「福島第一原発は津波が来る前に壊れていた」/終戦から74年、今ここにある危機 | 函南発「原発なくそう ミツバチの会」 ノブクンのつぶやき

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※フクイチ原発事故原因の真実はどこにあるのか。私はそれが知りたい!

「福島第一原発は津波が来る前に壊れていた」元東電社員“炉心専門家”が決意の実名告発

2019年08月13日 05時30分 文春オンライン


 福島第一原発事故から8年。

 大事故を受けて、一時は「稼働中の原発はゼロ」という状態にもなったが、新しい安全基準(「新規制基準」)が定められ、現在、国内で7基の原発が稼働中だ(玄海原発4号機、川内原発1・2号機、大飯原発4号機、高浜原発3・4号機、伊方原発3号機)。

 2013年に定められた「新規制基準」について、電気事業連合会はこう説明している。

 

「東京電力(株)福島第一原子力発電所の事故では地震の後に襲来した津波の影響により、非常用ディーゼル発電機・配電盤・バッテリーなど重要な設備が被害を受け、非常用を含めたすべての電源が使用できなくなり、原子炉を冷却する機能を喪失しました。この結果、炉心溶融とそれに続く水素爆発による原子炉建屋の破損などにつながり、環境への重大な放射性物質の放出に至りました。こうした事故の検証を通じて得られた教訓が、新規制基準に反映されています」

 

■元東電社員が突き止めた本当の事故原因

 要するに、「津波で電源を喪失し、冷却機能を失ってメルトダウンが起こり、重大事故が発生した」ということだ。

 この点に関して、津波の規模が「予見可能だったか、想定外だったか」という議論がなされてきた。しかし双方とも「津波が事故原因」という点では一致し、多くの国民もそう理解している。

 

 ところが、「津波が原因」ではなかったのだ。

 福島第一原発は、津波の襲来前に、地震動で壊れたのであって、事故原因は「津波」ではなく「地震」だった――“執念”とも言える莫大な労力を費やして、そのことを明らかにしたのは、元東電「炉心専門家」の木村俊雄氏(55)だ。

 

 木村氏は、東電学園高校を卒業後、1983年に東電に入社、最初の配属先が福島第一原発だった。新潟原子力建設所、柏崎刈羽原発を経て、1989年から再び福島第一原発へ。2000年に退社するまで、燃料管理班として原子炉の設計・管理業務を担当してきた“炉心屋”である。

 

 東電社内でも数少ない炉心のエキスパートだった木村氏は、東電に未公開だった「炉心流量(炉心内の水の流れ)」に関するデータの開示を求め、膨大な関連データや資料を読み込み、事故原因は「津波」ではなく「地震」だったことを突き止めた。

 

■「津波が来る前から、福島第一原発は危機的状況に陥っていた」

「事故を受けて、『国会事故調』『政府事故調』『民間事故調』『東電事故調』と4つもの事故調査委員会が設置され、それぞれ報告書を出しましたが、いずれも『事故原因の究明』として不十分なものでした。メルトダウンのような事故を検証するには、『炉心の状態』を示すデータが不可欠となるのに、4つの事故調は、いずれもこうしたデータにもとづいた検証を行っていないのです。

 

 ただ、それもそのはず。そもそも東電が調査委員会に、そうしたデータを開示していなかったからです。そこで私は東電にデータの開示を求めました。これを分析して、驚きました。実は『津波』が来る前からすでに、『地震動』により福島第一原発の原子炉は危機的状況に陥っていたことが分かったのです」

 

 7基もの原発が稼働中の現在、このことは重大な意味をもつ。「津波が原因」なら、「津波対策を施せば、安全に再稼働できる」ことになるが、そうではないのだ。

 

 木村俊雄氏が事故原因を徹底究明した「福島第一原発は津波の前に壊れた」の全文は、 「文藝春秋」9月号 に掲載されている。

(「文藝春秋」編集部/文藝春秋 2019年9月号)

 

福島第一原発事故の真相を巡る論議は以前から行われてきたし、地震動による破壊説も前に聞いたことはある。

しかし改めてこうした記事を読むと、浜岡原発などは1000億円を超える巨費を掛けて防潮堤を想定津波に対応できるように作り上げてきたが、そうした「努力」が徒労に終わる危険性が高いと言うことだ。

 

そして今日は1945年8月15日から74年。

74年間日本は戦争に巻き込まれることなく過ごしてきた。

改憲への衝動を強めるインチキ政権下、日本国憲法の危機が強まっているが、なんとしても平和憲法を守り抜きたいと思う。

 

僕の大好きな日本国憲法前文。

 

 「日本国民は、正当に選挙された国会における代表者を通じて行動し、われらとわれらの子孫のために、諸国民との協和による成果と、わが国全土にわたって自由のもたらす恵沢を確保し、政府の行為によつて再び戦争の惨禍が起ることのないようにすることを決意し、ここに主権が国民に存することを宣言し、この憲法を確定する。

 

 そもそも国政は、国民の厳粛な信託によるものであつて、その権威は国民に由来し、その権力は国民の代表者がこれを行使し、その福利は国民がこれを享受する。これは人類普遍の原理であり、この憲法は、かかる原理に基くものである。われらは、これに反する一切の憲法、法令及び詔勅を排除する。

 

 日本国民は、恒久の平和を念願し、人間相互の関係を支配する崇高な理想を深く自覚するのであつて、平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持しようと決意した。われらは、平和を維持し、専制と隷従、圧迫と偏狭を地上から永遠に除去しようと努めてゐる国際社会において、名誉ある地位を占めたいと思ふ。われらは、全世界の国民が、ひとしく恐怖と欠乏から免かれ、平和のうちに生存する権利を有することを確認する。

 

 われらは、いづれの国家も、自国のことのみに専念して他国を無視してはならないのであつて、政治道徳の法則は、普遍的なものであり、この法則に従ふことは、自国の主権を維持し、他国と対等関係に立たうとする各国の責務であると信ずる。

日本国民は、国家の名誉にかけ、全力をあげてこの崇高な理想と目的を達成することを誓ふ。」

 

 

「歓喜の母国語にあふれ返る街。「マンセー、マンセー」。独立万歳と、路上に出て電車の上まで乗ってさけぶ人びと。「とにかく、みんな興奮していた」

 

▼日本の植民地初の帝国大学として、現在のソウルに設けられた京城(けいじょう)帝大。当時の日本人医学生たちが1945年8月15日に現地で目にした光景を証言しています(シリーズ『市民たちの戦争』)

 

▼ようやく解放され自由がもたらされた喜び。朝鮮半島や中国をはじめ、日本によって侵略されたアジアの各地にこだました思いです。しかし肝心の日本では共有されてきませんでした

 

▼“8月15日ギャップ”。日本とアジアの国々の間にある隔たりや大きなズレは以前から指摘されてきました。歴史的な転換点は互いに同じなのに、迎え方や気持ちに大きな落差があると。たとえば韓国では、その日を奪われた主権を取り戻す「光復節」として祝いますが、その意味がどれだけ日本に理解されているのか

 

▼いま日韓の関係は報復や制裁がとびかうほど悪くなり、両国民の感情まで高ぶっています。背景に横たわっているのは、歴史認識の深い溝です。過去と向き合い不幸な歴史をくり返さないとの誓いを新たにするのか、それとも日本政府のように是とするのか

 

▼この時期、国内は戦争犠牲者の追悼に包まれ、メディアも悲しみの特集を組みます。しかし、そこに被害をうけたアジアの姿はほとんど描かれていません。ギャップを埋める努力。それこそ、加害の責任を負う日本が果たすべき役割です。」

                             「しんぶん赤旗」今日の潮流より