イスラエルの激しい空爆で破壊されつつあるパレスチナのガザ地区で、爆撃で死亡した妊婦から、赤ん坊が帝王切開で救出された。赤ん坊は生きているが生存確率50%という死線上にある。
英BBCによると、赤ん坊の母親は、住宅街への爆撃を受けた一角に住んでいて被害に遭った。妊婦は病院に運ばれたが死亡し、緊急の帝王切開で赤ん坊が取り出された。女の子の赤ん坊は生存できるかどうかは微妙な状態が続いているという。
女の子は名前もつけられていない。治療に当たっているパレスチナ人の医者は、「私は非常に怒っている。そして非常に悲しい。この子は、本当の私の子どものような気がする」と語っている。
これまでのイスラエルの空陸両方からのガザ地区への攻撃で、845人以上が、あるいは1000人以上が死亡したとされている。その大半が、パレスチナの住民で、女性や子ども、赤ん坊たちである。
虐殺が広がる中で、奇跡的に救出された赤ん坊。そのか細い命の鼓動が途絶えぬよう、大人たちの怒りと憎しみの心を、悔恨と慈しみの心に変える努力を、直ちに始めねばならない。
週のはじめに考える 報復の連鎖断つには
中東では報復の連鎖が続いている。ガザではおびただしい血が流れている。どうしたらその連鎖は断てるのか。難問の答えを過去に探してみましょう。
ふざけるわけではないが、アラブにはこんな小話があります。
…十人のテロリストがいた。取り締まる側は五人を殺し「残りはあと五人だ」と言った。
だが、テロリスト側はこう言った。「殺された五人の兄弟が二人としても、新しいテロリストが十人生まれ、テロリストは合計十五人に増えるのさ」
殺し殺される報復の連鎖とは、小話はむろん別としても実際に家族が殺されれば、似たような感情は芽生えるでしょう。
◆世界を驚かせたサダト
死者が増えるほど、敵対者への憎悪は深まります。戦闘が長引くほど、抵抗運動、相手から見ればテロともなりますが、それは拡大し組織的にもなるでしょう。
まさに暴力が暴力を呼ぶ悪循環です。
では、どうしたらいいのか。
二つの例を挙げましょう。
一つは、エジプトの故サダト大統領の場合です。
一九七七年十一月、彼は何と敵地イスラエルに乗り込みます。空港に降り立つ姿を見てラジオ局の記者は伝えました。
「私は、サダトが降りてくるのを見ています。しかし、それを信じられません」
それほどに世界を驚かせた行動は、サダトの頭の中では、ナセル大統領の死後を継いでまもなく描かれていたようです。人民議会で和平交渉の準備を述べています。周囲は信じませんでした。
それでも第四次中東戦争に「勝利」し交渉条件を整えたうえで和平に臨んだのでした。自伝では、敵対より繁栄が国民の幸福につながると考えたと述べています。
その通りだと思います。現代の指導者たちに聞かせたいような言葉です。
◆「土地」を返したラビン
しかし、サダトは和平に反対するイスラム過激派に暗殺されてしまう。逆に言えば、それほど勇気ある決断だったともいえるでしょう。殺されても彼の結んだ平和は今も生き続けているのです。
二つめは、イスラエルとパレスチナの、これも世界を驚かせた握手です。
一九九三年九月、米ホワイトハウスの庭で、イスラエルのラビン首相とパレスチナ解放機構のアラファト議長が手を差し出し合ったのです。
ラビンは、若い時から祖国防衛に身を捧(ささ)げてきた元軍参謀総長。ミスター・セキュリティーと呼ばれた人物です。
パレスチナ側への土地返還は祖国の安全との交換のはずで
した。国民には「ガザとヨルダン川西岸はラビンが(戦争で)取った。彼が返すのなら…」という気分があったのですが、やがて右派の青年に暗殺されてしまいます。
サダトとラビン、二人に共通するのは、第一に、だれもが不可能と思っていた和平を実現させたこと。第二には敵国ではなく内なる敵に殺されたことです。
和平で一番やっかいな敵は、相手よりも身内の反対者です。この地ではそれに宗教が絡むこともあります。それらを乗り越えたからこそ、二人は勇者として世界に記憶されているのです。
中東和平交渉は途切れたままです。パレスチナではイスラム主義組織ハマスなどが、イスラエルでは右派勢力などが和平に反対しています。そして目下、ガザの戦闘です。死ぬのは兵士であり、多くの住民、子どもです。
報復の連鎖を断つのは、やはりそれぞれの指導者の決断しかないでしょう。米国や国連の仲介は助けになります。しかし平和の必要性を自国民、住民に説くことができるのは指導者だけです。
サダトは戦争を捨てて繁栄を求め、ラビンは占領地と平和を交換しようとした。二人が求めたのは報復の連鎖を断つことでした。
それが、なぜ今できないのだろうか。
指導者に勇気がない、とはいいません。政治的保身を優先しているともいいたくありません。しかし、ラビンやサダトのように普通の人々の幸福を第一に考えるなら自(おの)ずと進路は決まるはずです。
◆待たれる指導者の決断
ガザの戦闘の発端は、イスラエル、パレスチナ、合わせて四人の少年の惨殺事件でした。双方に憎しみの声はわき起こりましたが、静かな応対もありました。イスラエルの少年のおじがパレスチナの少年の父親に電話をかけ、互いに弔意を表したといいます。
報復の連鎖を望むのは少数の反対者であり、大多数の人はそんなものは望まないのではないでしょうか。指導者の決断を待っているのではないでしょうか。
「東京新聞」社説より転載
エッセイイストで故林屋三平師匠の妻でもある海老名香葉子さんが、「しんぶん赤旗」のインタビューで、自らの体験から「私も80歳です。体が続く限り『戦争は芯から悲しい』と世間に伝えぬきたい」「私は災害で出動する自衛隊員を頼もしく感じ、国を守るために必要な人たちだと思っています。でもこんなありがたい人たちに武器を持たせ、国外に出すことには反対です」と語っている。
殺されれば残された者は恨みが募る、報復の連鎖は戦争にはつきものだろう。
人類は戦争の悲劇の歴史から、国連を作り政治の力で戦闘行為をなくそうと努力してきたはずなのに、ガザでもウクライナでも殺しあいが続き、悲しみの連鎖が途絶えることがない。
戦争で儲ける連中の思惑も背景にあるのだろうが、そうした思惑を乗り越えて連帯し合う術と知恵を人類は持っていると信じたい。
安倍晋三のような軍事的対決にしか頭が向かない指導者たちを国際的に葬るために国民同士の連帯が求められていると痛感する。