しんさいでいっぱい死んだからつらいけどぼくはいきるときめた | 函南発「原発なくそう ミツバチの会」 ノブクンのつぶやき

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涙無しに読めないよ。

この子が言われなき差別でどんなに苦しんできたのか。

そしてそうした苦しさにまったく寄り添えなかった教育現場。

でもこの子の勇気ある言葉は、本当に凄いぞ、強いなぁと思う。

いまでも差別、いじめに苦しんでいる人たちへの心強い応援だろう。

アメリカでもトランプの暴言を受けて、マイジョリティーへの差別いじめが激化しているそうだが、

いつまで愚かな行為を続ければ人々は覚醒するんだろうか。

 

昨日は横浜で飲み会があり、久しぶりに横浜駅西口地下街の有隣堂で沢山の本を眺めていたら、桜井誠とかいうレイシストの本が山積みにされていて驚愕した。

こんな本がそこそこ売れるから、山積みされているんだろうと思うと反吐が出る。

神奈川県を代表する本屋の有隣堂も地に落ちた。

 

 

 

写真

 

 

 東京電力福島第一原発事故で福島県から横浜市に自主避難した中学1年の男子生徒(13)の小学生時代のいじめ問題で、被害生徒の代理人弁護士が15日、生徒が小学6年の時(2015年7月)に書いた手記の抜粋などを公表した。長期間にわたるいじめで「なんかいも死のうとおもった」が、「しんさいでいっぱい死んだからつらいけどぼくはいきるときめた」との決意がつづられている。

 

 「ばいきんあつかいされていつもつらかった」「でも、ぼくはいきるときめた」。福島県から横浜市に自主避難した中学一年の男子生徒(13)の市立小学校時代のいじめ問題で、十五日に公表された手記には、生徒の赤裸々な心情がつづられている。「他の多くの子の励みになれば」。手記の公表には、いじめに悩む子どもたちへの生徒自身の願いが込められている。 (志村彰太)

 

 この日会見した代理人の黒沢知弘弁護士によると、弁護士側は当初「子どもの成長に影響があるのでは」と手記の公表に慎重だった。だが、生徒自らが希望した。生徒は「震災で多くの人が亡くなった。自分は命をつなぐことができたから、生きなきゃいけない」と話したという。

 

 生徒は避難直後の小学二年の時から名前に菌を付けて呼ばれるなどいじめを受けた。「ばいきんあつかいされて、ほうしゃのうだとおもっていつもつらかった。福島の人はいじめられるとおもった」と感じていた。

 

 五年の時には「(原発事故の)賠償金をもらっているだろう」と言われ、同級生から遊興費をせがまれた。「すごいいらいらとくやしさがあった」が、「ていこうするとまたいじめがはじまる」と遊興費を負担した。

 

 さらに学校側に何度訴えても無視されていたことに触れ、「なんかいもせんせいに言(お)うとするとむしされてた」と、悔しさをにじませた。生徒は三年のころから休みがちだったが、六年になると一度も登校しなかった。

 

 被害生徒の両親はこの日の会見で声明を公表し「親として子どものSOSに対応できなかったことは情けない」としつつ、学校側の対応には「学校・教育委員会はここまでしないと動いてくれないのか」と不満を示した。本紙の取材に対し父親は、原発事故の影響で福島県内で仕事をなくし、横浜市内で新たな仕事に就き、慣れるのに必死だったと明かした。

 

 生徒は今フリースクールに通い、前向きに過ごし始めているという。「今は、それだけでいいと思ってます」。両親の声明には、平穏な日常を取り戻しつつある安堵(あんど)がにじんでいた。

 

      ◇

 

 横浜市教育委員会の岡田優子教育長らは十五日会見し「(被害生徒に)苦しい思いをさせて申し訳なかった」と陳謝。いじめへの対応がなぜ遅れたか今後検証するという。

 

「東京新聞」より転載

 

 

横浜市教育委員会も、歴史修正主義の社会科教科書選びなんかに熱中していないで、こうした問題にこそ真摯に取り組みなさいよ。

恐らく教育現場の中で、教師集団に民主主義が保証されていない、職員会議などの形骸化とか職務多忙とかの要因もあるのだろう。

上からの締め付け改革、一方的な通知などで問題が改善するとは思えない。