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健康と癒やしをお届けする
宇宙療法のSenjuです。
まえがき:
心から心へ(河野慈光著)から
『お寺は法要だけをするところではありません。みなさまの心のなかにあるわだかまりやしこり、悩みを全部はき出し、
仏さまに聞いていただき、適切なアドバイスをいただく場所でもあるのです。
とはいっても仏教関係の話すことはむずかしい、とお考えの方も多いと思います。たしかに難解なことをおっしゃる方も一部にはいますが、全部が全部ではありません。 むずかしいことをいったほうがわかるのなら、私はいくらでも申しますが、そんなことを話してなにになるのでしょうか。
実生活でなにかの役に立つのでしょうか。夫婦の不和が、夫の浮気が、子供の非行がなおるとでもいうのでしょうか。
仏さまの教えのひとつでも、わが身の問題としてとらえられたとき、初めて仏さまの心がその方のなかで生きづき、問題の解決につながってゆくのです。 私がつねにお話することもそういったことなのです。
今でも地方の小さな町へまいりますと、お寺が町のなかに溶け込んでいます。
漁師町などですと、今日はきれいなイカがとれたからご住職に召しあがってもらおう、ともっていかれる。 そこで漁師さんは息子さんの将来についてお話になり、ご住職にアドバイスをもとめたり、判断をあおいだりされる。
このように日常の細かな悩みを気楽に
相談できる、というのがお寺本来の姿だと思います。
慈光寺の姿もやはりそういったものなのですが、少しちがうところがあります。
ふつうですと、相談に答えられるのは
御住職自身なのですが、慈光寺では
多くの仏さまや八百万の神が私の口を
使ってお答えいたしております。
世間に知られてはへんに思われてはいけないので、長い間ふせてきたのですが、
実は私は四歳のころから不思議と思われることを申していたそうです。
つまり私には人の未来がわかり、多くの仏さまや八百万の神と直接お話ができるわけです。 そのため現在のようにお寺に開くまえから多くの方が私を頼ってご相談にこられ、そのつど私はいろいろとアドバイスを与えてまいりました。
そのような私の力を見抜かれ、弟子に、とおっしゃってくださった方が
天台座主猊下山田恵諦大僧正だったのです。
今も勤行のあと信者さんの顔を見ていますと、自然に口が動きます。
仏さまや神さまが私の口を使ってお話しておられるわけですが、この現象をどのように説明するとわかってもらえるのか、私自身困ってしまいます。
人によっては、テレパシーだとか、超能力だとか、霊感があるとか、
神がかりだとかいわれますが、私の力は決してそのようなたぐいのものでは
ありません。ただたんに仏さまや神さまと直々にお話ができる、
そういうふうに生まれついている、というだけのことなのです。
だから今までに超能力がほしいと思ったこともありませんし、それを得るために努力をしたこともありません。
それで天台座主猊下は、
「慈光さんは、やれ法話だの、やれ学問的なんだのとする必要はありません。
仏さまと直々にお話できるのですから、あなたが思う通りありのままを話し、
迷っておられる方を一人でも多く救ってあげてください」といっておられます。
そういうお言葉にはげまされ、私は日々迷い悩める方々に進むべき道を示しています。
より多くの方々を救うため、私はあえて宗派をこだわりません。現在どうような宗派を信仰しておられる方にも慈光寺の門は開いております。また後に列記いたしますが、仏像も多数ございます。
天台宗自体もともと包容力に富む宗派なのです。
源信、法然、親鸞、道元、栄西、日蓮といった新仏教の始祖はみんな天台教学を学び叡山で経典ととりくみ、独自の解釈を広めていったのです。
いわば天台宗は日本仏教の母なる存在です。
不信、不正、不和、不満。さらに戦争、殺人、飢餓、自殺。今、地球上の人類は迷いと苦しみの淵にたたずみ、救いを求めておられます。
このようなときに宗派をこだわらない
仏教と私の力が、どれほど必要とされているかを痛感し、あえて本書を執筆いたしました。
標題『心から心へ』は、仏さまのお心の一端でもみなさまにお伝えできたら、
と念じてつけたものです。
本書が明るく幸せな家庭をつくる一助になりましたなら、これにまさる筆者の
幸甚はございません。
昭和五十七年十月
河野慈光
*慈光寺でお祀りしています仏像は以下の通りです。
大日如来、釈迦如来、阿弥陀如来、薬師如来、聖観世音菩薩、十一面観世音菩薩、文殊菩薩、延命地蔵菩薩、勢至菩薩、準胝観世音菩薩、不動明王、青不動明王、元三慈恵大師、弘法大師、毘沙門天、大黒天、弁財天』
慈光様は、佛の世界から
ご加護頂いています。