55年目の国会前の風景――「民主主義って何だ! 」 /安倍晋三の本質に迫る二つの記事 | 函南発「原発なくそう ミツバチの会」 ノブクンのつぶやき

函南発「原発なくそう ミツバチの会」 ノブクンのつぶやき

「原発なくそう ミツバチの会」の活動報告や事務局ノブクンの日々のつぶやきを発信しています。

報道ステーション

心ついたときに意識した首相が岸信介だった。「安保反対、岸を倒せ」。小学校1年生だったが、中学教員の父が鉢巻きをして国会前に出かけるのをみていた。だから「岸」といったら、「反対」「倒せ」という言葉が条件反射的に出てきた。この写真はネット上にある、1960年6月18日に33万人(警察発表は13万人)が国会を取り囲んだときのものである。いま、孫の安倍晋三が、祖父とよく似た風景を目撃している。

60年安保の国会をとりまくデモ隊

私より1つ年下の安倍首相は、祖父の膝の上で、「おじいちゃんをいじめる悪い奴ら」への怒りをつのらせていたのだろう。岸以来、首相は26人。これまでの首相は、集団的自衛権行使は違憲という政府解釈に手をつけることはしなかった。しかし、安倍首相は、昨年7月、長官人事に介入して内閣法制局をねじ伏せ、集団的自衛権行使は憲法上可能という政府解釈の変更を行った。この「7.1閣議決定」を具体化した安保関連法案は、9割の憲法研究者、存命中のほとんどの内閣法制局長官経験者、そして、3人の最高裁判事が憲法違反の疑いを指摘している。だが、安倍首相らは、憲法について判断できるのは憲法学者ではなく、最高裁だと繰り返してきた。

先週、ついに最高裁元長官の山口繁氏が「少なくとも集団的自衛権の行使を認める立法は違憲だと言わざるを得ない」として、「7.1閣議決定」を「立憲主義とは何かをわきまえていない」と厳しく批判した(『朝日新聞』2015年9月3日付、共同通信配信『東京新聞』9月4日付)。安倍首相らが法案を合憲とする根拠として持ち出す砂川事件最高裁判決についても、「非常におかしな話だ。砂川事件の判決が集団的自衛権の行使を意識して書かれたとは到底考えられません」と明確に否定した。ところが、この山口元長官の発言について中谷防衛相は、「現役を引退された一私人の発言」と無視する姿勢を示した(9月4日特別委員会)。安倍政権には論理も法理も通用しないようである。そういえば、安倍首相は、「我々が提出する法律についての説明はまったく正しいと思いますよ。私は総理大臣なんですから」(2015年5月20日、国会党首討論で)と言ってのけたことを思い出す。

こういう人物が内閣総理大臣として自衛隊の最高指揮監督権をもっている。安保関連法案が成立すれば、自衛隊の活動範囲は飛躍的に拡大し、日本が攻撃されていなくても、「最高責任者の私」の裁量判断で「存立危機事態」を認定して、部隊の出動(武力行使を伴う)を命ずることが可能となる。国会の答弁はほとんど同じ言葉のメモを読むだけ。テレビに出て奇妙な例え話(不良から麻生クンを守る等々)を懸命にしている姿は無様としか言いようがない。9月4日には、特別委員会開会中にもかかわらず、大阪の読売テレビに乗り込み、ワイドショーに生出演。「丁寧な説明」をしたつもりになっている。

このような人物が国のトップにいること自体が、周辺諸国の軍備拡張傾向(特に中国のド派手な「抗日70周年軍事パレード」〔9月3日〕)を助長する口実を与え、この地域の安全保障環境を悪化させる要因となっているのではないか。早く、本人の口から「私がいることでマイナス」という「真実」を語らせるようにしないと大変なことになる。

安倍政権の立憲主義を踏みにじる暴挙に対して、多くの人が、ふがいないメディアには期待せずに、自ら国会前に行って声をあげるという行動に出ている。このやむにやまれぬ行動は、全国各地で、安保法案に反対する集会やデモという形で持続的に発展している。年齢の広がり(高校生、ママの会から高齢者の会まで)、参加層の多様性(創価学会の会員も)はかつて見られなかったことである。


デモというのは、憲法21条により保障される表現の自由の最も「原始的」(プリミティヴ)な形態であるとともに、政治参加の基本権として、議会制民主主義を補完・活性化する機能をもつ。近年、SNSの発展により、集会やデモの規模や内容はかつてなく広まっている。これは、ビラやポスターで集るのとは違った、新しいタイプの運動に発展している。こうした集会やデモは、選挙で選ばれた(といっても絶対得票率24%(小選挙区、比例は17%))安倍政権が、過半数の国民が法案に反対(説明が不十分は8割)しているのに、まったく聞く耳をもたず、採決を強行しようとしていることに対するまっとうな権利行使と言えるだろう。そうしたなか、8月30日(日曜)、国会前とその周辺に12万人もの人々が押し寄せた。私の周辺でも、こんな人がという人たちが国会前に行こうと腰をあげていたから、もし晴れていたらもっと多くの人が参加しただろう。

BBCワールドニュース

私は、29日から31日まで新潟と札幌で講演をしていたが、当日13時過ぎから、国会前に行った人たちから写真付きのメールが携帯に続々と届くようになり、まるで国会前中継の様相を呈した。札幌の講演では、この国会前からのメールについても紹介したので、「臨場感あふれる話になった」という感想をもらった。

 札幌駅近くのホテルにもどってNHKなどのニュースを見たが、国会前集会のことはほとんどやっていなかった。日曜日だったこともあるが、それにしてもこのスルー(無視)は何だろうか。唯一、外国人客用の国際放送チャンネルで、英国BBCのワールドニュースをつけている、23時と翌31日午前1時の2回、それぞれ違ったレポーターで国会前の状況を詳しく伝えていた。23時の分では、上智大の中野晃一氏が英語でインタビューに答えていた。日本にいながら、日本で起きた出来事を、外国のメディアで知るはめになった。

(中略)

さて、当日、国会正門前の「最前線」に行って、刻々とメールや写真を送ってくれた直言スタッフの一人に、当日のルポを書いてもらった。以下、本人撮影の写真とともに掲載する。


国会前からの報告

13時に着いた私は、すでにコールを始めているシールズを見つけ、そこへいった。法案に反対している意思を政府に表明したいが、何にも属していない私のような一人参加の人間にとって、シールズの存在は「灯台」だ。毎週金曜に立っているという彼・彼女らの行動の誠実さと努力には感謝してもしきれない。

SEALDs

この時点でシールズは、国会議事堂からずっとずっと手前、200mくらい下がった歩道の植込みで声をあげていた。日曜で交通量が少ないにもかかわらず、国会正門前から真っ直ぐに伸びる車道へは出られないように鉄柵が置かれ、そのため、続々と集まって来る参加者が、狭い歩道にひしめきあっているが、その広くもない歩道にさえ、警察は通行路の確保としてコーンを置き、半分に仕切っている。警官がコーンの外側で立ち止まってコールしようとする者たちに、「通路ですから立ち止まらないでくださ~い」と注意を促す。コールする人の数はもう歩道の半分ではとても収まらない。コーンの内も外もどんどん人で膨れあがり飽和状態だ。給水車も出ている。太鼓の音。拡声器の声。霧雨と汗の混ざった匂いが蒸気になって立ち昇る。コールは続く。


  ♪センソウホウアン ゼッタイ ハンタイ!(戦争法案絶対反対!)
 ♪ア・ベ・ゥハ・ヤ・メ・ロ!(安倍は辞めろ!)

国会前の車道に広がる人々

やがてコーラーの声に「♪前へ、前へ」というのが混ざってきた。シールズの移動に合わせて、その場の者たちも少しずつ歩道をジワリジワリ前進していく。私も続く。すると、給水車のあたりで1人2人3人、次々に鉄柵をまたぎ出した。10人、20人、その勢いはあっという間に広がって、とうとう柵をずらして皆、道路へと出て行った。国会議事堂の正面まで真っ直ぐに伸びる道だ。警官らは、黄色い規制テープを握り合ってバリケードしているが、皆それも突破して前へ。私もそのまま一番前まで進んで行った。

警察車両と議事堂

そこからの警察の動きは速かった。黄色い規制テープ突破の小競り合いは最低限にして、その分、行く手へ先回りし、国会正門前へ横断する手前の道路に鉄柵を並べて、そこで人も車も通行を遮断。国会議事堂へ渡る道は封鎖されてしまった。それは思いがけないことだった。そのまま議事堂の前まで行かれると思っていたから、まさかこんなに手前でバリケードされるなんて。

しかも鉄柵だけではない。ほどなく、特10、特11などと書かれた数台の警察車両が横付けされ、私たちの視界から議事堂が消えた…。主権者が国会へ近づけないという、この理不尽感、疎外感。シールズの言う通り、“民主主義ってなんだ?”ろう。

TBSの金平キャスター

驚いたので、物を知る誰かに尋ねてみたく、運よくちょうど隣でカメラマンと取材をしていた金平キャスター(TBS)に、口に出るまま訊いてみた。「あの、こんなのっていいんですか?」。金平さんは、なんら構えることなくその質問に人として答えてくれた。さすがは『報道特集』。伊達じゃない。あの番組は本物だと実感した。

鉄柵の向こう側を、黄色いひまわりのブローチと「弁護士」の腕章をつけた男性二人が歩いているのが見えた。彼らにもこの封鎖ラインの位置は過剰規制なのかどうか、法的見地を質問してみたかった。警察車両で議事堂を隠して封鎖する門前払いは、真実を隠して国民の意見を聞かない、現政権の姿勢をなんとも象徴している。



  ♪ドーデモイーナラソーリヲヤメロ!(どうでもいいなら総理を辞めろ!)
 ♪カッテニキメンナ!(勝手に決めんな!)コクミンナメンナ!(国民舐めんな!)
 ♪ハイアン!(廃案)ハイアン!(廃案)…

警備車両と2人の警察官

最初に、「♪前へ、前へ」のコールで前進したように、私はこの鉄柵も皆で超えて行くのかと期待した。だが、そうはならなかった。コールを続ける私たち市民らと議事堂とを隔て、威嚇的にそびえる警察車両と鉄柵の前で、私は、この規制は正しい規制なのかどうか、自分も含めてこれは温室育ちの抵抗ではないのか、法案反対を求める表現・場所・通行の自由や権利は、本来どう認められるべきなのか、判断つかずにまだモヤモヤしていた。

プラカード

そこへ後方から大きな布が、皆の手をつたい回ってきて、前へ、上へと送られていく。「ええ?!何コレ?!」風船が100個くらいついている。なんと、巨大な布の風船プラカードが、上空から易々とバリケードを突破したのだ。

「ヒュー!!!ヒュー!!!ヒュー!!!」。バリケードで行く手を封鎖されたうっぷんを平和的に晴らしてくれる風船プラカードに、皆から歓声と拍手があがる。

ずっと見ていると、この「安倍やめろ」と大きく書かれた風船プラカード、途中で少し緩み、ふわ~りと警察車両の屋根の上に着地してしまった。「おおっ!」と思った瞬間、間髪入れずにパトカーのサイレンが「ウーウーウーウー!」とけたたましく鳴った。そんなハプニングも挟み、風船プラカードは再び空へ戻っていった。

この日、どんな人たちが参加していたか。私は国会正面の位置に立っていたが、そこで、背中に厚紙をぶら下げているかなり高齢の方を見かけた。小雨にあたって、その紙はだんだんと破けている。メッセージは手書きだ。「戦争法案反対。学会員の多くは自民党のシッポになり下った公明党の幹部達に怒りを持っています。元創価学会員」。群衆の中で疲労が見え、立っているのも辛そうな様子。生命をかけて「訴え」に来られたんだなと思った。

プラカード

その他、団体ののぼり旗ももちろんたくさん見られたが、自分の周囲には私のような一人参加も少なくなく、夫婦・親子・恋人などのペアや、家族や友人との少人数型も目立っていた。年齢も、小さな子から90歳くらいとおぼしき方まで、どの年代が突出しているとも思えない、万遍ない層の参加があったのではないか。そして、なんとも普通に、さり気なく来ている人を多く見かけ、それにも新鮮な印象を受けた。そのように、「参加することを特別なことと捉えない」、肯定されるデモ、デモの一般化、デモと日常、デモとの距離の縮まりというのも、新しい形なのかもしれない。

16時まで参加し、帰宅後NHK「ニュース7」を見たが、この件に関しては、おざなりに野党党首を映しただけだった。現場には、国内外のマスコミのカメラや記者がいっぱいで、上空にもヘリが飛んでいた。これはメディアもしっかりと報道してくれるだろうと思っていた、のにである。むしろ、この度の安保法案に関するデモで報道されるべきことは、「個人が目覚めた民主主義行動」という点ではないだろうか。「立憲主義を知った個人の行動」でもいい。それがなぜ、野党党首を映すだけの報道なのか。政治家や有名人が挨拶したことよりも、雨の中、休日、電車に乗って、大勢の名もない市民が、「自分の意思で」そこに出かけて行ったことのほうが、日本の民主主義にとってよほど大きな変化ではないのか?

翌朝、月曜の朝日新聞の冷めた一面のレイアウトにも驚いた。「左の肩」は新聞を4つに畳んだら見えない位置だ。この日一面トップニュースの位置を飾ったのは「住宅耐震82%鈍い伸び」だった…。いったい朝日は、何万人が集まればトップニュースに据えるというのか?

NHKも朝日新聞も大企業であり、条件としていい就職先であることは間違いがないだろう。だが、報道会社に就職する人たちの目的がそれだけで、自分自身の社会問題に対する意識が低いのでは、ジャーナリストでなく、「ジャーナリーマン」になってしまう。それでは国民の「知る権利」に関わる民主主義機能の一役を担えないのではないだろうか。

警察官の鉄柵をつかむ手

ところで、国会前のバリケード規制とそれに抗議しなかった点についてモヤモヤ感が残った。鉄柵が置かれた規制ラインに、どれくらいの法的根拠があるのか私は知らない。ただ、あの時連想したのは東日本大震災で、整然と行列に並んだ現象を海外から褒められたことだ。その特徴をこの事象に当てはめてみると、「飼いならされた無抵抗の大人しい国民と褒められて喜んでいていいのだろうか?」となる。


なぜそんな当てはめをするのか。念頭に浮かぶのは、衆議院で安保法案の強行採決をした翌日、某大臣の「みんなのとこはどうだ?俺んとこの事務所にはほとんど電話もなかったぞ」=だから国民は法案に賛成なんだ、との発言である。政府にもマスコミ(扱いが小さかった社)にも、国民が真剣に怒っていること、怒りの表現はどうすれば認識されるのか。

この疑問と集会の一部始終を私は電話で母に話した。するとこういう意見がかえって来た。「落ち着いた行動をしたのでしょう。主催者は立派です。政府には、みんなの抗議がしっかりと伝わっていると思うよ」と。そう考えると、警察車両で過剰にガードするということ自体、政府に怒りが伝わっているということか。

7月26日、日比谷野外音楽堂での「法曹と学者の集会」に参加した際、シールズの奥田君のスピーチを聴いた。彼が引いたエーリッヒ・フロムの言葉の中に「うずくまった虎」というのがあった。

≪希望は逆説的である。希望はうずくまった虎のようなもので、とびかかるべき瞬間が来た時に初めてとびかかるのだ。希望を持つということは、まだ生まれていないもののためにいつでも準備ができているということである。たとえ一生のうち何もうまれなかったとしても絶望にならないということである。弱い希望しかもてない人が落ち着くところは太平楽か暴力である。強い希望を持つひとは新しい生命のあらゆる兆候をみつけてそれを大切に守り、まさに生まれようとするものの誕生をたすけようといつでも準備を整えているのである。≫

奥田氏の演説

私には、この虎は「憲法」に思えた。眠っているように見える虎は、真正の危機には決して黙っていない、「吠える虎」である。これまでも勝手な解釈にさらされて来た憲法だが、さすがに今回の解釈には怒って吠えた。

また彼はこうも言った。「私たちは常に「問われている」」と。私はシールズのとる方法や姿勢には、肥大してしまった組織にはない、常に自らに「問う」、哲学を感じる。そこに惹かれる。彼らの有名になったコール「民主主義ってなんだ?」に「これだ!」と応える、あの英語ヴァージョン。
♪Tell me what democracy looks like.
♪This is what democracy looks like.

「これだ!」と言い切らない、「looks like」が付いているところが素敵だ。誰もこれが正解なんて言ってない。常に悩みながらやっている。正解がわからないから何もしないというわけにはいかないんだ。

奥田君:「どうしてこんなに国会前に立ってるかって?うっせー!民主主義だから仕方ねーじゃねーか!」

彼らは今、自分の生き方をとおして、社会に蔓延する「正解思考」、「結果追随思考」にも、問うている。



早稲田大学教授「水島朝穂の平和憲法のメッセージ」より転載




安倍独裁 許されぬ根拠

絶対得票率2割 長期低落が自民の実態   

 8日、自民党総裁選が告示され、無投票で安倍晋三の再選が決まった。沈黙する与党議員のせいで民意無視の政権運営は加速するばかり。前日には、米軍普天間飛行場(宜野湾市)の名護市辺野古への移設を巡る政府と沖縄の協議が決裂し、国と沖縄の全面対決が確実に――。16日には、国民の反対をよそに参議院で安全保障関連法案が強行採決される見通しだ。


  主権者は国民のはずだが、実情は安倍独裁。勝手に国の根幹を変えるという、事実上のクーデターがまかり通ろうとしている。
 安倍と自民党に、ここまで傲慢な政治を行う資格があるのか?


総裁選 ― 力(ちから)とカネで無風を演出



  自民党は衆議院で290、参議院では115の議席を有している。400人あまりの国会議員がいるというのに、安倍に対抗した野田聖子衆院議員の推薦人20人が集まらなかったというのだから、呆れるしかない。同党の中は、まさに「大政翼賛会」。戦争に向けて、安倍と心中する覚悟のばか者ばかりということだ。

 「批判はあっても支持率は40%。官邸に逆らえば、(私の)次の選挙がなくなる」――ある自民党議員の言葉だ。たしかに、報道各社の世論調査では法案反対が多数を占めながら、政権の支持率は依然として4割もある。選挙の公認権は党本部にあるが、現在の自民党は事実上の官邸主導。今回の総裁選でも、離反しそうな議員を官房長官が次々に呼び出し、飴とムチで懐柔したのだという。材料は、選挙における党の支援とカネ。“おかしな動きをしたら選挙はないぞ”と脅す一方、各議員に100万円を配ったというのである。やはり、官房機密費は国政のための軍資金ではない。かくして、自民党は右向け右。戦争に向かって「挙党一致」の状態だ。


じつは脆い「一強」の基盤



  政治の世界、「数は力」と言われてきた。だが、自民党の数(議員数)が、じつは張りぼてであることを、再認識する必要がありそうだ。

 昨年暮れの総選挙、自民党が選挙区で得たのは2,546万1,448票。比例区では1,765万8,916票しかとっていない。有権者は1億432万人で、候補者や政党の得票数を有権者数で割った「絶対得票率」は、それぞれ24%、16%という数字になる。自民党は、およそ2割の有権者の支持しか得ていないのだ。

 そもそも、「一強」と言われてきた自民党が、必ずしも上り調子というわけではない。下は平成15年、17年、21年、24年、26年に行われた衆議院の総選挙における自民、民主、共産の小選挙区と比例区の政党別得票数をまとめた表だ。



 平成21年の選挙で民主党に政権を奪われた時、自民党が小選挙区で得たのは2,730万票。比例区は1,881万票だった。そして平成24年、294議席を獲得して政権を奪い返していながら、小選挙区では200万票減らして2,564万票しかとっていない。比例区も同様に200万票減、1,662万票にとどまっている。


 票を減らしながら議席が急増するという不可解な現象が起きた最大の要因は“投票率”の低下。平成21年に69%台だったものが、24年には59%台へと下がったからだ。下がった投票率の分、他党の票が減っただけ。自民への支持が増えているわけではない。


 自民党は昨年の総選挙でも圧勝したが、小選挙区で得たのはは2,546万票。24年から、さらに20万票あまり減らしている。比例は100万票増の1,765万票となったが、それでも政権を失った時の1,881万票には届いていない。自民党は、民主党に政権を奪われた平成21年の選挙の得票を、以後一度も超えておらず、むしろ長期低落傾向にある。つまり「一強」は張りぼて、裏返せば、政権を揺るがす力も能力もない者の「言い訳」なのである。


変貌した自民



  かつての自民党は、各派閥の領袖が総理・総裁の座を激しく争い、疑似政権交代を繰り返すことで活力を得ていた。「三角大福中」「安竹宮」などといわれるほど人材も豊富だった。だが、現在の自民党はどうか?負けが見えている野田聖子の挑戦を受け止めることもできず、力とカネで押し潰すというお粗末さ。党内に人材がいないことを宣伝しているようなものだが、肝心の自民党議員がそれに気付いていない。「公より私」――そうした政治家が増えすぎたせいでもある。

 国民の半数以上が戦争法案に反対し、憲法学者の9割以上、さらには憲法の番人である最高裁判所の元長官までが違憲を指摘するなか、それでも安倍自民は法案を通すのだという。戦後70年、一人の戦争好きと変貌した政権政党のために、この国の民主主義が音を立てて崩れようとしているのは事実。だが、有権者の2割の支持しか得ていない政党に、そんな事をやる資格があるとは思えない。

「Hunter」より転載




張りぼて安倍内閣を如何に退陣に追い込むか。
支持率4割という、僕に言わせれば日本国民の信じられないような政治情勢の認識をどう変えられるのかに掛かっていると思う。

マイナンバー制度なんかが導入されると、さらに権力政党の国民支配が強まるんだろうなぁ。
おおっ、恐ろしい。
そんな社会の到来を許さないためにみんなで力を合わせて頑張らないとね。


伊豆の小さな町函南でも力を合わせて頑張ってる。
近隣の方、是非ご一緒に声を上げましょう。

  緊急! 
  函南・九条の会 からのお願いです。
  「戦争法案 強行採決許さない」 
  緊急宣伝行動に参加してください。

 
日時  2015年9月12日(土) 午後2時~4時
場所 
 ① 函南役場西側 交差点        午後2時00分
      
 ②  マックスバリュー 交差点   午後2時40分
      
 ③  コンボ西側 136号線沿い  午後3時20分

 

◎持ち物  ポスター、旗等準備しますが、各自お持ちより下さい。
◎歩ける方は、宣伝を兼ねて徒歩で次の場所まで移動します。

 

                      よびかけ・函南9条の会