美輪明宏の中曽根批判が半端じゃない。 | 函南発「原発なくそう ミツバチの会」 ノブクンのつぶやき

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中曽根元首相が亡くなった。日本のマスコミは天まで持ち上げるかのような報道をしていたが、実態に触れるような報道はどれほどあったのか。

NHKニュースなどを見ていると、この人物の本質を見誤るし、それは自民党政治の本質をもやはり見誤ることに通じると思う。

 

中曽根康弘元首相が死去 101歳

「中曽根元総理大臣の孫で、自民党の中曽根康隆衆議院議員は記者団に対し「おかげさまで101年という人生をやりきった。ずっと元気で、即位礼正殿の儀(そくいれい せいでんのぎ)のニュースを見て喜んでいたし、新聞も読んでいた。われわれも驚くくらい生命力が強いというのは感じていた。ずっと『国家が体に宿っている』と本人は言っていたが、最後の最後まで日本の未来のことを考えていた」と述べました。

また、中曽根元総理大臣との思い出について「初当選の直後、事務所に報告に行った際に、開口一番『しっかり歴史を勉強しなさい。政治家は先見性を持つために過去を知らなければいけない』とするどい目つきで言われた。私も思いを引き継ぎ、しっかり国会議員として頑張りたい」と述べました。」        「NHKニュース」より

 

https://www3.nhk.or.jp/news/html/20191129/k10012195791000.html?utm_int=all_side_ranking-access_005

 

 

 

【佐高信の政経外科】『サンデー毎日』(2013/2/10)から転載。


  「昨年大晦日のNHK紅白歌合戦で「ヨイトマケの唄」を歌った美輪明宏の圧倒的な存在感が評判らしい。
 私はこれまで二度インタビューしているが、美輪の肝っ玉のすわり方がハンパでないことがどれほど伝わっているか、不安である。
 少なくとも林真理子やビートたけしのような軽薄才子にコラムのネタにしてほしくはない。


 十五年余り前に会った時に美輪は、「マスコミは、普段、言いたいことを言わせてくれませんので、ライブやスピーチの仕事では、思いきり言いたいことを言わせてもらっているんです」と語り、
 「長崎の実家は、戦前、カフェ、料亭、金貸し業、お風呂屋さんとやっていましたが、どれも、本音と建前を見破る商売でございますからね。昼間、どんなに“エライさん”が行ない澄ました顔をしていても、夜になると女給のスカートの中に手を突っ込んだり顔を突っ込んだりして、ビールをかけられてヘラヘラしている。だから、私に対して権威が通じなくなるんです」と述懐していた。


 そして二〇一〇年の夏にインタビューした時には、十歳での被爆体験を踏まえて、戦争は醜で、「美といちばん対極にあるもの」だと言い、原爆の実験場として日本中を灰にしたアメリカやイギリスをいまでも許さない、と怒って、「私はアングロサクソンって大嫌いなんです。もともと海賊ですからね。英国とアメリカの歴史は、他人の土地を乗っ取って殺人して、略奪して。ろくでもない奴らですよ。悪魔ですよ。よく世界のポリスなんて言ってられる」と声を高くした。


 次の指摘も忘れられない。
 「軍が支配すると、その国は亡びます。後先の考えもなしに、ただ根性、根性、根性。神風が吹くなんて馬鹿なことを言って。奴らが日本を破滅に導いたんです。日本人が日本人を殺したんですよ」


 中曽根康弘への名指し批判も凄かった。

(海軍主計将校に志願しうまく生き延びた中曽根氏はインドネシアで慰安所を作ったことでも有名である)


 中曽根に会って、いきなり、「キミらみたいなのは海軍魂を知らんだろうな」と言われた美輪は、
 「ええ、年齢が年齢ですから、海軍魂は知りませんけど、原爆にやられました。竹槍の練習もさせられたし、銃後の守りでいろいろやらされました」と返し、
 さらにこう反論した。
「でも、おかしいですね。そんなに海軍魂とやらが大層なものだったら、何で負けたんですか。向こうが原爆つくってる時に何で私たちは竹槍をつくらされてたんですか」


 中曽根の無礼に対する美輪の怒りは、これでとどまらない。
 「自分の同僚を見殺しにして、おめおめと帰って来て、腹も切らないでのうのうとしている。そういう面汚しの厚かましいのが海軍魂なら、私は知らなくて結構です」


 トドメを刺されて中曽根は撫然として席を立って行ったという。


 その後、新幹線に乗ったら、中曽根が先に座っていた。美輪の席はその真後ろである。それでも仕方がないから知らん顔をして座っていると、秘書が次の車輌に行き、老夫婦を連れて来て交替した。逃げたわけである。


 この逸話を紹介した後の美輪のタンカがまた気持ちがいい。
 「男の風上にも置けない。てめぇ、キンタマついてんのかですよ。たかが芸能人風情に対してね」
 特に若い人たちは美輪の爽快な毒舌を堪能してほしい。」

 

 

 

そうだ、日航123便墜落事件の時の首相が中曽根康弘だった。

搭乗客が撮影した窓外に写るペンシル型の飛翔体の正体を語らぬまま地獄に落ちた。