5月3日は憲法記念日/「私たちは憲法に守られてきた。世界一の平和憲法を崩す必要はない」美輪明宏 | 函南発「原発なくそう ミツバチの会」 ノブクンのつぶやき

函南発「原発なくそう ミツバチの会」 ノブクンのつぶやき

「原発なくそう ミツバチの会」の活動報告や事務局ノブクンの日々のつぶやきを発信しています。

憲法記念日と言う言葉が空回りしてきた5月3日。
「日本国憲法なんかどこ吹く風内閣」が蹂躙の限りを尽くし、憲法の平和主義が風前の灯火だが、それでも抵抗続ける人たちが沢山いる。
「朝日」の最新世論調査では「憲法9条については「変えない方がよい」が63%(昨年2月は64%)で、「変える方がよい」の29%(同29%)を大きく上回った。女性は「変えない方がよい」が69%に及んだ。」そうだから、日本国民の憲法9条への思いは軽くはないと言って良いだろう。

そんな日の新聞各紙の社説を眺めてみた。


「朝日」

安倍政権と憲法―上からの改憲をはね返す

http://www.asahi.com/paper/editorial.html#20150503

「読売」

憲法記念日 まず改正テーマを絞り込もう
http://www.yomiuri.co.jp/editorial/20150502-OYT1T50142.html

「毎日」

憲法をどう論じる 国民が主導権を握ろう
http://mainichi.jp/opinion/news/20150503k0000m070078000c.html

「日本経済」

憲法のどこが不備かもっと説明せよ

http://www.nikkei.com/article/DGXKZO86418410T00C15A5PE8000/


「産経」

憲法施行68年 独立と繁栄守る改正論を 
世論喚起し具体案作りを急げ
http://www.sankei.com/column/news/150503/clm1505030002-n1.html


「北海道」

きょう憲法記念日 平和主義の逸脱を危ぶむ
http://dd.hokkaido-np.co.jp/news/opinion/editorial/2-0025969-s.html

「河北新報」

揺らぐ最高法規/今こそ憲法に向き合いたい

http://www.kahoku.co.jp/editorial/20150503_01.html


「信濃毎日」

危機の憲法 変わる自衛隊 9条の防波堤が崩れる 

http://www.shinmai.co.jp/news/20150503/KT150502ETI090016000.php


「京都」

憲法記念日に  平和国家の歩みを続けよう

http://www.kyoto-np.co.jp/info/syasetsu/


「神戸」

憲法記念日に/平和や自由が揺らいでないか

http://www.kobe-np.co.jp/column/shasetsu/ 


「高知」

【憲法記念日】民主主義の原則に戻れ

http://www.kochinews.co.jp/?&nwSrl=337346&nwIW=1&nwVt=knd 


「中国」

憲法審査会 改正の是非 徹底議論を

http://www.chugoku-np.co.jp/column/article/article.php?comment_id=152168&comment_sub_id=0&category_id=142

「沖縄タイムス」

[憲法記念日]戦争反対 血肉化しよう

http://www.okinawatimes.co.jp/article.php?id=114167


そして渾身の社説が「東京新聞」だろう。

戦後70年 憲法を考える 
「不戦兵士」の声は今

  
昨年は集団的自衛権の行使容認、今年は安全保障法制…。政権の次の狙いは憲法改正でしょう。戦後七十年の今こそ、しっかり憲法を考えたいものです。


 昨年暮れに「石見(いわみ)タイムズ」という新聞の復刻版が京都の出版社から出されました。社屋が島根県浜田市にあった、この小さな地方紙の創刊は一九四七年で、今のところ五三年までの紙面が読めるようになったのです。

 故・小島清文氏が主筆兼編集長を務めました。小島氏が筆をふるったのは約十一年間ですが、山陰地方の片隅から戦後民主主義を照らし出していました。

◆白旗投降した海軍中尉

 「自由を守れ」「女性の解放」「文化の存在理由」「文化運動と新しき農村」…。社説を眺めるだけでも、新時代の歯車を回そうとする言論の力がうかがえます。

 例えば「民主主義の健全なる発達は個人の教養なくしては望めないし、自らの属する小社会の改善から始めねばならない」などと論じます。日本に民主主義を根付かせ、二度と戦争をしない国にするという思いがありました。何しろ経歴が異例な人です。

 小島氏は戦時中、慶応大を繰り上げ卒業し、海軍に入りました。戦艦「大和」の暗号士官としてフィリピンのレイテ沖海戦に従います。その後、ルソン島に配属され、中尉として小隊を率いました。

 でも、この戦いは米軍の攻撃にさらされ、同時に飢えや病気で大勢の兵隊が死んでいきました。ジャングルの中は死屍(しし)累々のありさまです。「玉砕」の言葉も出るほどの極限状況でした。

 小島氏は考えました。「国のために死ね」という指揮官は安全な場所におり、虫けらのように死んでいくのは兵隊ばかり…。連合艦隊はもはや戦う能力もない…。戦争はもうすぐ終わる…。考えた末に部下を引き連れて、米軍に白旗をあげ投降したのです。

◆傍観者では亡(ほろ)びの道

 この投降を誰が非難できるでしょうか。むしろ「生きて虜囚の辱めを受けず」という「戦陣訓」により、死なずに済んだ命は無数にあったはずです。白旗は無責任な戦争指導への非難にも思えます。

 小島氏の名前が世間に知られるようになるのは、新聞界を退いてからずっと後です。八八年に「不戦兵士の会」を結成し、各地で講演活動を始めたのです。ひたすら「不戦」を説きました。

 九二年に出した冊子ではこう記します。

 <戦争は(中略)国民を塗炭の苦しみに陥れるだけであって、なんの解決の役にも立たないことを骨の髄まで知らされたのであり、日本国憲法は、戦勝国のいわば文学的体験に基づく平和理念とは全く異質の、敗戦国なるが故に学んだ人類の英知と苦悩から生まれた血肉の結晶である>

 憲法の平和主義のことです。戦後日本が戦死者を出さずに済んだのは、むろん九条のおかげです。自衛隊は本来あってはならないものとして正当性を奪い、軍拡路線にブレーキをかけてきました。個別的自衛権は正当防衛なので、紙一重で憲法に整合しているという理屈が成り立っていました。

 しかし、安倍晋三政権は従来の政府見解を破壊し、集団的自衛権の行使容認を閣議で決めました。解釈改憲です。今国会で議論される安全保障法制は、他国への攻撃でも日本が武力行使できる内容です。「専守防衛」を根本から覆します。九条に反してしまいます。

 権力を縛るのが憲法です。これが立憲主義の考え方です。権力を暴走させない近代の知恵です。権力が自ら縛りを解くようなやり方は、明らかに立憲主義からの逸脱です。

 小島氏は二〇〇一年の憲法記念日に中国新聞に寄稿しました。

 <権力者が言う「愛国心」の「国」は往々にして、彼らの地位を保障し、利益を生み出す組織のことである。そんな「愛国心」は、一般庶民が抱く祖国への愛とは字面は同じでも、似て非なるものと言わざるを得ない>

 <われわれは、国歌や国旗で「愛国心」を強要されなくても誇ることのできる「自分たちの国」をつくるために、日本国憲法を何度も読み返す努力が求められているように思う。主権を自覚しない傍観者ばかりでは、権力者の手中で国は亡(ほろ)びの道を歩むからだ>

 権力が改憲をめざす以上、主権者は傍観していられません。

◆戦争は近づいてくる

 小島氏は〇二年に八十二歳で亡くなります。戒名は「誓願院不戦清文居士」です。晩年にラジオ番組でこう語っています。

 <戦争というのは知らないうちに、遠くの方からだんだん近づいてくる。気がついた時は、目の前で、自分のことになっている>

 「不戦兵士」の忠告が今こそ、響いて聞こえます。



「東京」は3日付けトップ記事で歌手の美輪明宏に平和と戦争について語らせた。
この記事も読ませるものだった。



危機迫る憲法 自作反戦歌今こそ 
美輪明宏さん


 戦後七十年の憲法記念日を迎えた。「戦争をしない国」を支えてきた憲法九条は今、危機を迎えている。政府は集団的自衛権が行使できるようにする法整備を着々と進め、その先には改憲も視野に入れる。「これからも憲法を守りたい」。戦争を体験した世代から、二十代の若者まで、世代を超えてその思いをつなぎ、広げようと、メッセージを発信する人たちがいる。

 赤や黄、紫など色とりどりのバラが咲き乱れ、背後には金色の光が差す舞台装置。鮮やかな青のドレスをまとう歌手美輪明宏さん(79)が、鍛え抜かれた美声で「愛の讃歌(さんか)」などシャンソンの名曲を響かせる。そんな華麗なコンサートが二〇一三年に変わった。第二次安倍晋三政権が発足した直後のことだ。

 二部制の前半、照明を落とした舞台で、シンプルなシャツ姿の美輪さんがピンスポットライトに浮かび、自作の反戦歌を歌う。

 「あの原爆の火の中を 逃げて走った思い出が 今さらながらによみがえる」(美輪明宏作詞・作曲「ふるさとの空の下に」より)

 ロマンあふれるシャンソンとは趣が違う、原爆孤児の悲しみを描いた歌詞。長崎で原爆に遭った自身の体験を重ねた。七十年を経ても拭い去れない悪夢。不戦を誓う憲法を手にした時、「もう逃げ惑う必要がない」と安堵(あんど)した。その憲法が崩れるかどうかの瀬戸際にある。

 「私たちは憲法に守られてきた。世界一の平和憲法を崩す必要はない」。

若い世代も多い観客に伝えたくて、反戦歌を歌う。原爆体験や軍国主義への強い嫌悪が美輪さんを駆り立てている。

     ■

 一九四五年八月九日、いつもと変わらぬ夏休みの朝だった。美輪さんは、防空ずきんを背にかけ、縁側の机で宿題の絵を描いていた。ピカッ。白い閃光(せんこう)の後、ごう音と揺れに襲われた。

 お手伝いさんに手を引かれ外へ出た。全身が火ぶくれてうなり声を上げる人。首のない赤ちゃんの上に倒れ込み泣き転げる女性。「助けてくれ」とつかまれた人の手を振り払うと、肉片が自分の腕についた。

 「原爆 水爆大好きな 戦争亡者の親玉よ お前の親や兄弟が 女房や子供が 恋人が 焼けて爛(ただ)れて死ぬだろう 苦しみもがいて死ぬだろう」(美輪明宏作詞・作曲「悪魔」より)

 美輪さんにはもう一つ、胸に刻まれた戦争の光景がある。

 実家のカフェで働いていたボーイの三ちゃんが出征した時。汽車が出る寸前だった。三ちゃんの母親は、息子の足にすがり「死ぬなよ。どげんことあっても帰ってこいよ」と叫んだ。

 憲兵に引きずり倒され、頭を打って血を流してもなお、母は「死ぬな」と声を上げた。その三ちゃんが生きて帰ることはなかった。

 「戦争や軍隊、軍国主義の正体をみんな知らなすぎます」

     ■

 普通に暮らしていた人たちが、理不尽な暴力と死に直面する。それが美輪さんが体験した戦争の正体だった。だから、「国民を守る」「国を守る」という耳当たりのいい言葉で、改憲の議論が進むことにいら立ちを隠せない。

 「改憲して戦争に参加できるようにって、どうして学習能力がこんなにもないのか」

 そんな政治家を舞台に立たせたのは、国民の選択だった。そのことをもう一度考えてほしいと美輪さんは歌い、語り続けている。

 「無辜(むこ)の民衆が戦争に狩り出されるのではない。選挙民に重い責任があるのです」 

(小林由比)

<みわあきひろ> 長崎市生まれ。16歳でプロの歌手となり、シャンソン喫茶「銀巴里」などに出演。1957年「メケメケ」が大ヒット。日本におけるシンガー・ソングライターの元祖として多数の曲を自作。2012年に初出場したNHK紅白歌合戦で、自作の「ヨイトマケの唄」を歌い反響を呼んだ。


沖縄タイムスの社説は最後をこう結んでいた。


「戦争は時間がたてばたつほど美化される傾向にある。若い世代にも届くような新たな平和運動を起こし、満身創痍(そうい)の憲法9条に魂を吹き込む必要がある。」


世界に誇れる日本国憲法を亡きものにしようと企む戦争オタクたちに、平和を愛する各国国民と連帯し、反撃のNO!を突きつけよう!

近ければ駆けつけたかった集会

横浜・臨港パークを埋めつくした怒りの3万人~5・3憲法集会

                    木下昌明

  ↑撮影:正しい報道ヘリの会 野田雅也(JVJA)

 毎日のように安倍政権の抗議集会やデモが行われている。こんなことは戦後70年のうちにあっただろうか。5月3日、真夏のように暑い日差しのなか「5・3憲法集会」が横浜みなとみらいの突端にある臨港パークで開催された。

 
主催者によると、これまで東京・日比谷公会堂が主な会場だったが、それでは入りきれないので今年は横浜になったという。昼12時すぎるとのぼりやプラカードを掲げた人々が、続々と公園に集まってきた。これには驚いたが、主催者発表で3万人以上ということだった。


 メインステージでは、呼びかけ人の中から代表の雨宮処凛、大江健三郎、澤地久枝らが次々とスピーチを行った。大江は国民に背を向けた安倍政権を厳しく批判しつつ、老人になった自分がこのような公けの場に立つのはこれが最後かもしれないと語った。


 山本太郎は、ヘリにのって上空から皆さんのメッセージをインターネットで伝えると言った。そして山本らがヘリにのって中継をはじめると、集会の人々は手を振り上げて「憲法守ろう!九条守ろう!」と叫んだ。

 国民をないがしろに、アメリカ政府と結託して戦争法案をつくろうとする安倍への激しい怒りが、このような大結集となった。

*動画(撮影=木下昌明 4分22秒)


「レイバーネット」より転載