「国家ってなんだろう?」の疑問が再燃=柴田鉄治(日本ジャーナリスト会議代表委員) | 函南発「原発なくそう ミツバチの会」 ノブクンのつぶやき

函南発「原発なくそう ミツバチの会」 ノブクンのつぶやき

「原発なくそう ミツバチの会」の活動報告や事務局ノブクンの日々のつぶやきを発信しています。

「国家ってなんだろう?」という疑問が私の胸に最初に浮かんだのは、小学校(いや当時は国民学校といった)の5年生で敗戦を迎えたときだった。

 
 戦う少国民を育てるためにと改称された国民学校では、「撃ちてしやまん」「欲しがりません勝つまでは」と軍事教育一色で、「すべてはお国のために」「命を捧げよ」と骨の髄まで叩き込まれた。

 
 個人より国家が大事だという思想に当時は何の疑問も感じていなかった。

 
 やがて学童疎開が始まり、東京大空襲でわが家も焼け、ひもじい思いの疎開先で敗戦を迎えたとき、「二度と戦争はごめんだ」という思いとともに、「国家ってなんだろう?」という疑問がちらりと浮かび、「国家がなかったら戦争もないのでは」と考えた。

 
 ところが、その3年後に「国家より個人のほうが大事なのだ」という新憲法が発布され、そんな疑問は吹っ飛んで、戦争を放棄し、基本的人権を重んじる新しい国家像に、熱い期待を託してその後の人生を歩んできた。


 もちろん、ベトナム戦争や湾岸戦争、イラク戦争などが起こるたびに「国家さえなかったら」と思ったり、あるいは逆に、南極観測に同行して「国境もなければ軍事基地もない」平和な南極の姿に感動したりしたことはあっても、「国家ってなんだろう?」という疑問に真正面から向き合うことはめったになかった。

 
 それが、第2次安倍政権の誕生以来、「国家ってなんだろう?」という疑問がまたまた激しく湧き起こってきたのである。

 
 特定秘密保護法の制定や解釈改憲による9条の形骸化など、日本を戦前の社会に戻そうとする矢つぎばやの動きに、キナ臭いにおいが漂い始めたからだ。

 
 安倍首相は「国家が国民の安全と幸せを守るために」と言っているが、戦前の政府も同じことを言っていて、国民を不幸のどん底に突き落としたのである。

 
 「国家は国民を守るためにある」なんて言葉は、まったくのウソだったのだ。

 
 昨年、私は北朝鮮を見に行って、「国家ってなんだろう?」という疑問をあらためて痛感した。朝鮮半島に二つの国家が生まれなかったら、そして、国民を守るためと称して膨大な軍備や核兵器の開発などにカネをかけなかったら、国民は豊かな生活を送れることは明らかなのだから……。

 
 地球全体を一つの国家にしたら、軍隊も軍事基地もいらなくなり、世界中が豊かになることは目に見えている。もちろん、今すぐにとはいかないだろうが、それに向かって進む努力くらいはすべきではないだろうか。

 
 ナショナリズムを煽って近隣諸国とも仲良くできない国家なんて、情けないかぎりである。(JCJ代表委員)



日本ジャーナリスト会議「ジャーナリスト」5月25日号より転載




国家って何だろうという疑問は、中央アジアを旅してみて痛烈に感じた疑問でもある。
各民族・部族が入り乱れて覇権争いをくり広げてきたシルクロードの国々は侵略と殺戮の歴史の後、ソ連時代には国境も無く自由に出入りが出来たわけだが、ソ連解体で独立国家となった今、厳しい国境管理が行われるようになった。

しかし国境なんて極めて人為的な制度であり、キルギスとカザフスタンの国境となっている川など、伊豆半島を流れる狩野川より狭いところが至る所にあった。ウズベキスタンとトルクメニスタンの国境で我々が越えた所は緩衝地帯を除けば、幅1メートルくらいの側溝でしかなかった。

そんな国境で隔てられた国とは何なのか。おそらく検問なんかなかった昔には、何の意識もなく自由に行き来していたのだろう。当然紀元前から様々な民族の混血が進んでいたわけだ。

ツアー仲間の「世界中で混血が進めば、あの国がどうだ、この国がどうだなんて言い合うこともなくなるだろうにね」の言葉が妙に真実めいて聞こえたものだ。

日中もお互いに軍事的対決に走るような馬鹿な真似はやめて、心を開いて話し合ったらどうなのか。戦闘行為が起こったらどちらの国にも損しか産まないよ。



関連記事を。


離島奪還訓練 危機をあおる印象操作だ


 東シナ海の緊張と混迷が深まり、日中双方に疑心暗鬼ばかりが募る事態を強く危惧する。

 防衛省は、鹿児島県・奄美群島の無人島、江仁屋離島(えにやばなれじま)で、陸海空の3自衛隊が連携した離島奪還訓練を27日まで実施している。尖閣諸島をめぐって日中関係が悪化する中、海洋進出を強める中国をけん制する狙いがあるのは明らかだ。

 
 時を同じく東シナ海の北方では、中国海軍とロシア海軍が合同軍事演習を26日まで実施している。こちらも日本と米国をけん制する意図がある。

 
 日中双方の軍事的な威圧行為は、いたずらに緊張関係を高め、対話による問題解決を遠ざけるだけだ。無用な危機をあおる軍事訓練を日中両国は厳に慎むべきだ。

 
 3自衛隊による離島奪還訓練は国内では初めてだ。安倍政権は離島防衛強化を掲げており、南西諸島への陸上自衛隊の警備部隊配備に向けた地ならしの意味合いもあろう。中国に対する住民の警戒感をあおる狙いも透けて見える。

 
 実際、中国脅威論が喧伝(けんでん)されることで県民感情も悪化している。県が昨秋実施した県民意識調査で、中国に「良くない」印象を持っている人が89・4%に上った。


しかしながら対立がエスカレートすれば、真っ先に狙われ被害を受けるのは軍事基地が集中する沖縄であることを決して忘れてはなるまい。

 
 離島奪還とは、敵対勢力に制圧された島を、上陸して武力で奪い返すことを指す。尖閣諸島が想定されるが、先島など有人島も対象とされる。住民がいる島で奪還作戦が実行に移され、戦闘状態に陥れば、どのような状況になるかは沖縄戦が既に実証済みだ。

 
 そもそも離島奪還とは、領土・領海を防衛する国家主義的な目線でしかなく、住民の安全は二の次、三の次であり、場合によっては島の全滅をも想定するものだ。外交の失敗を前提とした島民全滅作戦と置き換えてもいい。

 
 安倍晋三首相は「国民の生命と財産を守る」と繰り返すが、その中に沖縄県民が含まれているのか甚だ疑問だ。

 
 離島奪還作戦は机上の空論でしかなく、訓練の実行はまやかしだ。国民の危機意識に訴え、「戦争ができる国」への政策転換を正当化するための印象操作でしかない。


安倍政権は、外交努力による中国との関係改善に注力すべきだ。戦わずして平和を維持する最高の外交こそ追求すべきだ。




「琉球新報」社説より転載