【70年目の岐路(3)】日独に見る戦後の歩み | 函南発「原発なくそう ミツバチの会」 ノブクンのつぶやき

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有名な言葉がある。

 「過去に目を閉ざす者は、結局のところ現在にも、目を閉ざすこととなります」(「荒れ野の40年」)。

 旧西ドイツのワイツゼッカー大統領が戦後40年目の1985年、連邦議会で行った演説である。

 1900年代の前半、第1次世界大戦で敗戦国となったドイツが、共和国として再出発する際に、国民主権などを定めた民主的な「ワイマール憲法」が公布された。

 しかしワイマール憲法は指導者に強い権力を与えたために、それを乱用するヒトラーの登場で死文化する。「荒れ野の40年」とは、第2次大戦後40年のドイツの歩みを大統領が総括した演説だ。

 「非人間的な行為を心に刻もうとしないものは、またそうした危険に陥りやすいのです」。ヒトラーを選挙という合法的手法で生み出したドイツの人々は戦後、このことが頭から離れなかった。

 むろん初めから旧西ドイツの戦後処理が、礼賛に値する解決策となったわけではない。「敗戦後の西ドイツでは多くの人々は過去の犯罪に頬かぶりをしていた」との指摘もある。

 だが戦後の思想、哲学、文化などの分野での、かんかんがくがくの議論によって、かの国は過去の記憶、戦争責任、そして未来を語り、過去を克服しようと努めてきたのだろう。

 一枚の写真がある。戦後25年目の1970年、旧西ドイツのブラント首相がポーランドを訪問し、ゲットー(ユダヤ人隔離居住区)跡でひざまずき、許しを請うた。その顔は痛恨の過去を思い、ゆがんでいる。

 「灰とダイヤモンド」などで知られるポーランドの映画監督アンジェイ・ワイダ氏は昨年10月、高知新聞記者らと会談。氏は旧西ドイツ首相の謝罪を評価し、国のリーダーが果たす役割と記憶の風化を防ぐことの大切さを語った。

 ドイツは統一後も政府や企業が基金を積み立て、戦後賠償を続けた。何より彼らはナチス犯罪の時効をなくし、今も自ら戦争を裁いている。


被害と加害見つめよ


 両国の敗戦後で、国民に痛烈な意識を与えた体験の比較として語り継がれているものがある。それは日本では広島・長崎の「原爆体験」であり、ドイツでは「アウシュビッツ体験」だといわれる。

 二つの体験をあえて性格付ければ、前者は「被害」の体験であり、後者は「加害」の体験となろう。

 戦争の愚かさは、勝者も敗者もないことに尽きよう。どちらもが被害者になり加害者になる。戦後の歩みの中で、同じ敗戦国としてどちらに重点を置くのか。ドイツは後者を選び謝罪と反省を現在でも繰り返し、自国通貨のマルクさえ放棄して今、欧州の盟主という地位にある。

 戦勝国の代表米国も頬かぶりできまい。原爆投下や一般市民を無差別に殺りくした空襲、今も沖縄に強いる基地負担が正当化されるのか。いずれ歴史の総括が必要ではないか。

 ドイツで「過去を心に刻もう」と訴えたワイツゼッカー演説があった1985年、日本でも象徴的な政治の動きがあった。「戦後政治の総決算」を掲げる、ときの中曽根首相による靖国神社への公式参拝である。

 東条英機元首相らA級戦犯が同神社に合祀(ごうし)されたのは1978年。「英霊」の名の下に戦争の指導者をもまつる一宗教法人への参拝は、憲法の政教分離の原則からいっても果たして許されるのだろうか。

 安倍首相の靖国神社参拝は、2000年代の小泉元首相による参拝と同じく中韓との「トゲ」をあえて刺激した。その姿勢は既に戦後40年目に日独の大きな差異となっていた。

 私たちはあの戦争の被害者意識にとらわれ過ぎていたのではないか。8月の全国戦没者追悼式の式典で安倍首相は、歴代首相が踏襲してきたアジア諸国への「加害責任」に2年続けて触れなかった。日本は今年、どのような戦後70年談話を出すのだろうか。




「高知新聞」社説より転載




日本人300万人、中国や朝鮮など侵略先の死者2000万人以上とも言われている太平洋戦争の無惨。
確かに加害者意識が日本国民に希薄だという指摘はそうだなと思う。
ドイツでは「アウシュビッツ」日本では「ヒロシマ・ナガサキ」という相反する記憶が国民多数の意識に存在している。
その違いは何んだろう。



上原良司(慶応義塾大学経済学部生。1945年5月特攻隊員として沖縄戦において戦死。22歳)の遺書

「長き学生時代を通じて得た信念からすれば、自由の勝利は明白で、権力主義の国家は一時的に盛んでも最後には敗れます。ファシズムのイタリアとナチズムのドイツがすでに敗れたのは、その証明です。特攻隊のパイロットは操縦桿を握る機械で、人格もなく感情もなく、理性もなく、ただ敵の空母に向かって吸い付く磁石のなかの鉄の一分子にすぎないのです。理性をもっては考えられないことで、自殺者と同じで、精神の国日本においてだけ見られることです。死んでも何にもならないかもしれません。明日は出撃です。明日は自由主義者が一人この世から去っていきます」

出撃、すなわち死の前日にここまで冷静な遺書を書いた強靱な精神に驚愕するが、そうした優秀な若者たちの命が、敵味方を問わず数多く奪われた戦争というものの実相をもっともっと拡げなければ、死者たちに申し訳ないと思う。

ナチスドイツも選挙を通じて戦争の狂気にドイツ国民を巻き込んでいった。
そうした歴史の教訓から、今の日本の状況を再考する国民がもっともっと増えていって欲しいと願う。