朝日謝罪会見でハシャぐ読売、産経の“トンデモ誤報”集/原発事故の本質こそ追究すべき事 | 函南発「原発なくそう ミツバチの会」 ノブクンのつぶやき

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こいつら、恥というものを知らないのか。朝日新聞・木村伊量社長の謝罪会見を見ていて、思わずこんな台詞が口をついて出た。断っておくが「こいつら」というのは壇上で頭を下げていた木村社長や朝日の幹部のことではない。朝日を追及していたマスコミ、とくに読売新聞、産経新聞のことだ。

この日の2時間にわたる会見で読売、産経の記者は全質問の実に4分の1もの数の質問を商売敵の朝日に浴びせ続けた。だが、その質問のほとんどはネットスラングでいうところの“ブーメラン”というヤツだった。


 読売「御社には自発的に物事を検証する能力がないのではないか。自浄能力がないのではないか。そのことを社長はどうお考えか」

 
 はあ? じゃあ聞くが、渡辺恒雄会長の政界との癒着を放置し、巨人軍の裏金問題や暴力団疑惑にほおかむりし、部数水増しの“押し紙”内部告発を封じ込めてきたオタクの会社に自浄能力はあるのか。


 産経「都合のいい方にねじまげる吉田調書の報道は、慰安婦報道と同じではないのか」

 
 おいおい、「都合のいい方にねじまげる」常習犯はオマエたちの新聞だろう。産経は今年5月、安倍首相がアジア安全保障会議でスピーチした際、「靖国参拝発言」で会場が「拍手に包まれた」と報道した。ところが、ネットの指摘で拍手があったのは靖国発言でなく「ひたすら平和国家としての歩みを進めてまいります」という発言後だったことが発覚。政治的プロパガンダのために平気で事実をねじまげる体質が失笑をかったのではなかったか。



 別に朝日の肩を持ちたくてこんなことをいっているのではない。今回の朝日の記事は従軍慰安婦の吉田証言も、福島原発事故の吉田調書の記事も明らかな誤報だ。だが、冷静に考えてみてほしい。このレベルの誤報なら会見会場にいたすべてのマスコミがやっていることだ。もちろん読売と産経もやっている。



 たとえば、読売新聞は2012年10月、ハーバード大学研究員の森口尚史氏が「iPS細胞を使った世界初の心筋移植手術に成功」と一面で大々的に報道したが、後に研究の内容も森口氏の肩書きもすべて嘘だったことが発覚した。これなどは吉田証言に騙された朝日とそっくりではないか。


 他にも、宮崎勤事件で存在しない宮崎のアジトを発見したと報道したり、福岡の広域暴力団工藤会のガサ入れ報道で存在しない押収書類をでっちあげたり、まさに誤報の山を築いている。


 また、読売は福島原発の事故報道をめぐっても誤報をおかしたことがわかっている。2011年5月、一面トップで当時の菅直人首相が「海水注入中断」を命じ「震災翌日、55分間」の中断があったと報じたが、これを命じたのは東電の武黒フェローだったことが吉田調書から判明したのだ。しかしこの件について、読売は謝罪はおろか、何の説明もしないまま未だ無視し続けている。


産経も同様だ。2011年7月には中国の江沢民前国家主席が死去したとの大誤報を犯している。この記事については当初から誤報の可能性が強く指摘されていたが、産経はそれを認めようとせず、10月に氏が公式行事に姿を現してようやく誤報を認めた。しかも、この時に発表した「誤報の経緯」に明らかな矛盾があり、虚偽の説明をしていたことが発覚している。
 

  2012年7月には、東京23区で行われた陸上自衛隊の総合防災演習をめぐってとんでもないでっちあげまで行っている。このとき、産経は23区のうち11区が市民グループから『自衛隊に区の施設を使わせるな』との申し入れを受けて、自衛隊を拒否していたと報道。7区の担当職員が演習に立ち会わなかったと名指しで批判した。さらに翌日の「産経抄」でもこのことに触れ、「迷彩服をなぜか受け入れられない人の存在は、承知している。まさかそんな一部の声に配慮するあまり、首都直下地震に向けた自衛隊の訓練をないがしろにする防災担当職員が、東京都内の区役所にいるとは」などと記した。


 ところが、これに対して、11区の自治体が抗議文を送り、実際には立ち入りも認めたうえで立ち会いにも応じており、報道とは異なると強く主張。産経新聞は「おわび」の記事を出すとともに、同日の産経抄でも訂正と謝罪をおこなったのだが、その文面はなかなか興味深い。


 「記者生活ウン十年、これまでも数多くのミスを重ねてきた。ミスの最大の原因は『思い込み』だ。今回の場合、迷彩服姿の自衛隊員が行う訓練に対して、一部に批判的なムードがあるのは事実だから、区役所の非協力もあり得ると、納得してしまった」


 産経新聞は自衛隊への「批判的ムード」を攻撃するために存在しない“左翼市民グループ”を空想してしまったらしい。これではまるで陰謀論好きのネトウヨではないか。


 いずれにしても、とんでもない誤報を繰り返しているのは読売や産経も同じなのだ。そして、誤報発覚後もやはり朝日と同じように、その間違いをぎりぎりまで認めなかったり、認めても虚偽の経緯説明をするなど、狡猾な隠蔽工作を行っている。


 にもかかわらず、読売、産経は自分たちのことを棚に上げ、官邸や右派グループと組んで、この朝日叩きを大々的に仕掛けたのだ。


 もちろんメディアが誤報を犯したらきちんと訂正・謝罪するのは当然のことだ。しかし、この程度の誤報で「世紀の犯罪」を犯したかのように報道機関を袋だたきにして、「社長の辞任」や「過去の社員の処罰」まで求めるのは明らかにおかしい。報道には誤報がついて回るものであり、こういう過剰反応の前例をつくることは、現場を萎縮させるだけだろう。


こういうと、「朝日の場合は国際社会で日本人の誇りを傷つけたのだから、断罪されて当然だ」という声があがるかもしれない。しかし、それなら読売、産経のほうがずっと罪は重い。なぜなら、彼らこそがあの福島原発事故を引き起こした戦犯だからだ。
 

  日本の原発導入の立役者だった正力松太郎がオーナーだった読売新聞と、財界右派の意向を受けて誕生した産経新聞は、1970 年代から原発推進の旗ふり役をつとめてきた。マスコミ各社の中でも突出した量の広告を電力会社からもらい、紙面では安全神話を喧伝し、反対運動潰しの論陣をはってきた。原発シンジケートの一角を占めていたマスコミの中でも、彼らは最大の戦犯なのだ。


 たとえば、1986年のチェルノブイリ事故の直後の読売の紙面を読んでみると、社説で主張していたのは「我が国の安全対策に変更を迫るほどのことはなかった」「資源エネルギーに恵まれない日本は、技術エネルギーの開発で、世界に貢献しようではないか」という信じられないような楽観論だった。


 また、1996年、巻町で原発住民投票が実施されることになった際、産経新聞は反対運動を「本当に「自治」を貫くなら電力会社からの送電を拒否して自前で発電設備を備えるくらいの気構えが求められる」と脅し、「反対をあおる勢力が「政府の原発政策を見直させよう」というのは日本の国際信用をおとしめる意図があるとしか思えない」と、テロリストよばわりまでしている。


 さらに、JCO東海村で日本初の臨界事故が起きた時の産経新聞の社説のタイトルは以下のようなものだった。

 「初の臨界事故 徹底的に原因究明はかれ 原発否定の口実にさせるな」


 こうした安全神話垂れ流しと反対派つぶしの果てに、あの福島原発事故が起きたのだ。何十万人もの人の故郷を奪い、放射能汚染で自然環境を破壊し、何十年、いや何百年かかっても処理できないような大量の核のごみを作り出した。東電社員の退避や強制連行の有無というレベルの誤報とどちらが罪深いか、火を見るより明らかだろう。


 しかも、読売と産経は今、安倍官邸と完全にタッグを組んで、吉田調書の本質を朝日叩きの問題にすりかえようとしている。そして、朝日のシェアを奪って自社の新聞の拡販のために、従軍慰安婦問題を意図的にエスカレートさせようとしている。


 我々がほんとうに追及すべきなのはいったい誰なのか。ぜひ冷静に考えてみてほしい。
(エンジョウトオル)



「リテラ」より転載


関連記事を。


「吉田調書」が教えるものー原発制御不能の恐怖


朝日新聞が、原発政府事故調が作成した、「吉田調書」に関する本年5月20日付報道記事を取り消し謝罪した。スクープが一転して、不祥事になった。この間の空気が不穏だ。朝日バッシングが、リベラル派バッシングにならないか。報道の自由への萎縮効果をもたらさないか。原発再稼動の策動に利用されないか。不気味な印象を払拭し得ない。

朝日の報道は、事故調の調査資料の公開をもたらしたものとして功績は大きい。そのことをまず確認しておきたい。その上で不十分さの指摘はいくつも可能だ。「引用の一部欠落」も、「所員側への取材ができていない」「訂正や補充記事が遅滞した」こともそのとおりではあろう。もっと慎重で、信頼性の高い報道姿勢であって欲しいとは思う。ほかならぬ朝日だからこそ要求の水準は高い。大きく不満は残る。


この朝日の報道を東京新聞すらも誤報という。しかし、朝日は本当に「誤報」をしたのだろうか。問題は、5月20日一面の「所長命令に違反 原発撤退」の横見出しでの記事。


本日(9月12日)朝刊一面の「木村社長謝罪の弁」では、「その内容は『東日本大震災4日後の2011年3月15日朝、福島第一原発にいた東電社員らの9割にあたる、およそ650人が吉田昌郎所長の待機命令に違反し、10キロ南の福島第二原発に撤退した』というものでした。…『命令違反で撤退』という表現を使ったため、多くの東電社員の方々がその場から逃げ出したかのような印象を与える間違った記事になったと判断しました。『命令違反で撤退』の記事を取り消すとともに、読者及び東電福島第一原発で働いていた所員の方々をはじめ、みなさまに深くおわびいたします。」となっている。


この部分、吉田調書では、「撤退」を強く否定し、「操作する人間は残すけれども…関係ない人間は待避させます」と言ったとされている。どのように待避が行われたかについては、「私は、福島第1の近辺で、所内に関わらず、線量の低いようなところに一回待避して次の指示を待てと言ったつもりなんですが、2F(福島第2原発)に行ってしまいましたと言うんで、しょうがないなと。」


これは、明らかに所長の指示がよくない。650名もの所員に、「何のために、どこで、いつまで、どのように、待避せよ」という具体性を欠いた曖昧な指示をしていることが信じがたい。「福島第一の近辺で待機しろ」と言ったつもりの命令に、「2F(福島第2原発)に行ってしまいました」という結果となったことを捉えて、朝日が「命令違反」と言っても少しもおかしくはない。この場合の命令違反に、故意も過失も問題とはならない。「撤退」と「待避」は厳密には違う意味ではあろうが、この場合さほどの重要なニュアンスの差があるとも思えない。しかも、枝野官房長官は、「間違いなく全面撤退の趣旨だった」と明言しているのだ。


朝日に対して、もっと正確を期して慎重な報道姿勢を、と叱咤することはよい。しかし、誤報と決め付け、悪乗りのバッシングはみっともない。そのみっともなさが、ジャーナリズムに対する国民の信頼を損ないかねない。


各紙が報じている限りでだが吉田調書を一読しての印象は三つ。一つは、原発の苛酷事故が生じて以降は、ほとんどなすべきところがないという冷厳な事実。なすすべもないまま、事態は極限まで悪化し、「われわれのイメージは東日本壊滅ですよ」とまで至る。原発というものの制御の困難さ、恐ろしさがよく伝わってくる。「遅いだ、何だかんだ、外の人は言うんですけれど、では、おまえがやって見ろと私は言いたいんですけれども、ほんとうに、その話は私は興奮しますよ」という事態なのだ。3号機の水素爆発に際しては、「死人が出なかったというので胸をなで下ろした。仏様のおかげとしか思えない」という。

二つ目。官邸・東電・現場の連携の悪さは、目を覆わんばかり。原発事故というこのうえない重大事態に、われわれの文明はこの程度の対応しかできないのか。この程度の準備しかなく、この程度の意思疎通しかできないのか、という嘆き。これで、原発のごとき危険物を扱うことは所詮無理な話しだ。


もう一つ。吉田所長の発言の乱暴さには驚かされる。技術者のイメージとしての冷静沈着とはほど遠い。この人の原発所長としての適格性は理解しがたい。たとえばこうだ。

 「(福島第1に異動になって)やだな、と。プルサーマルをやると言っているわけですよ。はっきり言って面倒くさいなと。…不毛な議論で技術屋が押し潰されているのがこの業界。案の定、面倒くさくて。それに、運転操作ミスがわかり、申し訳ございませんと県だとかに謝りに行って、ばかだ、アホだ、下郎だと言われる。くそ面倒くさいことをやって、ずっとプルサーマルに押し潰されている。」


一日も早く辞めたいと。そんな状態で、申し訳ないけれども、津波だとか、その辺に考えが至る状態ではごさいませんでした」
「吉田神話」のようなものを拵えあげて、東電の免責や原発再稼動促進に利用させてはならない。

朝日の誤報という材料にすり替えあるいは矮小化するのではなく、吉田調書は、原発事故の恐怖と、原発事故への対応能力の欠如の教訓としてしっかりと読むべきものなのだと思う。
(2014年9月12日)



弁護士「澤藤統一郎の憲法日記」より転載



先日のNHKニュースでは、従軍慰安婦問題での「朝日」誤報問題で「従軍慰安婦が強制連行されたという朝日新聞の誤報について云々」と報道していたのにのけぞった。
吉田清治証言は済州島での問題なのに、あたかも従軍慰安婦全体の問題であるかの如き報道こそ、誤報そのものなのではないか。しかし両方とも「吉田」証言か、「朝日」と「吉田」は相性が悪いな。

これは従軍慰安婦問題で安倍政権や籾殻会長に忠信を示したいというNHK政治部の思惑が反映された原稿だったと思う。

「朝日」叩きは、やっている連中の各々の思惑から、様々な展開を見せているが、日本の政治や報道問題を考える上で興味深い。

ここはじっくりどんな連中が何を言っているのか、その背景は何かを考察していきましょうよ。