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結局、時間になっても慎司は現れなかった。
息を切らせた慎司が宇賀谷家に到着したのは、なんと待ち合わせを二十分も過ぎてからだった。
「お、遅く、なりました……っ」
春とは名ばかりの気候でも、太陽の下で全力疾走すれば汗もかく。
また、礼儀正しい慎司にとっては、待ち合わせに遅刻してしまうなんて、あってはならなかったのだろう。
違った汗も額に滲ませている。
「待っていた」
手の甲で額を拭う慎司を出迎えたのは、本来迎えられるべき人物であり、本日の主役である、祐一だった。
待ち合わせの時刻丁度に到着していた祐一は、相変わらずの涼しげな顔で、慎司とまるで対称的だ。
慎司が無念そうに眉を下ろす。
「ああ! お久し振りです、祐一先輩。ごめんなさい、遅れてしまって」
「俺はいい。真弘は賭けがどうこう叫んでいたが」
「賭け?」
まさか慎司も、自分が賭けの対象になっているとは思っていなかっただろう。
歓迎会は予定通りに始められていて、賑やかな声は玄関口にまで届いていた。
「それにしても、慎司が時間に遅れてくるなんて、珍しいな」
「はい、少し支度に手間取りまして。思ってたより、量が多くなってしまったんです」
慎司が包みを掲げる。
季封村では法事や祝い事など、親戚が一堂に会する機会が年に数回は訪れるので、料理をたくさん詰め込める重箱の普及率が高い。
慎司が持つ紫の包みは長方形で、ずっしりと中身が詰まっていた。
重箱の中身に見当がついたのだろう。祐一の瞳に灯がともる。
「ご飯はうまく炊けたんですけど、酢飯を作るのに時間が掛かってしまいまして。
焦って作ったうえに走ってきたので、ちょっと形が歪になってしまったかもしれませんが」
「まったく気にしない。頂こう」
期待のため、やけに早口で祐一は重箱を受け取った。
祝いの席にも祐一の好物である稲荷寿司は並んでいるが、多いに越したことはない。
それに、稲荷寿司は作る家庭によって味付けが微妙に異なる、奥深い食べ物だ。
油揚げは煮つけ方もだが、稲荷の形ひとつとっても文化の違いが生まれる。
わかりやすい例を上げれば、関東は四角型で、関西は三角型である。
そのうえ中の酢飯にに胡麻や生姜が入っていたり、はては山菜ご飯だったりと――
「重箱、お預かりしますね」
慎司がやけに丁寧な態度で祐一の手から重箱を抜いた。
はて、少し聞かないうちにまた声が高くなったのだろうかと思えば、それは美鶴で、祐一は祝いの席の上座に座っていた。
稲荷寿司に思いを馳せているうちに、いつの間にか歓迎会に戻ってきていたらしい。
そんな夢うつつの祐一をさておいて、真希は汗だくの慎司のために麦茶を注いだ。
祐一が手に持っていた稲荷寿司を作っていたために、間に合わなくなってしまったらしい。
向かいの席ではどちらが祐一におかわりの麦茶を入れるか、祐一を間に挟んでアリアとおーちゃんが火花を散らしていた。
といっても、アリアが一方的におーちゃんを敵視しているだけで、おーちゃんは祐一に向かってぶんぶんと尻尾を振っている。
尻尾の攻撃を受けて、真弘が若干身を引いた。
「おう慎司、田んぼに足を取られたのかと思ってたぜ」
「すみません!」
「なにかあったんじゃないかって心配しちゃった。
だって、慎司君が遅刻するなんてめったにないでしょう?」
先輩からの野次に恐縮する慎司に、珠紀が優しく笑いかける。
「すみません。電話しようかとも思ったんですが、酢飯を詰めていて、つい」
「あ、わかる。いちいち手を洗わなくちゃいけないから面倒だよね。酢飯だとご飯粒全部落とさなくちゃだし」
慎司が作ってきた稲荷寿司を、美鶴が小皿に盛ってみんなに配り出した。
重箱のひとつは、祐一の真ん前へと置かれている。いそいそと箸を伸ばす祐一を、慎司が固唾をのんで見守った。
ゆっくりと咀嚼して嚥下した祐一は、この日一番の笑顔を慎司に向けた。
「……うん、うまい」
「そうですか? よかったあ」
主賓が口をつけたのを見届けてから、アリアも箸で稲荷寿司を摘まむ。
汁が出ると思っていなかったのか、前のめりになりながらも口の中に全部押し込んだ。
「アリア様、いかがですか? お口に合えばいいんですけど」
「ムグ。なかなかに美味だ。慎司は腕がいいな」
『おいしー!』
ちびっ子たちが絶賛しているので、稲荷寿司が手元に来ると、みんな口に放り込んだ。
祐一にいたっては、もう二個目に箸を伸ばしている。
「うまいぞ、慎司。さすが、守護者の料理担当だな」
「ありがとうございます。……引き受けた覚えはないですけど」
「とてもおいしいですよ。言蔵さんの作った稲荷寿司も素晴らしいですが、また違う味付けで」
「ああ。美鶴が作ったのもおいしい。二人は料理の腕がいいな」
「お気遣いありがとうございます」
みんなして稲荷寿司を頬張っている。
真希も御多分に漏れずに稲荷寿司を口に運び、そのおいしさに頬を緩めた。
兄妹だから同じ味付けかと思いきや、やはり家庭の違いで味も変わるようだ。
美鶴の作った稲荷の方が、油揚げが甘い。アリアに合わせて、少し甘めに作ったのかもしれない。
「では、犬戎君も来たことですし、また狐邑君の話を聞きしましょうか。
先程までは、大学の基本的なお話と、狐邑君が受けている授業についてお伺いしていましたよね」
「そうだな」
「大学かあ……。大学って、高校と全然授業の受け方が違うんですよね?」
慎司がキラキラと目を輝かせている。
季封村では大学まで進学する人間はほとんどおらず、高校を卒業する前に村での就職口を見つけている。
旅行で村を出る者すらまれだ。
それだけでも季封村がいかに閉鎖的な村かわかると思うが、決して村人が都会を嫌っているわけではない。
この村の歪んだ慣習により、外に出るという選択肢が奪われていた、というだけのことだ。
鬼斬丸の脅威が去った今、彼らが外の世界へ飛び出そうとするのを止める者はいない。
封印を守る立場にあった守護者の祐一が外界に足を踏み出せたのも、ひとえに当代玉依姫である、春日珠紀のおかげであった。
そしてその玉依姫は、自分の功績などなにもなかったという顔で慎司の言葉に頷く。
「そうそう、大学って自分で講義を選択して、自分から講義を受けに行くの。
席も決まってないし、講習会みたいな感じかな。先生も呼び方が教授になるし」
「変わってるよなー。だから、授業開始が昼からって日があったりもするんだぜ?」
「反対に、お昼で終わりの日も出たりしますしね」
「そりゃあすごいな」
感心したように拓磨が相槌を打つ。
守護者は驚いてばかりだが、都会から来た珠紀は平然としている。
真希も都会側の人間なので、大学についての知識はおぼろげながら備わっていた。
それでも、体験者から話を聞くのは面白い。
「で、寮は? 寮はどんな感じなんだ?」
本来なら祐一と大学に通っていたはずの真弘が、身を乗り出して祐一に尋ねる。
これには珠紀たちもより一層の興味があるようで、同じように祐一に身を寄せる。
進学は許されたものの、カミの血を引く彼らは、典薬寮が管理している大学しか受験できない。
だから、これから生活することになるであろう寮の話は重要なのだ。
遼だけはさして関心がないのか、真弘から徴収した角煮を口に運んでいる。
「寮は……多家良が言っていた通り、古いが落ち着ける建物だと思う。
時折隣室の音が聞こえたりもするが、夜は静かで居心地もいい。
ただ――」
「ただ!?」
これまたみんなが身を乗り出した。
関係ないおーちゃんまでもが、祐一の腕にのしかかっている。
「……その……俺の主観だから、他の人の中には……あるいは、いいという人もいるかもしれないが、そうだな」
歯切れ悪く、祐一は続けた。
「食堂の料理が……まずい」
――その瞬間。
食卓の空気が真冬に戻ったかのようにシンと凍りつく。
これだけ人数がいるのに外の音の方が大きくなり、真希は視線を戸惑わせる。
「料理が、まずい?」
「……ああ」
「そ、それはどのレベルで?」
「……部活動で、料理改善部というものが存在するレベルで、だ」
「まあ!」
あまりに動揺してしまったのか、普段滅多に大声を出さない美鶴が悲鳴じみた声を上げた。
それが彼らの阿鼻叫喚に拍車をかける。
「マジでか……! や、やばいんじゃねえか、拓磨。 祐一が死んだ目してんぞ、おい!」
「……今からでも進路希望票、変えられますかね」
「落ち着いてください先輩! 無理に決まってるじゃないですか!」
「飯がひどいって最悪じゃねえか。どうなってんだ、典薬寮は」
「改善……料理部ではなく、改善」
進学予定のない卓でさえ、慄いている。
そう、彼ら守護者は、美鶴のおいしい料理を長年食べ続けてきたために、相当舌が肥えていた。
抵抗なく受け入れられた珠紀と慎司の腕も相当なものだが、そんな彼らには、美味しくない料理が三食与えられるなんて、拷問でしかないのだろう。
「ほ、他には? まだ話してないことあんだろ? ほら、いいとこいいとこ」
せっかく盛り上がっていた席が沈んでいくのを敏感に察知して、真弘が新たな話題を探ぐる。
「そうだな。寮の料理はどうしようもないが、近くにコンビニがある。
二十四時間営業で、稲荷も置いている」
「寮の料理がどうしようもないのは変わらないんですね……。
一体どなたが作っているんでしょう」
料理好きらしく慎司が首を捻る。
「あと、娯楽施設もある。俺は入ったことがないが、ゲームセンターもあった」
「お! いいもんあるじゃねえか! 大学入ったら行ってみようぜ、珠紀」
真弘は気安く珠紀を誘ったが、珠紀は眉根を寄せて真弘を見た。
「え、先輩は勉強に集中した方がいいんじゃないですか?」
「まったくです。ゲームセンターなんて通いだしたら、留年確定でしょう。私は今から心配ですよ」
「まず大学に受かるのか、こいつが」
「てめえら……!」
容赦ない追撃に真弘のこめかみに青筋が浮く。
しかし、どうにか場の空気が持ち直した。
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あとがき
ひとつ前の記事で新作おめでとう茶番あげてます。
タイトルは、それはあまりにも『むごい』知らせで、です。ひどいですらなく、むごい。
今でもあるかわかりませんが、オトメイトモバイルでは、大学に進学した彼らからメールが届くサービスがありました。
内容を参考にしています。