物凄いエネルギーで心地よい響きを持ったざわつきが、左右から耳に聞こえてくるのですが、一端途絶えた時の静寂さは、何か物足りない様相があって、この喧騒と静寂を楽しんでいる自分に気付いています。

角地にある我が家には、同じ敷地にある事務所の両端に、民間の保育園と子供相手の駄菓子屋さんがあります。

保育園は早朝から親御さんが子供を預けにきて、幼少のお子さんの甲高い鳴き声と、時間によってお歌の声が集団の声として聴こえますし、反対の駄菓子やさんには、学校が終わった午後から夕刻に掛けて、大勢の子供と高校生が時間によって屯しています。

保育園の声も聴こえることは好いのですが、丁度車庫の出入り口に面している関係で、車の出入りが不都合な場合が多くあり、可愛い子供を送迎する親御さんには、タイミングの悪い時には、気分を害すこともあります。

若い親御さんの遠慮会釈無い人が多くいて、我が物顔に路上駐車をさせて、人に迷惑を掛けている認識が全く感じさせない人が多いのです。

経営する方がこの辺の事情を汲んでもらえれば、一言説明をしてくれることで、お互いが理解しあえるのですが、未だにこうした配慮に欠ける経営の責任者にも、善意を譲っても多少の不満を持っています。

送迎の時間帯は他の方の車の通行料も多くなって、狭い住宅地の路上駐車は近所迷惑なのですし、子供の送迎車が沢山来るために、危険度も多くなっているのですから、経営責任者の方が、現状を見ていないことから、こうした目に見えないトラブルが感じられるのです。

一方の駄菓子屋さんは、店のまえの道路一面に子供達が広がって、様々な遊びをしているのですが、意外なことに夕刻近くから高校生が屯して、小学生のように無邪気になって遊んでいる光景は平和を感じますが、それ以上にいろいろな事を感じ取らせてくれます。

この駄菓子屋さんは、老夫婦が気侭に仕事をしている為に、曜日と時間が様々な営業時間になっていて、小学生の楽しめる店としては、お店が閉まっている時のリアクションが実に面白いです。

三方からの路地があるのですが、あちらこちらから参集してくる声があって、開店時と弊店時の歓声が全く相反する表現をしてくれる様は、聴いている身とすると実に愉快になってきます。

子供は国家国民の大きく大切な宝物ですから、こちらの度量を大きくさせて、こうしたトラブルの全てを許し合うことで、子供らしい遊びを満喫させることができるのですから、大人の我慢も当然必要なことです。

こうして世の中の一員として、少なからずの社会貢献をさせてもらえるのも、子供の頃に当時の大人に護ってもらってきた事を、大きな教訓にしているからこそで、この恩返しを忘れてはいけないと思います。

身の周りの環境は、時代によって様々に変容していきますが、先ずは子供達が健康に平和で夢中に遊べる場を提供したり、護ってあげることが、大切な役割だと再認識しているところです。