「福島原発はもう終わったことだよ。もう、戦争をやるかどうかなんだから」 | 函南発「原発なくそう ミツバチの会」 ノブクンのつぶやき

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「戦争法案」の動きに目をとらわれていたら、福島では「原発事故なんかなかったことにしちゃえ」という攻撃に抗して、新たな動きが始まっていた。


被害を受けた者が痛みを声にして  
5月24日「ひだんれん」設立



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 福島第一原発事故によって受けた被害に対して、国や東京電力を訴える動きが全国に広がっている。そうした中、訴えを起こしている住民、団体をつなぐ「ひだんれん(原発事故被害者団体連絡会)」が設立された。5月24日、福島県二本松市内でその設立集会が開かれ300人が参加した。「ひだんれん」への参加団体は5月24日現在で13団体(*)になった。

(*参加団体:原発被害糾弾 飯舘村民救済申立団、福島原発かながわ訴訟原告団、福島原発告訴団、福島原発被害山木屋原告団、川内村原発事故被災者生活再建の会、南相馬・避難勧奨地域の会、子ども脱被ばく裁判の会、原発損害賠償訴訟・京都原告団、福島原発おかやま訴訟原告団、福島原発被害東京訴訟原告団/オブザーバー参加団体:「生業を返せ、地域を返せ!」福島原発訴訟原告団、みやぎ原発損害賠償原告団、原発さえなければ裁判原告団)


 集会では、秋山豊寛さん(宇宙飛行士、ジャーナリスト、福島県田村市から京都府内に避難)の講演があり、さらに各地の原告や弁護士から取り組みの報告が行われ、「ひだんれん」共同代表の武藤類子さん(福島県三春町)が「手をつなごう!立ち上がろう!」という設立宣言を読み上げた。
 原告や弁護士の報告では、とりわけ以下のような国の動きに対して、苦しみと怒りの訴えが相次いだ。

 ①自民党復興加速化本部が、居住制限区域と避難解除準備区域について、2年後の2017年3月までに避難指示を解除し、精神的損害賠償の支払いをその1年後には打ち切る方針を打ち出した。

 ②福島県が自主避難者に対する住宅支援を2016年度で打ち切る方針を打ち出した。

 ③国が、年間20ミリシーベルトでの避難解除と帰還促進を基本方針として進めている。

 ④国が、次の原発事故を想定し、電力会社を免責するため、被害者が損害賠償の訴訟を起こせないように制度の改悪に着手している。

 ⑤総じて、国が、「原発事故の被害など大したことない」「福島原発事故はもう終わったことだ」として切り捨てようとする姿勢を露わにしている。


 このような動きに対して、設立宣言では次のように呼びかけた。「国と東電に対し、被害者の責任として本当の救済を求め、次の目標を掲げます。1.被害者への謝罪、2.被害の完全賠償、暮らしと生業の回復、3.被害者の詳細な健康診断と医療保障、被曝低減策の実施、4.事故の責任追及‥‥。


 私たちは、諦めることをしません。口をつぐむことをしません。分断され、バラバラになることをしません。私たちは手をつなぎ、立ちあがります。そして、すべての被害者の結集を呼びかけます」

 以下、集会発言から4団体5人の報告要旨を紹介する。

 

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真っ赤になって怒らねば


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福島原発かながわ訴訟原告団 村田弘さん
(南相馬市小高地区から横浜市に避難)



 福島から神奈川に避難している61世帯174人が現在、横浜地方裁判所で、国と東電の責任を認めて訴訟をたたかっています。今月の20日に9回目の口頭弁論を終えたところです。

 ところで、ほんとにひどいと思いませんか。自主避難者への住宅支援の打ち切り、それから居住制限区域などの解除の方針。そういうことが相次いで報道されました。この4年間、収束宣言から始まって、安倍首相のアンダーコントロール発言など、福島の原発被害者を蔑ろにする動きに本当にはらわたがちぎれる思いしてきましたけれども、今度こそ、本当に許せないというような気持ちになっています。

 一言で言えば、「福島原発はもう終わったことだよ。もう、戦争をやるかどうかなんだから、『原発で被害を受けて賠償しろ』などといっている場合じゃないよ」と宣言しているに等しいですね。私はそう受けとめています。

 私は昭和17年生まれで73歳になりますが、私が生きてきた70年間の最後に来て、安倍政権という恐怖の集団によって、日本が爆発させられてしまうのでないかと、背筋が凍るような気持ちでいます。

 武藤類子さんが2年前に「私たちは静かに怒る東北の鬼です」と言われて、私も静かに怒ってきました。しかし、もう、そういう段階ではないんじゃないか。本気になって、真っ赤になって怒る必要があるんじゃないか。そういう気持ちで頑張っていきたいと思います。




思っていることを
言えないようにしている、
その根本とたたかう



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原発賠償訴訟・京都原告団 菅野千景さん
(福島市から京都市に避難)




 京都には51世帯144名の原告がいます。大人から子どもまでが原告となり、大阪や兵庫と協力しながらたたかっています。

 原発事故が起きて、食べ物や飲み物、生きるために必要な水や空気、大切な人との関係、それらがすべてこれまでと同じようにはできなくなってしまった。これは、私たち誰もが感じていることだと思います。毎日の食べ物や原発の状態など、そういう緊張感の中で子どもたちの心身の健康を心配しつつ今も暮らしています。

 しかし、その原因であり当事者である東電や国は謝罪もなく、他人事のようにしています。問題のすり替えの繰り返しで、腹の中が煮えくり返ります。

 私は、昨日、福島市に入り、今朝、タクシーに乗って運転手さんとお話をしました。運転手さんは、南向台(福島市。空間線量が高いが避難指示が出されなかった地域)に住んでいるそうです。原発の話もしました。運転手さんは、「(子どもとお孫さんを)もっと線量の低い所に引越しさせるんだ」と話してくれました。私が、「ああ、それはよかったですね。でも、こういう話が、みんなともっと普通に話せる環境になったらいいなあ」と言ったら、運転手さんが振り返って、「本当にそうだねえ。このままではおかしいもんナイ」とおっしゃっていました。

 心の中で思っていることを言えない環境にしている、その根本と、私はたたかっているんだなと感じました。本当のことを言ったら反発や批判を受けるのに、立証もされていないのに「因果関係はない」とか、「問題はない」と言い切る無責任な言葉は正当化されてしまう。そういう現実にとても違和感を覚えます。

 私は県外に自主避難しましたが、福島で暮らす人びと、県内で避難した人びととの間に、これ以上の溝をつくらず、この原発事故で苦しみや不自由さをすべて乗り越えるために支え合うことが必要だと心から思います。

 自主避難者の住宅支援を打ち切るという発表もありました。原発事故で生じた我が家の様々な損失を、個人で訴えて認めさせることが、経済的にも時間的にも精神的にも、本当に難しいと、3年前に実感しました。もう諦めようかと思ったときもありましたが、そのときに、京都で集団訴訟を起こすということを知り、私たちも原告に加えさせていただきました。でも、「東電、国に対してたたかうなんて無駄だ」と言われたこともありました。

 今日ここにきて、みなさんの力強いメッセージに励まされて、また、京都に帰っていくことができます。私は、原発にたいしては本当に無知でしたが、今日ここで、当たり前の暮らしを守ろうとして下さっている方々から勇気をいただきました。

 5月16日、「女たち・いのちの大行進in京都」という集いを行いました。命を守ろう、子どもたちを守ろうという思いの方が、全国から千人以上も集まって下さいました。子どもも大人も今日までたくさんのことを我慢して、諦めて、そして、お別れして、失ってきました。もうこれからは、助け合って、上辺だけの希望ではなく、本当の未来のために、力を合わせて、手を取り合って、進んでいきたいと心から願います。
 



子や孫を思えば
20ミリを基準にしてはならない



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南相馬・避難勧奨地域の会 菅野秀一さん
   

 南相馬市から参りました。南相馬市に特定避難勧奨地点がありましたが、去年12月28日にすべて解除になりました。その解除の理由が、年間20ミリシーベルトなんです。これは高すぎるということで、いま、訴訟を致しております。

 私たちが活動するにあたっての決意を7点ほどにまとめました。

          ・        ・        ・
1. 日本国内のすべての原子力発電所を廃止すること。
2. 日本国内の原子力発電所の再稼働は絶対に反対である。
3. 東京電力福島第一原子力発電所の事故は、過信による人災である。
  国及び東京電力は被災者に対して謝罪すべきである。
4. 原発事故による風評被害は、国の責任において払拭すること。
5. 避難解除基準の年間20ミリシーベルトはあまりにも高すぎる。
  原発作業員の被ばく基準と同じである。
  公衆の被ばく限度は年間1ミリシーベルトである。
6. 原発事故による被ばく者に対して、被ばく者健康手帳を交付すること。
7. 東京電力福島第一原子力発電所の事故は未だに収束していない。
  完全に収束するまで賠償を継続すること。
          ・        ・        ・

 解除で日常的に帰れるようにはなりましたが、現実には、まだまだ20ミリシーベルトを超えるようなところがあります。今から20年も30年も、私の孫たちが、安心して暮らせる、われわれの責任であります。そのために活動して行きたいと思います。




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南相馬・避難勧奨地域の会 小澤洋一さん



 20ミリ撤回ということを訴えています。年間20ミリシーベルトでの避難だとか、避難の解除となっていますが、20ミリシーベルトを世界基準にしたらだめです。

 チェルノブイリの基準では、事故当初は100ミリシーベルト、それが段階的に下がって、5年後に5ミリシーベルトですね。ところが日本政府は、20ミリシーベルトのままでずっと来ております。

 われわれの命の保障や住宅の補償は打ち切って、オリンピックにひた走る。前福島県知事は、国道6号線で聖火リレーをしたいなどと言っていましたが、本当に情けないですね。

 空間線量、地上1メートルで0.14マイクロシーベルトあれば、放射線管理区域なんでんすね、さらに、1.36マイクロシーベルトあれば全面マスクです。
 



先のことを
考えられない状況が辛い


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福島原発おかやま訴訟原告団 大塚愛さん 
(川内村から岡山市に避難)


 

 昨日になって参加を決意しました。7カ月の赤ちゃんを連れてきました。

 77世帯103名が原告団になって2014年3月に提訴しました。原告の多くは、自主避難された方たちで、母子避難で岡山に来ている方もいます。私は、10年間、川内村で築いてきた自給自足の暮らしと、自分で立てた家のすべてを置いて、岡山の方に避難をしてきました。この4年間、何度も振り返ったり、涙を流しながら、生活再建を一歩一歩頑張ってきました。

 避難者の中には、子どもに無用な被ばくをさせたことで、健康診断の結果を気にしながら不安な思いを抱えている方もいます。とても仲が好かった家族がバラバラになり、お父さんは福島に残り、お母さんと子どもだけで岡山で生活を頑張っている方もいます。大好きだったおじいちゃん、おばあちゃんを福島に残し、年に1回、やっと会えるというような方たちもいます。

 原発事故の被害というのは、セシウムも目には見えませんが、受けた被害、心の傷というのも目に見えません。当事者である私たちが、暮らしの中で何が起こったかということを言葉にしないと被害というのは伝わらない。そういうことをこの4年間、つくづく感じてきたので、原告になった私たちは、勇気を出して発言をしています。

 そんな中で、先日、自主避難者の住宅支援打ち切りがニュースになりました。明後日、福島県庁の方に続けてもらうように要望したいと思っております。ある避難者の方が、福島県庁で伝えてほしいという思いをメールで送ってくれました。その方の言葉を読ませてもらいます。

           ・        ・        ・
 なぜ、自主的避難者に対して支援が打ち切られるのか。どんな思いでふるさとを離れ、親族や友だちと離れてきたのか。子どもを思う気持ち、ただそれだけで今を生きている私たちを、どうして支援してくれないのか。知らない土地に、遠い場所に、好んで避難した人なんて誰もいないと思います。

 子どもが生まれて家族になって、これからだというときに、なけなしの貯金を崩し仕事をやめ、すべて福島に残して避難してきました。4年がたち、生活がやっと普通にできるようになり、あの原発事故を振り返らずに、前を向いて行こうとやっと思うようになった矢先に支援の打ち切り。さらに雇用促進住宅は3年後に取り壊しが決まっています。

子どもたちがやっと学校や岡山の生活になじんできてくれました。なのに、私たちはまた引っ越しや転校を繰り返さなければいけないのでしょうか。引っ越しにはお金がかかります。福島に戻るにもお金がかかります。親族に会いに一年に一度帰ることだってやっとの状況です。

 やっとの生活をしている私たちにとって残酷でなりません。お金なんかじゃない。将来が見えないことに、先を考えることができない状況が辛いんです。

 みんな同じだと思います。あれからもう4年。私たちにとってやっとの思いで過ごしてきた4年。やっと落ち着いて、子どもの数年後を楽しみにできるようになったばかりなのです。その小さな幸せさえも支援がなくなったら、また振り出しに戻るんです。どうかもう数年、私たち親が「自分たちが決めた道はこれでよかったんだ」と言えるようになるまで、もう少し時間が必要なんです。どこに行けばよいのでしょうか。もうあんな思いはしたくないんです。

           ・        ・        ・
 こういう言葉をいただいています。

 岡山は西日本で一番、避難者が多い地域で、関東から避難をしてきている人がたくさんおられます。そういう方たちが応援に来てくれ、訴訟に加わっていきたいという動きもあります。

 先ほど、秋山さんが、「この会場に来ていない人たちとつながっていこう」という話がありました。岡山では、福島県に留まっている人たちの保養の受け入れをしています。そのお母さんたちは訴訟には加わっていないけれど、同じ思いでいると思います。県内におられる訴訟に加わっていないたくさんの人たちの思いともつながっていけたらと思います。  (了)



福島 フクシマ FUKUSHIMA」より転載



フクシマを忘れない!!