毎日のように繰り返される悲惨で物悲しい、他人の命までを簡単に殺めてしまう事件が多発していますが、報道されます犯人像は孤独で閉鎖的に自分を追い込めてしまう、陰湿人間タイプのように感じ取っています。

昨晩は久し振りに繁華街に繰り込んで、親しい仲間達と大人のお酒を頂きながら、楽しい語らいの場を設けたのですが、駅前にある居酒屋は大変な混みようで、殆どが若い方々の懇親会でありました。

我我のロートル組みは、居酒屋の一番奥の見晴らしの利く場所を確保して、美味しい肴と酒を適度に酌み交わしていましたら、周りの部屋では、若い男女のグループがビールのジョッキーを片手に乾杯の連続をして、物凄く底抜けに朗い宴を観る事ができました。

屈託の無い若者の素直な表情を、満面に浮かべた語らいの場からは、一日中職場で頑張ってきた自信と誇りが感じ取られ、仕事から開放された奔放な若者らしい雰囲気が、よく醸し出されていました。

結構広い居酒屋のフロアーは、何組かの宴会で盛り上がり、時間が経つにしたがってエスカレートしてきて、多少賑やかさが煩く聞こえ出してくるころには、なんと閉店時間になっていました。

居酒屋での我我初老組みは、時間と共に話のネタ切れとなってしまい、集った仲間達も耳は若者の賑やかな話しを聴き入っているようでした。

誰彼言うでもなく、ぼそぼそと、若者の屈託無く賑やかにできることは好いことだと、改めて若いころの自身の姿をダブらせていて、視線を他のテーブルに向けていたのですが、最近の惨たらしい事件には、まったく結びつかない屈託ない居酒屋風景に、事件の背景が何であるのかが、不思議で納得できないものと結論付けていました。

同じ世代同士で、時にはワイワイ・ガヤガヤと、ストレスと悩みを発散することができれば、きわどい事件を引き起こす若者は、少なくなるのだと思ったりして、底抜けに賑やかで明るい若者に期待をかけてしまうのです。

世代に関係なく、語り合える仲間と語り合える場を、積極的に設ける努力は必然のことであることを、お互いに阿吽の交流を目線で語り合っていました。