問い続ける/次に備え災害と向き合う/阪神淡路大震災から20年 合掌 | 函南発「原発なくそう ミツバチの会」 ノブクンのつぶやき

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次世代へ

次世代へ


 阪神・淡路大震災から、明日で20年になる。その日を前に、私たちは六つの提言を掲げた。

 この国に暮らす私たちは何よりも「災害とともに生きる覚悟」を持たねばならない、との思いからだ。20年の経験と教訓を、次の世代にしっかり引き継がねばならない。

 地震で深く傷ついた人ほど、その後の復興過程でより大きな苦難に直面する。時間が経過するにつれて、立ち直れる人とそうでない人の格差が開いていく。当事者となって痛感した、冷酷な現実である。

 あれから地域の少子高齢化はさらに進んだ。人口減少も避けられない。日本全体が今、曲がり角に立っている。そうした状況の中で、災害に強く、一人一人を大切にし、支え合う社会をどう創造するか。

 忘れてはならないのは、次の大災害は必ず来る、ということだ。

       ◇

 20年前の記憶を思い起こす。

 まだ明けやらぬ冬の朝を、「ゴー」という大地の鳴動が襲った。あっという間に激震となって土地や建物を強く揺さぶった。家屋が倒壊し、人々が下敷きとなった。犠牲者の8割以上が圧迫死とされる。地震発生からわずかの時間が明暗を分けた。

 人口が集中する都市部を襲った最大震度7の直下型地震は、世界でも例がない。その点で「未曽有」の災害だったと言えるかもしれない。

 しかし、「想定外」として済ませるわけにはいかない。犠牲者はなぜ、命を落とさねばならなかったか。千人を超える独居死など、多くの無念の死を招いたのはなぜなのか。

 個々の被災者に対する支援は十分だったとは言い難い。法制度の壁もあり、生活再建の負担は個々の肩に重くのしかかり続けた。

 「災害がもたらす負荷は弱い立場の人に強くのしかかる。それは自然現象ではなく人間社会の問題だ」

 精神科医の野田正彰さんが語った言葉をあらためてかみしめたい。

 弱者を苦難の中に放置する社会であってはならない。被災者の見守り活動に心血を注ぎ「最後の一人まで」と訴えたのは、昨年亡くなった看護師の黒田裕子さんだった。その理念を発展させ、これからの災害救援と復興の根幹に根付かせたい。

根拠なき安全神話

 神戸で大地震は起こらない。振り返れば、そうした「安全神話」がこの地に住む多くの人の心に染み付いていたことは、否定しようがない。

 震災によってそれは根拠のない思い込みだと知らされた。


 過ちを正す機会は何度もあった。「神戸にも直下地震の恐れ」。本紙がそんな見出しの記事を掲載したのは1974年。大阪市立大の専門家の指摘を報じた記事である。

 ただ、同時に「いま心配ない」という見出しの記事で読者の衝撃を和らげた。「10万年単位の長期警告」との見方もあり、喫緊の課題として捉える意識が薄かったとしか言いようがない。

 震災の10年ほど前、神戸市は防災計画の想定震度を「5」から「6」に引き上げる議論を行った。だがそれも、結局は間を取って「5の強」という記載にとどまった。

 水道管の取り換えだけでも、耐震事業費は膨大だ。いつ起こるか分からない災害に限られた予算は回せない。それが役所の理屈であり、現実的な「落としどころ」とされた。

 実際には震災で想定を超える「震度7」が襲った。関係者は当時の判断を深く悔やんでいるという。

新たな成熟社会へ

 重要なのは、その悔恨を今の課題として捉え直し、次の災害に備える意識と構えを共有することだ。

 震災で父親を亡くした当時の本紙論説委員長は、3日後に掲載した社説で被災者となった心情をこう吐露した。「“災害元禄(げんろく)”などといわれた神戸に住む者の、一種の不遜さ、甘さを思い知る。この街が被害者の不安やつらさに、どれだけこたえ、ねぎらう用意があったか」

 私たちは二度と不遜になることなく、自然を甘く見ず、備えを固めて次代に引き継がねばならない。

 右肩上がりの成長はもう難しい。私たちが目指すのは、地域の持つ多様な力を引き出して支え合う「連帯と共生」の生き方である。阪神・淡路の経験と教訓を生かすことが、災害にも強く、しなやかな、持続型社会を築くための礎となる。



「神戸新聞」社説より転載



支援物資を大きなリュックに詰めて横倒しになった阪神高速道路脇を、その衝撃に打ちのめされながらトボトボと歩いたことを思い出す。
古い木造家屋の一階部分が潰れて倒壊し、生活道路をふさいでいた。
学校の校庭に設置された臨時のお風呂に強烈な寒さの中、長蛇の列が出来ていた。
訪れた東灘区役所は、満員電車なみの人混みで溢れていた。

奢れる人類への自然からの警鐘なのか、あまりのむごさに声も出なかった。

あれから20年、福島第一原発事故を再び経験しながら、愚かな日本の政府は再びバベルの塔という虚像を求めて、自然への冒涜を続けている。