電話口から相も変らぬ毒舌が聴こえて、その懐かしい語り方とあわせて、久し振りの大先輩とも会話がでましたが、電話が終わったとたんに、身体の底から燃える熱い力を感じとってしまいました。

18年前の頃時代は経済状況も好調で、社会が活気あって、人もお金も物も自然なほど、沢山寄せ集まっていた時代でした。

何を遣るにも何をしても、思いつきで自由勝手に事が運ぶことができ、好い加減な手段でもその結果が誠に上手く運ぶことができ、参加された方が大らかに許してくれた時代でもありました。

しかし、人間関係で言えば上下関係が厳しく、礼節の欠如とか、約束ごとの反故とかがありますと、こっぴどく叱責を受けましたし、それなりの厳しい叱咤を受けることが、当たり前の環境にありました。

今日久しぶりに電話で歓談ができた先輩は、今年83歳になる方なのですが、電話口で軽く不具合を愚痴るほどではなく、いたってお元気で矍鑠と生活をされています。

本当に久し振りですと、ついつい昔話に花が咲いてしまうのですが、事実、18年前の人間関係は上意下達が当たり前ですし、人間関係は恒に上下関係の難しい渦の中で、右往左往させられて、時間の経過と共に様々な経験体験ができ、儀式や仕来たりを学ばせてもらっていました。

絶対服従が当たり前で、言われたことを言われたままに従がう従順さも時代の背景にあったのでしょうか、当時を振り返っても、今ではとても考えられない、ある面の無茶を生活していました。

83歳の方が述懐する良き時代があったとすれば、お互いの立場を許しあって、先ずは先輩を立ててる仕来たりが、自然に当然のことに理解をしていたのです。

当時はこの方の言動が何よりも優先されて、主義主張をはっきりと理路整然のされて、我々若者は絶対服従の立場に置かされました。

服従することに対して、時には反発する気もあったのですが、言われる通り、声高に主張をされると、素直に服従をせざるをえない状況がありました。

先輩達も心得ていて、時にはご馳走をしてくれたり、ご機嫌よく酒席に誘ってくれたり、若手のガス抜きを適度な形で、コントロールをされていました。

今の時代はすべてに理論が優先して、公平平等をモットーとする場のバリアフリーが優先されていますから、とかく遠慮と礼節を重きをなす高齢な方が、若者に優先権を譲っているのが現実にあります。

時代の流れが社会現象までも変革させて、83歳の方と共に、立場は違っているのですが、昔は良かったと、いい時代であったと口を同じくして頷く始末です。

思い返せば、当時の厳しく辛いほどの叱咤激励があって、それに辛抱強く耐えてきたからこそ、いまでは懐かしく昔を思い返せるのかも知れません。

今から思えば随分理不尽な交流であったのかもしれませんが、従順のすることができていた、大人の豊かな懐があったのでしょうか。

最近の方が見せる格好良い、理屈だけでは窺い知れない、懐の狭い大らかさを持ち合わせない現代人では、こうした懐かしい思い出は、体験出来ないのかも知れません。

いたって健康体で思考能力も言語も矍鑠としている83歳の方が、一年でも多く元気でいてもらい、厳しい一言を発言できるように、大いに期待をして、貴重な古人類として大切に保護をしていく必要があるようです。

さらには跡継ぎ役として、そろそろ自覚をしてみる必要を考え、電話を切った後に少しだけ実感をしているのでした。