梅一輪 一輪ほどの暖かさそのままに、庭にある古木の梅の木に、うっすらと綿帽子が被ったような花が咲きだしました。

穏やかな今日の天候は、上着一枚ほどの暖かさが漸く感じることができる時節になったようで、春本番が目の前にやってきたようです。

自然が和むと心の中から豊かさが湧き出てきますし、その源泉から善行を心得ることができる、心の余裕が身体全体に広がってきます。

先日到着して東北を観光している高雄の友人達は、今日の午後に千葉に到着して、夕刻から両クラブ合同の会議がおこなわれて、そのまま歓迎例会が予定されています。

今頃は一路南下して移動中なのでしょうが、受け入れる我々も準備に怠り無く、慌しい時間を送って、会議と例会の設営をしなければなりません。

春うらら陽気のなかで、遠来の友を迎え入れる躍動感を味わいながら、心ウキウキできる幸福感は、穢れない自身の心身に誇りをもて喜べることです。

おそらく、同じ時空にいながら意識を持たなければ、ただただ無意味な時間の浪費となってしまい、能動的な喜びを味わうことができないのですから。

何事も心掛け一つで、自分がいる場の環境が改善できるのですし、すべての場から受け入れ感じ取ることは、自分自身の感性に責任があることを自覚したいものです。

梅が開花しても無関心でいる人よりは、感動を覚えて喜べる人になりたいものですし、更には人様にも喜びをお裾分けできる、心の豊かさと広さを心得たいものです。

高雄からの友人達が、東北の旅行を通して、どれ程の新しい歓びごとを味わってきたのか、ちょっと気になるところですが、到着してからは、最後の晩が感動できるように、場の設定を気遣ってあげたいものです。

知らないことの損よりは、知って得をする思考を身につけて、できるだけ積極的なお手伝いをしていきたいものです。

時には知って大変難儀な思いをすることもありますが、知って体験して得る人と喜び合いの利徳を信じて、ただの傍観者だけにはなりたくありません。