気に掛けていることでも、なかなか思うようには捗らないことが多くて、よくイライラ状態になりますが、その源泉を人様の性にしてしまう傾向があるようで、ちょっとばかり残念に思い反省をしています。

人には大きく 己は小さく 腹を立てずに 心を円く 気を長く

遥か昔、高校生の時代に京都に修学旅行で行った、お土産屋さんで見つけた額に書き込んであった、素敵な文章にひかれて買い求めてきました。

引越しをした時に行方不明にしてから、時が長く経っているのですが、時々額の字模様を思い出しているのですが、人の字が特別に大きく、己は極々小さく、腹は真横に寝た形になって、心はまん丸に、気は細長く、それぞれの字が特徴を持って書かれていました。

高校生の年齢で随分渋めのお土産を買い求めたものだと、今になって懐かしく思い返しているのですが、親が商いをしていたために、大人社会の感化を多少受けて、大人びたところがあったのでしょうか。

当然に値段も手ごろであったのですが、大きなお土産として、親に誇らしく手渡したまでの記憶はありませんが、事あるたびにノート等に写し書きした覚えがよみ返ります。

最近になってからですが、長い人生の波乱万丈を様々に体験してきて、日々多様的に過ごしてきている中で、辿り着いた人生の指針とは、成るようにしかならない人生だと達観するようになりました。

できるだけ人生を最善とした形で生きる中、人様を親しく思い共に喜び合い、悲しみを分かち合える豊かさを願っているのですが、日々過ぎ去る毎時には、時として喜怒哀楽の激しさを表現してしまいます。

ご近所に長く住まれてお付き合いしている年長者がいるのですが、数年前から脊髄の病で床に伏している生活をしていましたが、一か八かの賭けをする手術が成功して、今では杖を頼りに歩行リハビリをしています。

先程も偶然見かけましたので、わざわざ歩行をゆっくりにして、大きな声で元気に遣ってますかと、声がけをしてあげました。

以前は真っ暗になってから人目を避けて、寂しく歩行していたのですが、ある時この事実を聞き知ってから、こちらから元気付けに駆け寄ってあげました。

会うたびに元気な笑顔となってくれ、声も張が出て、漸く昼間でも堂々とリハビリ歩行をできる自信がついたようです。
どんなことでも人様の力になれる自分が嬉しく思える、そんな人としての生き方ができるようになったのも、はるか昔の京都のお土産が、感化と成長の切っ掛けを作ってくれた気がしているのです。

あくまでも謙虚な生き方、陰徳な生き方が性にあっている自分を
、衒いをもって誇らしく自信の宝としたいです。