あるものを当然とした慣れの習慣が、見えるものを見えなくしてしまっている気がしてしまいます。
    
毎日のように通っている近所の公園に、こんな見事な桜花を咲かせる樹があるとは気付きませんでした。
    
下枝を綺麗に剪定されて、太い幹だけが天に向かって伸びていたので、てっきり他の落葉樹と思いきってしまっていたのです。
    
こうなると自分の繊細感覚が疑われてしまいますし、注意力の散漫さが浮きぼりだされてしまったようです。
    
愛でる樹があっても愛でる気がなかったら、何にもならないしと思うのですが、ひっそりと自分のために桜花を咲かせる、奥ゆかしく高貴な樹があるのかも知れないと、自然界の不思議さを満喫しているところです。