わかりあえたら:不寛容時代に/4 居場所求め「嫌韓」 運動に幻滅、今は反「ヘイト」 | 函南発「原発なくそう ミツバチの会」 ノブクンのつぶやき

函南発「原発なくそう ミツバチの会」 ノブクンのつぶやき

「原発なくそう ミツバチの会」の活動報告や事務局ノブクンの日々のつぶやきを発信しています。

ヘイトスピーチデモに抗議する群衆の最前列に立つ駒井さん=京都市東山区で2014年12月7日、森園道子撮影
ヘイトスピーチデモに抗議する群衆の最前列に立つ駒井さん
=京都市東山区で2014年12月7日、森園道子撮影

 「今から座り込みに行きます」。インターネット掲示板「2ちゃんねる」にそう書き込むと、駒井真由美さん(41)=大阪市=は真っ暗な戸外に出て自転車のペダルを踏んだ。2011年10月の日曜日の未明。10キロ先の民主党大阪府連に向かった。

 当時、環太平洋パートナーシップ協定(TPP)交渉参加に意欲を見せていた民主党政権への抗議の座り込みに、2ちゃんねるを見た5、6人が雨の中、加わった。同市を拠点とする保守系市民団体の創設メンバーたちの出会いだった。


 駒井さんの母(71)は在日コリアン2世だ。父は日本人で駒井さんも日本国籍だが、物心つく前に両親は離婚した。預けられた在日の伯母の家では、理由も分からずよく殴られた。中学3年から一緒に暮らした母は、酔うと言った。「産んだ覚えはない」。存在を全否定された気がした。


 中学卒業と同時にパチンコ店で働いたが、バブル経済が崩壊して職場を転々とするうち、体と心の調子を崩した。2人目の夫には「朝鮮人は帰れ」と殴られ、別れた。


 「人生を立て直したい」--。もがくような毎日を送っていた11年3月、日常を吹き飛ばす出来事があった。東日本大震災だった。


     ◇

 生活保護を受けて小学生の娘を育てていた駒井さんには、寄付もボランティアもままならない。自分にできることを探し、インターネットの世界をのぞいた。被災地について「朝鮮人が更地を占拠している」と後から見ればうその情報があふれ、韓流ドラマを放映するテレビ局が「反日」と攻撃されていた。在日の家庭で受けた仕打ちへの不満と、何もできない焦りが一つになった。


 大阪で「嫌韓デモ」に2回参加してみたが、在日へのひどい罵倒に耳を塞ぎたくなった。ネットで次に見つけたのが反TPP論議だ。娘がアレルギー体質で、食の安全には以前から関心があった。震災を機に芽生えた社会参加への意欲は激しさを伴い、座り込みの呼び掛けとなった。


 駒井さんが所属した団体の主張は「反TPP」「反民主党」だった。だが在日コリアンの特別永住資格などを「在日特権」と批判する他団体からの参加者が増えると、排外色を強めていく。民主党政権は「在日寄り」とみなされ、駒井さんは生い立ちから「政権を批判する在日もいる」ともてはやされた。一方で、つらい過去を語ると「あなたは立派な日本人」と慰められた。いつしか仲間と「在日はずうずうしい」と調子を合わせていた。


 仲間には大企業の管理職もいて、境遇はみんな自分より恵まれているように見えた。それなのに職場や家庭の憂さをよく漏らした。「苦情を聞く部署でひたすら謝らなきゃいけない」とこぼす男性、妻の浮気を嘆く男性。「他に居場所がなかったんかな」と思う。


 娘との時間を大切にし、食事や映画に一緒に出かけることがあった。仲間にあいさつに寄ると「ナマポ(生活保護受給者)のくせに」と悪口をネットに書き込まれるようになった。自分は仲間のストレスを和らげる哀れな存在でなければならないのか--。運動にも、そこに関わった自分にも幻滅した。


     ◇

 ある夜、家で食事しながら娘に言った。「もうあの人たちと絡むのやめようと思うんやけど」「ええんちゃう」


 12年3月、デモの日が迫っていた。駒井さんはもう嫌だったが、切り出せずにいた。そんな時、娘がインフルエンザで熱を出した。「行かない言い訳になると思ったんかな。病気で孝行しなくてもええのに」。眠る娘の頬をなでた。それきり運動から離れた。


 自分も幼稚だった。そう悔いる気持ちから、駒井さんは今、ヘイトスピーチデモにあらがい街頭に立つ。京都市で先月、市内の朝鮮学校が街宣で授業を妨害された事件から「5周年」と称するデモがあった。阻止を図って集まった数百人の最前列に立った駒井さんは、デモの中に見知った顔を見つけ、叫んだ。「どっちが正しいか、もう分かってるんやろ」。過去の自分を重ねていた。【林田七恵】




「毎日新聞」より転載



ヘイトスピーチという行為に身を投じた一人の女性の気持ちの動きがわかる興味深い記事だった。
なんであれほど「韓国殺せ」などという言葉を平然と発することが出来るのか。
結局はその人間の日頃からの鬱憤の発露でしかないのか。
そうしたストレスフルな人間たちを一部運動幹部がうまく使っているのかとも思う。

この記事を読んで思い出した。


 「勝ち組はみんな死んでしまえ。そしたら、日本には俺しか残らないか。あはは」「『いつかやると思っていた』 そんなコメントする奴いたら、そいつは理解者だったかもしれない」(6月4日)。


  「日に日に人が減っている気がする」「大規模なリストラだし当たり前か」「作業場に行ったらツナギが無かった。辞めろってか。わかったよ」「ちょっとしたきっかけで犯罪者になったり、犯罪を思いとどまったり。やっぱり人って大事だと思う」「人と関わりすぎると怨恨で殺すし、孤独だと無差別に殺すし。難しいね」「『誰でもよかった』 なんかわかる気がする」(6月5日)。


  「一つだけじゃない。いろいろな要素が積み重なって、自信がなくなる」「やりたいこと…殺人、夢…ワイドショー独占」「ナイフを5本買って来ました」(6月6日)。


  「車でつっこんで、車が使えなくなったらナイフを使います。みんなさようなら」「全員一斉送信メールをくれる。そのメンバーの中にまだ入っていることが、少し嬉しかった」「秋葉原ついた。今日は行者天国の日だよね?」「時間です」(6月8日)。


2008年6月8日 秋葉原無差別大量殺人事件の犯人のメールはこんなことを事件前に語っていた。


こうした病んだ人たちを生み出すものはなんだ。
見えない明日、孤立感、そして誤った連帯や人間関係のいびつさ。

ヘイトスピーチも「誰でも良かった」という殺人事件も根は同じ所にあるのか。
低賃金でいつ雇い止めになるのかわからない非正規労働者2043万人、正規でも超長時間労働に追い立てられている労働者も膨大な数に上るのだろう。
働きづらい、生きづらい時代、人々は何処に希望を見いだすべきなのか。