SNSのミクシィで交流させて頂く中で、時には愉快に、時には頭を抱えるほどの難問が投げかけられたりして、ミクシィ仲間とのとりもつご縁が楽しくて、その魔力に取り付かれて完全に嵌ってしまっています。
少しでも時間が空きますと、先ずはノートパソコンを開いて、ミクシィを覗く生活が当たり前になって、実態は一種の中毒症状に近い、楽しみなのかも知れません。
個人的な思いや出来事を発信して、その話題に様々な方からのコメントの寄せ書きがされるのですが、その人柄が垣間見れる文章に、仄々(ほのぼの)とさせられる和みが感じられます。
昨日もお仲間のVictorさんが書き込んだコメントは、馴染みの無い漢字を辞書で調べる様子を書き込んでいて、その反応が多くの方から発信されて、とっても愉快で有意義に読み取ることができました。
仲間の方が発信したコメントの中に見つけた、「石楠花」という漢字が読めなくて、辞書で(しゃくなげ)と読めた話し、「肖る」と書いて(あやかる)を随分時間を掛けて調べ上げた体験が綴られていました。
それに対しての反応の返信文にあった、女衒についての遣り取りが実に愉快で、様々な寄稿の中には女衒があるのなら男衒が有ってもいいのではと、やけに納得する賑やかな書き込みが続きました。
女衒(ぜげん)は女性を商品扱いする人とした、辞書に書いてある通りのことですが、漢字文化の中で長い間学び生きているにも係わらず、こうした知らないというよりも、普段の生活で接することが無い、馴染みが薄い漢字の多いことを認識させらされました。
いまさら博識として学ぶよりも、クイズ的にとんち的な遊び心をもって、知らない漢字を知ることは、大変に興味や楽しさが高まるから面白いものです。
先ほどの女衒にあります、「衒う」=(てらう)は辞書によりますと、「ひけらす・見せびらかす・ぶる・気取る・にやける・気取る」とあります。
ハッとして気付かされたことですが、自分の生き方の中には、衒い(てらい)の気持ちが強くあったのではないかと訝(いぶか)っているところです。
人前で見せる衒(てら)いの思いがあるとすれば、この機会に反省をして、ものごとに対して、常に素直な自分を表現させなければいけないことを、知ることができました。
ミクシィでの楽しい交流からは、時には人生訓話を感じ取ることができて、時に一緒に喜び、悩みする、お仲間とのますますの友愛をもって、コメント交流に花を咲かせていきたいものです。
今夜も覘(のぞ)くミクシィですが、昨日の気付きである、衒(てら)いを無くすことを心掛けながら・・・・・・