巨大で無駄な新競技場建設に巨費をかけるより、地道に頑張る者たちへこそ支援を!! | 函南発「原発なくそう ミツバチの会」 ノブクンのつぶやき

函南発「原発なくそう ミツバチの会」 ノブクンのつぶやき

「原発なくそう ミツバチの会」の活動報告や事務局ノブクンの日々のつぶやきを発信しています。

4年前、ワールドカップ(W杯)トロフィーを手にした彼女たちは口をそろえました。「これで女子サッカーが少しでも注目されれば」。かがやく笑顔の中にみなぎる使命感がありました

▼世界の強豪相手に勝ち上がり、ふたたび立ったW杯決勝の舞台。雪辱に燃える米国の怒とうの攻撃の前に敗れたとはいえ、最後までひたむきにボールを追う日本代表の姿は変わりませんでした

▼主将の宮間あや選手は決戦を前に「このW杯前はまた国内リーグや女子サッカーへの関心が薄れてきていた」と話していました。だからこそ結果を出したいと。実際、前回の優勝後、「なでしこリーグ」の観客数は3倍に。しかし、その年をピークに減り続けています

▼競技環境も依然きびしい。今大会で活躍した有吉佐織選手はアマチュア契約。普段はフットサル場で受け付けの仕事をしています。プロが増えたといっても、リーグ所属のほとんどが仕事やバイトをしながらのアマ選手です

▼サッカーを続けられる道も狭い。先駆者の澤穂希選手は自伝でこんなことを。「サッカー少女の進路には、サッカー少年のように数多い進路はなかった」。より高みを目指したいのに先がない。彼女たちはそんな苦悩の中で必死に草を分けて開拓してきました

▼女子サッカーをブームではなく、文化として根付かせたい。宮間選手の思いは、女子選手たちの共通の願いです。たった一つの競技場に巨費を投じるよりも、少女たちの未来につながる道をひろげるべきではないか。


「しんぶん赤旗」より転載


一点豪華主義の典型で役にも立たないことが今から見通せる新国立競技場に2500億円もかけるなら、アルバイトをしながら世界の舞台での活躍をめざして頑張る若者たちにこそ支援をさしのべた方が良いに決まってる。
宮間あやは前回のW杯優勝後、世界各国のプロチームからの破格の誘いを断って「女子サッカーを一時の人気にするのではなく、日本に文化として定着させたい」がために、日本のチームに残って頑張ってきたという。
そうした意気込みに答えてやろうという気持ちは、今の安倍内閣にはないのか。
口先男は相変わらず「感動した」なんて感想を述べているようだが、本当に感動したのなら、馬鹿な新国立競技場建設を廃案にして、その金を少年少女の夢実現に向けたらどうだ。

「毎日」がこの問題に対して鋭い批判記事を書いているので転載する。

特集ワイド:なぜ見直せない「新国立」 核燃サイクルと同じ“国策の暴走” 「復興五輪」の理念どこへ

毎日新聞 2015年07月06日 東京夕刊

本体工事が始まった八ッ場ダム建設予定地=群馬県長野原町で2015年1月21日、角田直哉撮影
本体工事が始まった八ッ場ダム建設予定地=群馬県長野原町で2015年1月21日、角田直哉撮影
日本原燃六ケ所再処理工場=青森県六ケ所村で2011年3月、本社機から小松雄介撮影
日本原燃六ケ所再処理工場=青森県六ケ所村で2011年3月、本社機から小松雄介撮影

 これはもう「無謀な国家プロジェクト」と呼ばざるを得ないのではないか。巨額な資金を投じることに反対の声が強まる中、2020年東京五輪・パラリンピック大会の主会場になる新国立競技場(東京都新宿区)の建設計画が進んでいることだ。


総工費は当初予算を895億円上回る2520億円になるが、財源が確保できていない。国の借金は1000兆円超なのに、なぜ、一度動き出した国策は止まらないのか。【堀山明子、吉井理記】


 「(東京五輪誘致で)支持を獲得できた大きなポイントは、あの新国立競技場の姿のはずだ」。大会組織委員会の調整会議が行われた6月29日、会長を務める森喜朗元首相は、アルゼンチンのブエノスアイレスで13年9月に行われた国際オリンピック委員会(IOC)総会の最終演説を思い起こさせた。「あの姿」とは、キールアーチと呼ぶ2本の巨大な構造物を備えた現計画案だ。


 確かに、この総会で東京五輪の開催が決まり、関係者らは歓喜した。しかし、総工費が倍近くに膨らむ前の話だ。


 巨額な総工費を懸念する建築家らは計画の見直しを提案してきた。だが、建設主体の日本スポーツ振興センター(JSC)を管轄する下村博文・文部科学相は「国際公約だから」とほぼ原案通りの設計で建設を進める方針だ。

 JSCは7日に開く新競技場の将来構想有識者会議で、契約内容を報告。その後、施工予定業者の大成建設と竹中工務店と正式に契約を結ぶ段取りになっている。

 新国立の建設予算に895億円の追加がポンと決まる2日前の6月27日、東日本大震災で甚大な被害を受けた宮城県石巻市で、震災後初の「復興マラソン」が開かれた。市は、壊す前の国立競技場から聖火台を借りており、市総合運動公園に設置。この日、初めて「復興の火」がともされた。聖火は1964年の東京五輪で戦後復興のシンボルとされた。その聖火に被災者を励まそうという願いを込めていた。同公園周辺に仮設住宅が建ち並び、市全体では1万人以上が仮設住宅で暮らす。

 主催者は当初、火を絶やさないことを検討したが、断念した。理由は予算不足。火をともし続けるには発火装置の修繕が必要で費用は約800万円。だが、地元企業や市民の寄付は260万円を集めるのがやっと。復興マラソンでは、仮設の簡易発火装置で除幕式とハーフマラソンの4時間だけ聖火を維持するのが精いっぱいだった。

 復興マラソンの事務局関係者は語る。「今後も修繕費を集め、聖火をともし続けられるようになったら、仮設住宅に聖火台を持って行きたい」

 800万円と895億円--。被災地がコツコツと資金を集めている時、新国立の巨額の追加予算が決まった。どう考えても金銭感覚がずれていないか。思い出してほしい。安倍晋三首相は「なんとしても『復興五輪』にしたい」と訴えてきた。石巻市で建設中の復興公営住宅は4000戸に約1000億円かかる見通しだが、もし895億円が被災地に回れば、単純計算で住宅3580戸分の財源になる。

 「国際公約というなら、震災復興を世界に示す『復興五輪』こそ、東京が支持された理由です。復興五輪、環境五輪、コンパクトな五輪という公約の原点に立ち返るべきではないでしょうか」

 こう話すのは、宮城県岩沼市の復興計画を支援してきた石川幹子中央大教授だ。新国立の建設問題が焦点になるあまり本来目指すべきビジョンが失われていると懸念する。

 石川さんは、日本を代表する科学者の組織、日本学術会議の分科会委員長として今年4月、新国立建設計画の修正案をまとめた。約1500本の樹木を伐採して人工地盤を造る現計画案は、自然への配慮が欠けると批判。樹木を残し、地下に眠る水循環を復元して競技場建物周辺に「本物の森」を創り出す案を提示している。学術会議は、首相所管の専門家機関で、政府に勧告ができる。現行案の反エコぶりを見かねて「最低限これだけは修正できるはず」と現実的な案をまとめたという。提案に文科省は「検討する」と答えたというが、採用されるかは未知数だ。

 なぜ、日本は走り出すと止まらないのか。公共事業に詳しい千葉大名誉教授の新藤宗幸さんは「ありえないずさんさ。公共事業の常識からもかけ離れている」とあきれ顔だ。公共事業で当初予算より増加することはあるが、倍増はほとんどありえないという。図面を作る「基本設計」、構造上の強度などを計算する「実施設計」、建設材料を定める仕様書など何段階も確認するのが常識だからだ。

 新藤さんは、思い起こす数少ない非常識の事例として八ッ場ダム(群馬県)を挙げた。建設費は86年の当初計画では2110億円だったが、現在では4600億円に倍増した。首都圏の水需要増加を見越して始まった計画だが、節水技術の進化や人口減で水需要は減少。このため政府は09年にいったん計画を中止したが、11年に「洪水を防ぐ治水」という新たな目的で建設を再開した。


 「必要性などおかまいなく、造ることや予算を維持すること自体が目的化した典型例です。新国立も、本当にあのデザインが必要なのか、吟味しないで決まったのでしょう」と疑問を呈した上でこう批判する。「文科省などは、五輪は国家威信を懸けた事業という時代錯誤的な意識が抜けていない」

 青森県六ケ所村で建設が進む核燃料再処理工場を取材し続けるルポライター、鎌田慧さんも「国家威信」のワナにはまっていると警鐘を鳴らす。国が音頭を取って始めた核燃料サイクル計画に基づく工場建設の予算は、93年の建設開始当初は7600億円だったが、現在は約3倍の2兆2000億円まで膨らんだ。


「核燃サイクルは、技術的問題やコストなどの課題が多すぎ、諸外国はとっくに撤退したのに、日本だけが夢物語にしがみついている。一度決めたら変えない官僚主義のせいです。原子力船むつ、そして新国立も一緒。これでは、日本軍が『撤退は恥』と大勢の兵士を玉砕させた発想と、今も変わっていない」と批判する。


そして市民にもこう問い掛ける。「国威発揚のために無謀な新国立計画を進めることは、必ず民衆にツケが回ってくる。私たち自身、なめられたままで本当にいいのですか」

 IOC調整委員会のジョン・コーツ委員長は6月末、現行の奇抜なデザインでなければ国際公約違反かを問う毎日新聞の単独取材に、けげんそうな表情を浮かべて答えた。「(日本)政府が決めること。IOCが象徴的な施設を求めたものではない」

 国際公約でないなら、市民はもっと声高に叫んでいいのではないか。「この暴走、おかしい」と。


「毎日新聞」より転載



一方、「朝日」も社説でこの問題を取り上げた。


新国立競技場―見切り発車は禍根残す


 野放図に膨らんだ総工費。完成後にのしかかる巨額の改修費。問題山積の新国立競技場の計画について、政府と関係組織はあすにも有識者会合で着工のゴーサインを得る構えだ。

 改めて、言う。このまま見切り発車してはならない。後世に残す国民の財産をめぐる議論はまったく尽くされていない。


 責任者である下村文部科学相は先週、こう述べた。「(計画を見直すと)超法規的な対処をしないと間に合わない。間に合わない時にどう責任をとるのかというと相当リスクがある」


 冷静に立ち止まって考えたい。工期が「リスク」とされるのは、数年後に迫る国際イベントすべてに間に合わせる計画を崩していないからだ。2019年のラグビー・ワールドカップ(W杯)と、その翌年の東京五輪・パラリンピックである。


 もし、現行計画である二つのアーチを架ける斬新なデザインではなく、ごく一般的な設計ならば、どうなのか。


 02年サッカーW杯の決勝が行われた横浜国際総合競技場(日産スタジアム)は、工事の契約から完成まで4年近くかかった。下村氏の言う「超法規的措置」は建築確認手続きなどの簡略化とみられるが、法治国家だけに限界がある。確かに、必ずしも工期に余裕は生まれない。


 ただ、現行計画にもリスクはある。完成時期はすでに当初から2カ月延びて19年5月になった。下村氏は施工業者と厳しい調整を重ねたことを認めている。独特のデザインだけに難工事は必至で、今後も工期がずれる恐れがある。


 これに対し、設計を一から見直す場合は、手続きや工程に要する期間について過去の事業の実績から目安がある。期間をどこまで短縮できるのか、国民にもわかるように必要なデータを公開して検証するのが筋だ。


 その結果、五輪に的を絞ることで間に合うのならば、ラグビーW杯は別の主会場を検討するべきだ。W杯の成功に最善を期すのは当然だが、将来にわたり禍根を残す公共事業を引き換えとするわけにはいくまい。


 総工費は最近、900億円増えて2520億円になった。下村氏の説明では、財源は国と東京都が500億円ずつ、競技場の命名権売却など民間から200億円、残りはスポーツ振興くじの収益などという構想だが、実現性の吟味を欠いた、つぎはぎ案と言わざるをえない。


 もはや、事業主体の独立行政法人や、それを所管する文科省だけの問題ではない。政府全体の姿勢と判断が問われている。

「朝日新聞」社説より転載


しかし何でシンキロウなのかなぁ。
「日本良い国、神の国」発言で総理大臣を首になった亡霊のような人物が、こんなところで生き返り文字通り大きな顔で新国立競技場建設に邁進してる。
またこの案を強く推した安藤忠雄は、昨日の「有識者会議」を欠席したようだ。「有識者会議」って安倍晋三が大好きだけど、
事務局が作った案を「異議なし了承」てなもので追認するだけの「無識者会議」なんだよね。でも多分かなりの日当とお車代なんか貰ってるんだろう。こんな会議にノコノコと出かけていく連中に碌な人物はいないと考えた方が良い。

馬鹿ばかりが顔を揃えている安倍内閣だけど、この程度のことの正常な判断が出来る人間はいないのかね!?