アメリカは「日本の戦争」に巻き込まれることを恐れている - 元官房副長官補 柳澤協二 | 函南発「原発なくそう ミツバチの会」 ノブクンのつぶやき

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『星条旗新聞』は「無人の岩をめぐる争いに、巻き込まないでくれ」と書いた。
安倍総理の「情念」が日本を危険な場所へと導いている。



元官房副長官補 柳澤協二


  北朝鮮が核保有国になった、中国に尖閣諸島を盗られてしまうかもしれないー今、集団的自衛権行使容認を主張する論者の多くは、前提としてそんな説明をします。しかし、日本を取り巻く軍事的脅威が高まったのであれば、それは日本の有事ですから、個別的自衛権をしっかり使えるようにすべき、というのがあるべき答えで、本来そこに集団的自衛権が出てくる余地はありません。



 集団的自衛権行使によって日米同盟がより緊密なものになる、という理屈もよく語られます。自民党でこの議論をリードしてきた石破茂幹事長はしばしば、「"僕が殴られたときは助けてね。だけど君が殴られても助けてあげられないよ"では、友人関係は成り立たない」という喩え話をしますが、それは普通の友人同士なら、そうかもしれません。


しかし、日本は、誰からも絶対殴られない、世界で一番強い友人と同盟を結んでいるのです。アメリカは、本当に我々の助太刀など必要としているのでしょうか。もしアメリカにミサイルを撃ち込んだら、その国は破滅的にやり返されます。巨大な報復力こそアメリカの抑止力です。そういった前提条件を無視して、人情話に置き換えてしまってよいのでしょうか。


米中はお互いの〝間合い〟を探っている

 客観的に今の国際情勢を見ると、たしかに中国の台頭によってアメリカの力は相対的に落ちています。イラクやアフガニスタンで手痛い損害を被り、軍事的な介入のオプションが使いにくい状況になってもいる。

しかし、アメリカはまだ、中国に負けるとはまったく考えていません。GDPや軍事費ではいずれ追いつかれるかもしれませんが、これまでの蓄積の差が歴然とあるからです。一方、中国のほうも、どこまでやればアメリカが本気で怒るかが見えていません。その間合いをお互いに確認しようとしているのが、ここ数年の米中関係だと思います。


 現在の米中関係は、冷戦時代の米ソとは違います。お互いに相手がいなければ経済が成り立たない関係になっているからです。だから軍事的なヘッジはしておくけれども、アメリカの真の目標は、中国が国際ルールに従う普通の国になってくれること。そういう流れで今後、米中は動いていくでしょう。



 そこでアメリカが国益上心配するのは、アメリカの意図せざる軍事衝突が起きて、巻き込まれてしまうことです。つまり日本が、尖閣で何かあってもアメリカを引っ張り出せばいい、などと考えていると、アメリカの国益とずれが生じる可能性があるのです。  


超大国としてのアメリカが、国益上許せないことは二つあります。

 ひとつは世界のどこかの地域にアメリカを排除するような覇権国が出てくることは絶対に認めないということです。これは日露戦争のとき、ロシアを牽制するために日本を助けて、講和を仲介したときから、ずっと変わっていません。

 もうひとつは、戦争をするかしないかは自分で決めるということです。よその国に引きずられて戦争をするということを、アメリカはもっとも嫌う。


 昔は日米安保の問題といえば、アメリカの戦争に日本が巻き込まれるという議論でした。それがいまは、アメリカが日本の戦争に巻き込まれる事態を心配する時代に変わってきているのです。


 実際、去年二月に安倍晋三総理が訪米する直前、アメリカ軍の関係紙『星条旗新聞』に、「安倍は『無人の岩をめぐる争いに、巻き込まないでくれ』と言われるだろう」という記事が載りました。ですから、日本が助けてくれると期待する米軍にも、微妙な雰囲気があることがわかります。


 また、昨年十一月に中国が防空識別圏を勝手に設定したことにアメリカは抗議をしましたが、そのひと月後、安倍総理が靖国に参拝してしまった。これに対してアメリカ政府は「失望した」とコメントしました。


同盟国に対して「失望した」というのは、非常に強烈なメッセージです。これも、中国の軍事力を抑止しながら普通の国に変えていこうという戦略の中で、日本が勝手に緊張を高め、むしろ混乱要因になることを、心配したからでしょう。



 かつて「日米も、米英のような同盟関係であるべき」と提言した元米国務副長官のアーミテージ氏も、オバマ大統領が来日する直前、日本の集団的自衛権について「そんなに急ぐ必要はない」と、発言をトーンダウンさせました。


アーミテージ氏は、アメリカの国益を最もリアリスティックに考える立場の人物です。あの発言は、集団的自衛権そのものよりも、いまの安倍政権の姿勢全体に対して「少しブレーキをかけないと、アメリカの国益を害するかもしれない」という意味で、イエローカードを出したのだと思います。



 来日したオバマ大統領が、「尖閣諸島は安保五条の適用範囲だ」と言ったのも、中国を牽制しつつ、日本に対して、「これまでと同じでアメリカは日本を守るから、余計なことをしてくれるなよ」と釘を刺したと考えられます。


解釈改憲を強行する安倍総理の情念

 安倍総理は自民党幹事長だった二〇〇四年一月、外交評論家の岡崎久彦氏と共著で『この国を守る決意』という本を出しています。安倍総理がこの中で書いているのは、「祖父の岸信介総理が行なった安保改定は、アメリカの防衛義務を定めたことで、時代的制約の中で最大限の努力を果たした。自分の世代には、自分の世代の歴史的使命がある。それは、日米同盟を完全な双務性にしていくことだ。アメリカが血を流すなら、日本もアメリカのために血を流して初めて、日米は対等になる」という論理です。


つまり、北朝鮮や中国の脅威は後付けの理屈で、本音は、「十年前からこれをやりたい。だからやる」という情念なのだと理解するほかありません。


 安倍総理がこの本を書いた〇四年は、アメリカはイラクとアフガニスタンで泥沼にはまっていた時代で、アメリカは本当に困っていましたから、こうした発言も受け入れられたし、期待もされたでしょう。しかし、現在の状況は大きく変わっています。


 それでも執拗に集団的自衛権行使の容認にこだわるのは、アジアの大国の地位を中国に奪われた日本が、自信喪失の裏返しとして、ナショナリズムを高揚させようということではないかと思うのです。


尖閣の争いの本質も、資源の争奪や軍事的優位の確保といった問題でなく、日中双方のナショナリズムの衝突だと私は思っています。だからこそ、妥協が難しい。



 集団的自衛権行使の容認は、過去六十年の憲法秩序と国の姿を大きく変えることを意味します。だから、きちんと民主主義の手続きを踏まなければなりません。「九条を改正したいから、まず九十六条を改正する」と言っていたほうが、まだ筋がよかった。それでも「裏口入学だ」と批判されたわけですが、今回の解釈改憲はもっとひどい。入学試験さえ受けず、勝手に教室で授業を受ける「もぐりの学生」のようなものです。



 私自身が行使に反対する動機は、官房副長官補として担当した自衛隊のイラク派遣です。イラク戦争後、日本は初めて陸上自衛隊を人道復興支援のためにサマワへ派遣しました。これが原点なのです。これは防衛官僚として生きてきた中で、一番ストレスフルな仕事でした。もし隊員から犠牲者が出たらどうする、そう考えると、眠れない日々が続きました。


日本が集団的自衛権を行使できる立場になり、アメリカがまたイラク戦争のような戦争を始めた場合、こんどは戦闘への参加を断われないでしょう。もし断わったら、それこそ日米同盟は崩壊します。



 今度ははっきりと、犠牲を想定しなければいけない状況になるわけです。そのときに一体、何をもって日本の国益と定義し、何をもって国民の理解を求め、何をもって自衛隊員に「死んでこい」と言うのか。



 あやふやな根拠では、自衛隊も戦う覚悟はできません。その覚悟は、国民から支持されているという自信から生まれます。安倍政権が、集団的自衛権を行使することが正しいと信じるのであれば、まず国民に向かって、憲法そのものを改正する議論をすべきです。その危機感の持ち方が正しければ、日本の国民は理解するはずです。



 今の憲法九条解釈は誕生の経緯からして、複雑な背景があります。昭和二十七年、日本が独立を回復すると同時に日米安保条約も発効しましたから、最初から、憲法九条と自衛隊、米軍基地は矛盾を孕んだまま存在していたわけです。そこを解釈でしのいできたのですが、それを打ち破るだけの理由があるのか。私はないと思っています。



 安全保障の問題は、国民の生命に直接係わります。憲法解釈という政府の権限だけでものごとを処理していくことは、立憲主義の精神からみて、到底許されることではありません。

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プロフィール

柳澤協二


やなぎさわ きょうじ
 

1946年東京都生まれ。70年東京大学法学部を卒業し防衛庁入庁。長官官房防衛審議官時代に日米防衛協力ガイドライン改定作業を担当。その後、官房長などを経て、内閣官房へ。内閣官房副長官補時代に自衛隊のイラク派遣を担当。2009年退官。現在、NPO法人「国際地政学研究所」理事長。 




文藝春秋SPECIAL」より転載




リアリティに富んでる発言だ。安倍晋三の空想的交戦権とはえらい違いだ。
集団的自衛権というものの本質への理解が国民の間でもっと拡がると良い。