毎日当たり前の生活に慣れ親しんでしまっていると、そのありがたみが薄れてしまって、あまり感激も感動もなく、無関心に過ごしているように思います。

急な病になった時には、健康のありがたみがことのほか実感させられますし、資金的な窮状に陥った時には、改めてお金のありがたみが理解できますし、家庭内や身内関係での難儀なことに悩まされると、やっぱり平凡で平和な生活が、この上ない幸福なことだと感じてしまいます。

人によって価値観とか生き様が違いますので、一言では評価をすることが出来ませんが、概して言えることは、誰しもが健康で平凡な生活を、望んでいる様子が伝わってくるのです。

地球上で生きている人種の国籍は関係なく、人がもつ家族愛は、何よりも宝物で大切にしていかなければならないことです。

どこの国でも、国情が豊かになればなるほど、子供に対して過度の期待を背負わせて、実力以上の架空の虚像を創り上げてしまい、子供に負担をかける結末が聞かされます。

今日は友人からの伝え聞いたことなのですが、都会生活に疲れた若者とか、学校への登校拒否をする子供とかを、長野県の山村にある民間の授産施設で受け入れて、すべてが家族として一つ屋根の下、共同生活をされている所があるそうです。

それぞれが各種の問題を引きずっているのですが、助け合い、労わり合って、お互いが思い遣りの心を自然に発揮して、とても素敵な空間を構成させているそうです。

そこには、みんなを信頼して一人一人が誇りをもって、堂々と生き返った輝きをもち、澄んだ瞳が印象的に観ることができるそうで、純粋な心遣いが新鮮に感受できると言っていました。

自然に恵まれた環境で、住む人々が純心になれて、一つのことに一致協力した共同生活は、当たり前の家族愛なのです。

いまは、この当たり前の愛情が過小してしまい、いろいろな問題が浮上してしまい、家族で支えることも、労わることもできない、非常に厳しく悲しい時代になっているように思います。

人から聞かされるまでも無く、自分自身も家族にも友人にも、できるだけ愛情の交流をもって、労わりあい助け合える心の養いと、意識の高揚を確実にして生きたいものです。

誰でもが親や家族のもとを離れて実感する、家族愛の本当の温かさを、もっと自然な形で極当たり前に
、享受できる時代にさせるため
の、一助ができる願いは大きくなるばかりです。