。

その後新しいクラブを創立して、自ら初代会長としてクラブ運営に尽力をされて、以来全力で活動に率先して参加し、近隣クラブの中でも会員数も奉仕活動も全てに目を見張る実績を残されてきた方なのですが、2年前に惜しくも天国に召されていきました。

縁があってクラブに入会をさせて頂き、半年後にあった台湾への姉妹クラブ訪問時に、おそらく初めて長い時間の会話が出来たことをうっすら覚えています。

それから同じ委員会の仲間にさせてもらって、委員会活動も度々ご一緒でき、海外訪問時に奥様とご一緒したり、家内も仲間になったりして、徐々に親しく接する時間が多くなっていきました。

新しい事業を始める際も、根回し的な私的な訪問ごとが結構あった時代で、その殆どがご一緒にお手伝いをさせていただくことができ、クラブ活動のイロハを自然的に身につけていくことが出来、対人関係も、Oさんの力の傘の下、一皮も二皮も脱皮して成長している自分を喜んだ時代でもありました。

8年ほど前から、年齢と共に宗派の責任者として東京の宗務所に勤務することが多くなって、クラブから徐々に遠ざかっていき、新しい会員はまったく知らない人となって、4年間の勤務終了時には、若い方が多くなったが為に、例会に出席することが億劫に成ったと、浦島太郎の心境を述懐していたことが思い出されます。

当時は自クラブよりも、子クラブや孫クラブに出席することが多くなって、その殆どを同席させてもらい、クラブ特別代表としての指導方を、終始学ぶことができました。

その頃からいろいろなことの相談を受けるようになって、業界の仕事で本山の重き役職を引き受けることになった場合の、数年後のクラブ運営を心配されて、幅広い問答を語り合ったことが昨日のように懐かしく思い出されます。

随分穿った考え方ですが、お付き合いが深まるに従がって、家族を交えての交流が出来ましたし、大きな、対外的な信用を得ることができたと自負をしています。

いま思うと数え切れない思い出が残っていますが、その全てが無駄でなく、有益に活用されていることが誇りに思い、自身の宝物にさせて貰うことができています。

初代会長が亡くなってからのクラブ内は、大きな指導者に変わるべき率先指導できる方が存在できてなく、すべてのことに集団で結論を出す時代に趨勢せざるをえない時流でもありました。

悲喜こもごも、たくさんの反省点も噴出している事実もあって、三回忌法要が営まれた今日の仏事に際し、過去は過去の咲いた花を観ることよりも、これから咲かせる花を手入れすることを、会員の皆さんと一緒になって、工夫をしていこうと認識をしています。

とっても位がある方の法要の仲で、線香を手向けられる悦びと責任を感じて大勢のお坊さんの読経の声明が木霊する仲で、にこっとされて名前を呼ばれて、手招きされて用事を言いつけたOさんは、今どんな懸案を語って、意見を求められ、どのような指示を出してくれたのか、ひとり自問自答の繰り返しでした。

この先、初代会長を真似て、手招きしたら応答してくれる方がいてくれるのでしょうか、大いに不安な時代に居る気がします。