放射線管理区域に住民を暮らさせる異常  緩慢なる゛殺人行為゛を許せない。 | 函南発「原発なくそう ミツバチの会」 ノブクンのつぶやき

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国道6号の通行規制が解除され、ゲートを開ける作業員=15日午前0時、福島県富岡町




福島の国道6号 3年半ぶり全線開通だが、途中に毎時17.3μシーベルトの”汚染地帯”。

 福島第1原発事故後、通行規制が続いていた福島県富岡町-双葉町間の国道6号(14.1キロ)が、15日午前0時に自由通行に移行した。帰還困難区域を走る区間の規制解除で、3年半ぶりに全線通行が可能になった。


 解除に合わせ、南北にあった検問所を撤廃し、脇道の進入を防ぐバリケードを沿線に設置。通行できるのは自動車のみで、バイクや自転車、歩行者は通れない。6号に接続する富岡町内の県道小野富岡線(1.7キロ)も同時に規制解除した。


 富岡町の検問所では14日午後11時54分、いったんゲートを閉じて道路を封鎖。検問の設備を撤去した後、15日午前0時にゲートを開けた。


 区間内の平均空間放射線量は毎時3.8マイクロシーベルト。最大値は大熊町内の毎時17.3マイクロシーベルトと線量が高い場所が残る。内閣府原子力災害現地対策本部の有倉陽司参事官は「不要不急の通行は避け、通行時は車を閉め切ってほしい」と呼び掛けた。


 帰還困難区域内の通行はこれまで、復興事業や避難区域を抱える自治体の住民の車両に限られていた。全面開通で「経済活動の活発化や復興加速につながる」(遠藤智広野町長)と期待が集まる一方、犯罪の増加などを懸念する声も出ている。


「河北新報」より転載


強引な正常化の演出の犠牲に通行人がなる可能性が高い。
放射線管理区域よりも高い放射能汚染地帯に住民を誘導するような政策は、緩慢な゛殺人゛行為だろう。
そんなことまでして、復興をアピールしたいのか。
広野町の町長なんか゛殺人゛に手を貸す犯罪者じゃないのか。

先日の「ミツバチ講演会」でフクシマの浪江町と郡山市から避難した二人の話は、子どもたちの命と安全をどう守るべきかという視点に貫かれていた。
裏切り者呼ばわりされても、子どもの命を守りたいという親としての痛切な叫びは聴く者の心を打つ。
「政府や県が言うことなんか信じていたら、命を守ることなんか出来ません。ウソばっかりついていたし、大切な情報は公開しないし、自分たちで判断して行動に移す事がなにより大切です」

会場からのカンパのうち、講演会の実経費を除いた金額を「子ども脱被ばく裁判」に寄付させていただくことにした。

子ども裁判のブログは下記から。

http://fukusima-sokai.blogspot.jp/


以下に「野菜大好き!南箱根生活なう」から、講演会の模様を転載させて貰います。


9月15日(月)函南町文化センターで「浜岡原発に、過酷事故が起こったらどうなるのか。」  ~フクシマからの避難者の話を聞く~
という催しが行われました。

福島県から静岡県内に避難されている長谷川さんと堀川さんのお話は、事故当時の様子と現在のフクシマや自分たちの暮らしのことが
実体験に基づいているので、リアルで真に迫っていました。
浜岡原発で過酷事故が起きたらどうなるのか・・・ふるさとも仕事も暮らしも人間関係も健康も奪われてしまう恐ろしさが想像できました。



避難していてもフクシマを思う苦悩や、子ども達を被曝から助けたいという強い思いが溢れていて、聞く方も思わず涙が溢れてしまいました。

年間20ミリシーベルト以内まで居住させている国の方針について、
病院のレントゲン室を思い浮かべて下さい。
放射性発生装置のある部屋の扉には、「放射線管理区域」という看板がかかっています。年間約5、2ミリシーベルト迄しかドアの外に出してはいけない決まりがあります。20ミリシーベルトという数字は、放射線管理区域の境界の4倍です。そんなところに大人も子どもも住まわせられているんです。


また、放射線管理区域には、2つの大きな縛りがあります。
1つは、労働基準法で18歳以下の子どもは働いてはいけない。今はそんなところに小学生や中学生が住んでいるんです。

2つめは、医療法では放射線管理区域内では飲み食いしちゃいけない。
しかし、そういう数値のところで毎日食事をとっているんです。

これは、国が法律違反をして住まわせていることです。
それも、今年中に終わるのでは無く、何年も続くんです。そして蓄積していきます。

「20ミリシーベルト以下なら住んでも良い。」は、人間を被曝させる本当に恐ろしい法律違反です
年間1ミリシーベルト以下という今までの日本の法律は、チェルノブイリの事故の教訓から引き出されていたものだったのです。

長谷川さんは、自分の幼い子ども達だけで無く、今のフクシマの子ども達も被曝から助けだそうという裁判を同じ思いでいる100名以上のフクシマの方々と起こしたそうです。
応援してくれる人が増えることを願います。

実は、2年前に私は沼津市立図書館のホールでお二人のお話を聞いたことがありました。
その時の堀川さんは、避難してきて周りになじめなくて一時引きこもりになった苦しさを訴えていらっしゃいましたが、2年後の彼は前にやっていた塾経営を再開してフクシマで起きていることを語る活動に取り組まれています。
その頃とは、お顔付きが全然違って活動的な容貌になっていました。
それでも、自分だけ安全なところに避難していていいのだろうかと、常に負い目を感じるからこそ、こういう活動をされているとも・・・苦悩は続いていました。

90名ほどの参加でしたが、皆さん熱心に質問されたり、終了後も残って車座になってお話を聞く場面もあり、真剣な話し合いでした。

こういう草の根の場が大切ですね。

「浜岡原発の再稼働を認めない」ように川勝知事に要請する署名活動への協力者もどんどん増えています。
世論は、脱原発に向いているのを実感する勢いです。