「(安倍晋三首相が提案している憲法改正について)僕は反対です。私みたいに戦争に行って戦争で死なないでかえってきた人間は、再び戦争になるような道は歩むべきではないと。これが私の信念です。死ななかったから今日の私があるんですから。死んでいった連中を今思い起こしても、本当に戦争というものを二度と起こしてはならない。それが私の今日までの姿です。」
昨日死去した野中広務元自民党幹事長の発言だ。
戦争の狂気を体験した者の痛烈な安倍批判。
以前彼を呼んで講演会が出来ないかなどと話し合ったことを思い出す。
自民党の良心派が次々と亡くなっていき、残されたのはおよそ知性とは無縁の税金泥棒みたいな連中ばかり。
↓こんな人物が内閣府副大臣をやっていたというのだから、沖縄県民は浮かばれない。
松本内閣府副大臣が辞表=本会議場のやじに批判
松本文明内閣府副大臣は26日、首相官邸で安倍晋三首相に会い、辞表を提出した。25日の衆院本会議で、共産党の志位和夫委員長が沖縄県で相次ぐ米軍ヘリの事故やトラブルについて質問した際、議席から「それで何人死んだんだ」とのやじを飛ばし、批判の声が上がっていた。
戦争の狂気を暴くために奮闘している人たちに敬意を表して、次の記事を転載。
日本軍が中国で行った生身の人間への人体実験。
森村誠一「悪魔の飽食」を読んで衝撃を受けたのは、随分前だった。
いま731部隊の戦争犯罪を検証する
慶応義塾大学名誉教授 松村高夫さん
科学と学問を“軍事の僕(しもべ)”にさせぬ
加計学園獣医学部問題にも通じる
安倍政権のもとで強まる「軍学共同」に反対する大学人らの共同が広がっています。そのなかで改めて注目されているのが、科学と学問が戦争に加担した歴史です。戦前の陸軍731部隊(関東軍防疫給水部)の戦争犯罪を研究する慶応義塾大学名誉教授の松村高夫さんに聞きました。(聞き手・阿部活士)
―作家・森村誠一さんの『悪魔の飽食』などで731部隊の人体実験など残酷な実像が明らかになったのが1980年代でした。それから三十数年、細菌戦の全体像についての研究がすすみました。
細菌戦は、731部隊隊長、石井四郎という特異な医師の仕業でなく、陸軍中央の指揮のもと軍全体の戦争犯罪だったことがわかっています。被害は、731部隊による人体実験の犠牲者と、同部隊が製造した細菌兵器を中国の十数カ所で使用した犠牲者の双方があります。
日中戦争が勃発した1937年、ハルビン郊外の平房で731部隊の建物建設が急テンポですすみ、各種実験室や発電所、専用飛行場など全体が40年にはほぼ完成しました。42年に軍医や軍属など日本人は家族も含めて約3500人を数えました。731部隊の姉妹機関として関東軍軍馬防疫廠(しょう)(100部隊)が、新京(現・長春)にありました。
関東憲兵隊は拘束した抗日運動家らを部隊に特別輸送(軍用語で「特移扱」)し、「マルタ」と称して特別監獄に収容。日本人医師らがペスト、炭疽(たんそ)、コレラなど細菌ごとに研究するため人体実験をおこないました。京大、東大、慶応大などの医師が関与していました。
細菌兵器のなかで、ペスト感染ノミ(PX)は731部隊独自の発明でした。ペストの生菌を空中から落とすと地上に着くまでに死滅しますが、飛行機から穀物と一緒にPXを布にくるんで落とすと、地上で穀物を食べにきたネズミに感染ノミがたかりペスト感染ネズミになります。さらにネズミから人間にまで感染するという兵器です。
防疫給水部は、40年までに北京、南京、広東で、42年にシンガポールで設置され、日本軍中央の指揮のもと網の目のような細菌戦体制が編成されました。
日中戦争での細菌兵器の使用は40年から42年に集中しています。細菌兵器は細菌が数次感染を起こし、疫病流行の原因が日本軍によることを隠すことが軍にとってのメリットでした。
―戦後、今日にいたるまで731部隊の戦争犯罪とその責任が明らかにされてこなかったのは、なぜだと考えますか。
ナチスの戦争犯罪は、アウシュビッツ収容所などで生き残った人が証言しましたが、日本の731部隊は敗戦時に建物を破壊し、「マルタ」全員を殺害し、生存者ゼロでした。また、アメリカは731部隊の膨大な研究成果提供の見返りに、幹部の戦争責任を免責したので、東京裁判では裁かれませんでした。さらに、人体実験をした医師や部隊関係者のほとんどが沈黙を続け、戦後の医学界や製薬会社、自衛隊などに“復帰”し社会的地位を保持しました。
中国の人体実験被害者の遺族や細菌戦被害者が原告となって日本政府に謝罪と補償を求める裁判が95年と97年に起こされました。私も「意見書」を提出し、証人として加害の事実を証言しました。裁判では、人体実験の事実も細菌戦による被害も認定されながらも、法律論で原告敗訴とする最高裁判決が2007年にそれぞれ下されました。
日本政府が現在でも731部隊の人体実験も、細菌戦をおこない犠牲者が出た事実も認めていないことは極めて重大です。
―裁判といえば、現在、防衛省の陸上自衛隊衛生学校が発行していた内部誌『衛生学校記事』の開示・公開を求める裁判が東京地裁でおこなわれています。松村先生は「意見書」を提出しています。裁判の意義は。
戦争責任を免罪された細菌戦部隊の幹部や医師は、戦後陸上自衛隊・衛生学校にもかなり入隊しています。
たとえば、731部隊の軍医大尉だった園口忠男は、部隊の研究をもとに博士論文「赤痢菌族の分類に就て」を熊本医科大学に提出、博士号が授与されました。
1956年に自衛隊に入隊し、衛生学校教育部教官や第8代衛生学校校長を務めました。
陸軍省医事課長だった金原節三は、陸軍中堅将校として出席した参謀本部の打ち合わせなどを記録した「金原業務日誌摘録」を残しており、そのなかに細菌戦の打ち合わせ(43年4月)も記録されています。金原は、1955年に防衛庁に入隊し、翌56年に第4代衛生学校校長になり、『衛生学校記事』の初代編集委員長でした。
このように、細菌戦の思想と知識・技術は自衛隊に引き継がれていると考えられます。内部誌の公開・研究は、過去の残酷な仕業の暴露ではありません。戦前の陸軍から戦後米軍と自衛隊に引き継がれた細菌戦の研究や情報を明るみに出す手掛かりとなります。
―いま、改めて731部隊を問う意味は。
侵略戦争を肯定・美化する安倍政権のもとで、加害の歴史の事実を明らかにすることは重要です。なによりも科学や学問が戦争に加担した戦前のあやまちを繰り返してはいけません。
いま大学人や医師が重大な疑いを持っているのは、安倍首相の肝いりではじまった加計学園獣医学部新設問題です。全国的に獣医は足りているのに、なぜ獣医学部を新設し、どんな獣医を養成しようというのか。その真のねらいは何か。地方創生相として新設に関わった石破茂氏の「4条件」が変遷していることに着目します。“生物化学兵器に対応するのも「新しいニーズ」だ”としています。同獣医学部には炭疽菌のような極めて危険な「バイオ・セーフティ・レベル」(BSL)3の実験施設を設置する計画であることが判明しつつあります。軍事的利用を射程にいれた獣医学部の新設は、絶対に許してはいけません。
「しんぶん赤旗」より転載
南イタリア・シチリアの旅から
まずナポリ近郊にあるポンペイ遺跡。
ポンペイ(ラテン語: Pompeii、イタリア語: Pompei)は、イタリア・ナポリ近郊にあった古代都市。79年8月24日の昼過ぎ、ヴェスヴィオ火山噴火による火砕流によって地中に埋もれたことで知られ、その遺跡は「ポンペイ、ヘルクラネウム及びトッレ・アンヌンツィアータの遺跡地域」の主要部分として、ユネスコの世界遺産に登録されている。
ローマ人の余暇地として繁栄したポンペイの最盛期の人口は約2万人といわれる。18世紀に発掘が開始され、現在は主要な部分が有料で一般公開されている。この遺跡は、カンパニア州ナポリ県所属の基礎自治体(コムーネ)・ポンペイの市域に所在するが、現在のポンペイ市街は19世紀末に建設されたもので、その中心部は古代ローマ時代のポンペイとは少し離れている。
(Wikipedia)
↑金持ちの家。
金持ちの家には鉛管による水道が引かれていた。↓
庶民は町中の水汲み場で水を得ていた。
パン屋、魚屋などの食料品店から裁判所などの行政機関も全てそろっていたそうだ。
娼館もいくつかあったようで、男性のシンボルが道路に彫られていて、その指し示す方向に行くと娼館の入り口につく。中には石のベッドが設えられた個室があって、入り口の上には体位の絵が。石だと居心地が悪いので回転が速くなったという。
お好みの体位を選んだそうだ。値段も違ったという。
トルコのエフェソスでも娼館遺跡があって、道路を隔てた図書館前に入り口があり、地下道で道路の下を渡って娼館に入れるようになっていた。
直に入場するのは気がとがめたのだろう。
そこにいた女性たちは奴隷と地方から出てきた貧しい家の出身者。
2000年以上も前から、現代と変わるところはないな。
そして円形劇場。
中心に立って声を上げると、その音響効果にびっくり。バリトン歌手になったようだった。
主として悲劇が演じられたそうだが、隣の広場の横には奴隷たちを押し込めておく牢屋も沢山あって、その奴隷たちは真剣での殺し合いや、猛獣とのたたかいを強いられたそうだから、奴隷などは家畜同然だったのだろう。731部隊も捕虜は「マルタ」だった。
人類の持つ狂気もやはり数千年に渡って変わっていない。