誰しもがこの世に生きるなかで、幸運に恵まれている時、チョッとばかり幸運に見放されてしまった時、順調に物事が捗っているとき、少しだけ躓きをしてしまった時、所謂波乱万丈の人生は、生きている人の自然な摂理なのかもしれません。

隣の芝生は良く見える、と言われる諺がありますが、兎角他人を見る目は一面的な羨望の眼になりがちで、目から入ってくる外見上の情報ですが、みせている側の情報を裏打ちさせる努力とは、計り知れない負担になっているはずです。

芝生が青ければ青いほどに、日々の手入れは大変なはずですし、そのための気遣いや出費はそれに見合った努力と金額になるはずです。

生活が質素であればそれなりの小エネルギーで済みますが、贅沢な生活になれば、それだけの高エネルギーが加算されますので、芝生の青さを見るのでなく、維持する人の甲斐性に思いをはせる必要があります。

随分と長い間、家族同士での親しくさせて貰っている先輩のお仲間がいるのですが、ここ暫くの間ですが先輩とは音信が途絶えていました。

数年前までは、それこそ一週間の半分を、ほぼ午後から深夜までの半日間、食事や歓談等いろいろとお付き合いさせて貰っていましたが、時代の趨勢と重なる加齢もあってか、徐々にながら離れる時間が増えていきました。

そのことが気になってはいたのですが、こちらも経営母体の再建を真剣に考える必要があって、切羽詰った時期ですので、ついついご無沙汰の時間が過ぎ去っていきました。

昨日のことですが、来週にある会合の出欠について問い合わせる必要があって、夜になってお住まいに電話をかけて、奥様に先輩の在宅を尋ねてみたら、何時になく元気ない奥様のか細い声が聴き取れないくらいで、唐突と先輩について伝えたいことがあると切り出されました。

急に涙声になって話す言葉は、先輩は肺がんに侵されて今日入院したばかりで、手術が手遅れで治療が難しい状況を伝えてくれました。

健康に恵まれ、家庭も事業もなんの不自由がなく、それこそ羨望の眼で活躍ぶりをみていたのですが、家長のがん発病を切っ掛けに、精神的な悩みと家庭と事業とか、それぞれが背負っている家庭の事情が、一気に不安定な状況に悪変して、奥さんとしてはパニック状況で、一気に気弱な言葉ばかりを語る人になっていました。

聞くほどに様々な心配事が重なってきて、家庭や親類や事業先や、走馬灯のような難問を抱え込む心情は、家長の立場が重いほど、辛く大きな努力が必要になる思いがしています。

誰しもが順風満帆に人生を過ごすことはできないのですと癒すと、今迄なんの不自由なく生きてきたので、家長が病魔におかされて入院し、その不安と落胆の重圧を嘆く心境を吐露してくれました。

人生はなるようにしかならないと、良く言われますが、順風なときはそれなりに、逆風の時もそれなりに、確りと遣るべきことを粛々と演じていくほかはないように思います。

自身は仕事の躓きで、資金的な汲々とした難儀の生活に、家族や親戚を巻き込んで再建にむけて一心不乱の踏ん張りをしているところですが、人がもつ健康と幸福の天秤は、時としてバランスを崩して、生き様の警告を発してくれるものです。

思えば躓きをした当時は、家族が涙を流して不安な将来に、唖然呆然と無意味な時間を過ごしていましたが、昨晩は先輩の奥さんが涙する電話に、慰めと激励の声掛けをしている自分がいたのです。

お互いに何時まさかな難儀を背負うことになるのですから、思い遣れる確かな心と、応援することをできる器量をもった、謙虚で誠実な心の持ち主として、自身の胆に青き芝生を管理して、いつでも普遍に青く活き活きと丹精をこめて生きたいと念じています