福島第1 汚染水コントロール不能 東電、年度内処理を断念 困難さ浮きぼり 国の責任重大 | 函南発「原発なくそう ミツバチの会」 ノブクンのつぶやき

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東京電力の広瀬直己社長は23日、資源エネルギー庁を訪ね、上田隆之長官と会談し、福島第1原発の放射能汚染水を今年3月末までに全量処理する目標の達成を断念する方針を伝えました。


 事故から4年になろうとしていますが、改めて汚染水問題解決の道のりの厳しさが浮き彫りになりました。「国が前面に出て」抜本的な対策を行うとしていたのに、実際は東電任せにしていた安倍政権の姿勢も問われています。



 広瀬社長は2013年9月に安倍晋三首相に14年度中の汚染水処理完了を約束していました。


 東電によると、汚染水処理は予定の半分程度にとどまっており、全量の処理完了は5月にずれ込む見通し。3月中にも新たな目標を正式決定します。


 東電は福島第1原発のタンクに保管中の汚染水を今年度内に全て処理する目標を掲げてきたものの、放射性物質を低減する装置「ALPS」(アルプス)でトラブルが多発して本格稼働が遅れました。


  また、福島第1、第2原発で作業員の死亡事故が相次いだことから、安全対策などを総点検するため作業を休止。汚染水処理計画の遅れが避けられない状況となっていました。


解説

再稼働やめ対応急げ


 高濃度放射能汚染水の3月末までの全量処理の実現は強く疑問視されてきました。昨夏以来の半年間を見ても、汚染水を処理する対策、汚染水の増加を抑える対策のいずれも困難の連続でした。


 東電が汚染水処理の“切り札”と位置づけるALPSは、フィルターのパッキンの劣化などトラブルが続発。期待される能力を大きく下回っています。


 汚染水の増加抑制策である地下水バイパス、原子炉建屋周辺の地下水の海洋放出、凍土遮水壁も困難や問題点を抱えています。


 東電は「3月末までの全量処理の目標に変わりはない」と再三説明し、数字合わせに終始してきましたが、危機感が欠如していると言わざるをえません。


 重大なのは国の責任です。国は前面に出て対応すると言いながら、東電の無理な処理目標を放置してきました。そもそも無理な目標の背景には、東京五輪招致と結びつけた安倍晋三首相の「(汚染水をめぐる)状況はコントロールされている」発言(2013年9月)があります。


 原発事故の収束を東電任せにして原発再稼働に突っ走る態度をあらため、あらゆる英知、人的資源を汚染水問題をはじめ、事故処理に集中するべきです。

 (細川豊史)



「しんぶん赤旗」より転載



「NOT  UNDER  COTROL 
今や社会的常識になりつつある言葉だと思うけど、安倍晋三の思いとは真逆な事態が進行している。
放射能ダダ漏れ状態をどうするのか。
何が帰還だろうと思うけど、福島県民て、会津藩の悲劇も含めて、ホントに痛めつけられてきた歴史だと思う。
もっと怒った方が良いのではないだろうか。



脱原発静岡MLから


福島の帰還準備地域見学記・・
 掛川市 佐野克行(佐野医院院長)


 26年11月初め、藤枝の震災被害を伝える会の縁で、福島を見学して来ました。
震災直後に、医師会から沿岸地帯の医療救援で派遣された以外、福島県には数回訪問しましたが、多くは病院の診療支援であり、街の様子を見て来た訳ではありません。


昨年の夏に知人の案内で田村市、葛尾村、大熊町の境界までは行って来ましたが、
その先は入域禁止でした。今回、浪江町のかなりの部分が帰還準備地域に指定された事と6号線が開通した事により、


今まで入れなかった沿岸部の高線量地域にまで行けるという事で、参加して来た訳です。


 本来は掛川市民を対象にして、こちらからバスが出るという事で申し込んだのですが、
実際には掛川市民の参加は私1人でした。
磐田から3名、御前崎から4名ほどを除くと、あとの20名ほどは藤枝市、富士市、富士宮市など県東部からの参加者で占められたため、バスの乗車場所が西焼津駅となり、朝一番の電車に乗って行く事になりました。


 事前のPRが不十分(当院でも参加募集の掲示をしていたのですが)だった事もあるでしょうが、
震災と原発事故に対する一般市民の関心が、このところ急激に低下している様に感じられます。藤枝を中心に、熱心に啓発活動をしている方がいたからこそ、県東部からの参加者がとぎれなく続いている(このツアーも、既に20回を越えているそうです)という事なのでしょう。


 早朝にバスは出発、途中、昼食で止まる事もなく(バス内で各自昼食)、午後3時頃には
二本松市にある、浪江町民の仮設住宅に到着しました。ここで仮設住宅に暮らしている方々との交流会が開かれ、私としてはほぼ初めて被災して避難、仮設住まいを余儀なくされている方々のお話を聞く事になりました。


とはいえ、避難して3年、ほとんどは震災の時の話ではなく、その後の一向に改善しない状況、
いっになっても帰れるのか帰れないのかがはっきりしない閉塞状況の悩みが主題となりました。


 福島あるいは東北以外の地では、東日本大震災は既に過去の事、
という雰囲気もかなり出来上がってしまったようですが、決して過去の事ではない、私たちと同時代の事、今の私たちや、これからの生き方にも深く関わっている事なのだと思います。 


交流会の後は、二本松市、男女共生センターに宿泊(とてもよい
宿でした)、

翌朝は6時半出発との事で、皆さん早くに寝たようです。

翌朝、コンビニ朝食を車内で食べつつ出発、川俣町、飯館村、南相馬市の市庁舎、などを次々訪問して行きました。



 この間、山間部で除染をしている地域を視察しました。山肌をさ
らって、一時的に線量が減少しても、一雨降ると、高いところから放射性の土壌が流れて来て、

元の木阿弥になってしまう。立ち木をすべて伐採して、表土を削ってみても結局は同じ事。


低線量廃棄物が無限に増えていくだけというお話でした。

除染したから住民は帰還してよい、従って補償金も打ち止め、と言うシナリオを強引に書いてしまいたい政府の姿勢が丸見えです。



 本来は、30年とか50年とか帰還は無理だから、それぞれ行く先で定住を図ってくれと、
そのために必要な生活の支援とか、就職の斡旋とかには十分な努力をするので、なんとか納得してくれというのがあるべき姿と思います。



ところがこれでは政府も東電も責任を認める事になるので、
うやむやの内に住民帰還をさせてしまえという誘導だと思います。



このまま除染をきりなく続けて行くと、廃棄物の保管に巨大な施設が必要になると思われます。



それを引き受ける地域が現実にはないのですから、結局は福島県の沿岸地方で選定せざるを得ず、
原発事故で失われた国土をさらに無駄に占有するだけの事態になりかねません。


政府が責任を持って処理するというなら、東電にも強制力を働かせて、
十分な補償金を供出させた上で住民を説得するしかないでしょう。



たとえそんな事をしても、どのみち、総括原価方式で市民全体が電気料金で負担する事になり、
東電の経営にはなんの損失も出ない事になるのでしょうが。

                  (続く)