当たり前にその光景を受止めてきて、何時も何時も繰り返えされている情景は、何の抵抗も無く目を通す風景の中から、視覚として頭の中に伝達されます。

普段の慣れたイメージをもってすると、どうしたのかな、何かあったのかなと不安に思えるほど、いろいろな推測をしてみたり、多少のこころ配をしてみたりすることが良くあります。

毎週通っている歯科女医さんは、完全予約制で治療をされていますので、時として割り込みの治療を願う時は、ほぼ時間配分ができないくらいの、順番空き待ち時間が必要になっています。

結果的には予約を入れても、その約束の時間よりも時間超過されることが多く、時とすれば一時間は余計に待たねばならない状況が、極々当たり前の日常になっているようです。

そんな経験しか頭の中に残っていないのですが、先程予約時間に到着した歯科医院には、待合室が空っぽで、一瞬間違ったのかと、不安になる思いをしたくらい静かでした。

何時もは流れているBGMが聞き取り出来ないくらい、治療の機械の音が途切れなくしたり、先生とスタッフの会話とかが交わされていますから、そうした物音が頭に中に記憶されてしまっていました。

診察券を提出すると直ぐに治療室に呼ばれてしまって、待ち時間に心算にしていた、パソコンの打ち込み作業ができなくなり、嬉しい誤算となってしまったのです。

女医さんからは、大きなカバンを持って、中身は何が入っているのかと、不思議な問いかけがあったりして、待合室の事情を話すことも出来なく、ひたすら曖昧な答えをするのでした。

世の中には、たまたまこうした思いがけない誤算と対峙することがありますが、相手の立場になって心配をしてあげられる配慮が必然だと思っています。

何時も何時も此方が思う内容とペースをもって、物事は捗りがされないのですから、いわゆる想定外の対処の腹積もりは、自己責任の範囲として、いつも思考することを再確認できました。

先日闘病の為に入院をされた先輩が、自ら電話を掛けてきて、容態が安定している時に来て欲しい要請があったのですが、翌日から始まった治療の副作用が余りにも負担で、暫し面談禁止のおふれが出てしまいました。

お見舞いの機会が難しいことは、過去の経験から理解しているのですが、ご本人の意向と看病をするご家族の皆さんの判断がミスマッチすることが多くて、結果的にはお見舞いの機会均等も、情報開示をする困難さがあるようです。

その日の体調によってですから、知名度が高く大勢のお見舞いを受ける立場の方には、病状の開示とお見舞いの受付状況が、複雑なバランス感覚が必用になってきます。

事務的な判断が効かない思い遣りとは、一方的にさせてもらう立場が強欲と成るのではなく、してもらえる方の現状を十二分に深く思慮をしないと、親切心があだに成る可能性もあります。

とかく形式的な処理を願って、安易な解釈をして相手の方を迷惑にしてしまいがちですが、少しでも相手になる方の置かれた状況を鑑みて、お互いにとって心地良い配慮となる、深慮をできる人を目指して生きたいものです