大人になると諦めることが減ります。 | ◆神奈の独り言◆

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音楽大好きな健康オタク【神奈(かんな)】の毎日...。日常の一コマや仕事の話から音楽の話までぶっとんで元気なブログです☆株式会社イヌイの社員。エクスマ51期です

ちゃんとお化粧したある日。



神奈です。



9割をすっぴんで過ごしている私
女子力はかなり低めになってる気がする。





子供が出来ると
諦めることが増える


何度か聞いたことのある言葉です。




大人になると
諦めることが増える


これも何度か聞いた。




確かに時間的な制約はできるし
物理的に不可能なことはたくさんあるんですけど

私は逆に思ってます。




子供が出来たら
確かに出来ないことは増えるけど
出来ることも増える。



あと、間違いなく幸せを感じる頻度は増えるし
他者を慈しむ気持ちを育ててくれる。




母から
私は結婚して変わって
子供が産まれてからまた変わった
とっても成長した

とこの間言ってもらえたのですが
本当にそう思う。


自分なりの成長というか
変化はやっぱり感じてる。




私は自分以外に興味がない
自分大好き人間だったので
正直本当の意味で人を愛したことは今までなかったのかもしれない
主人と一緒にいるようになって気が付いたし


相手を好きとは感じて一緒にいたんだけど
好きと、プラスして『私に何かをもたらしてくれる人』という付加価値があって
それ込みで好きというか。


まぁ人間誰しもそういう損得勘定はあるものかもしれないし
私が無駄にそういうところを考えてしまう人なだけかもしれないけど

良いところだけあれば良くて
嫌なところは治してほしいと思っていました。


主人には嫌なところもあると思うけど
完璧じゃなくていい
この人だから一緒にいたいと思ってます。




優しく懇切丁寧に私の癇癪にお付き合いしてくれる姿は
菩薩様のそれです。

そのおかげで
私も自分を正す努力ができるようになったと思う。




もんちゃんは
あの小さな身体で
私にものすごい成長の機会を与えてくれてると本当に思う。



何より
ここまで私を必要としてくれる人は世界中でこの子だけだと思う。


この絶対的な状態があることによって
たぶん私は『我慢する』ということを覚えました。


我慢ね、ほっとんどしたことなかった。
我慢という言葉は知ってるし
軽い我慢ならしたことはあるし
逆に子供の頃は感じていなかっただけで
我慢だらけだったと思うけど

眠いのに耐えるとか
お腹減ってるのに耐えるとか
それありきでお世話するとか


眠いのもお腹減るのも我慢したことあるけど
ここまで究極に耐え抜いたことはなかったです。



睡眠不足がひたすら続いても文句すら出ない感情は生まれて初めてでした。
赤ちゃんってほんとにすごい。



想像以上にもんちゃん手のかかる子だったけど
こんなに可愛い子はこの世に二人といない。




諦めるとか
そんなものはないんです。


主人と私、二人で望んで授かったから。


私のような最悪誰かに頼れる
という状況だから心底そう思えているのかもしれないけど

娘の犠牲になってもいないし
娘を必要としたのは私。



大人になると色々諦めるとか仕方ないとか
そんなのは自分の意思だと思う。


諦めたのは自分で
別に誰かに頼まれたわけでもない。


仮に誰かに頼まれたとしても
それを受け入れたのも自分。


私はいつもそう思ってる。



自分に対してそう思ってるから
誰かにも同じように考えてしまって冷たくなることがあるのが
今自分が直すべきところだとも思ってます。



『自分で決めたことでしょ?』と。



確かに
どんなに願っても手に入らなかったものだってあるし
どんなに苦しくても受け入れる他なかったことも
そこそこの人生送ってきたらあるけれど

それはやり方を間違えたからだったり
相手の感情を思いやれなかった自分の落ち度だったり
色々と原因はあるもので

だけど
『やる前から諦める』というのとは違う。




ただ、親元で育つ以外の選択肢のない子供時代に起こることは
自分の選択肢ではないと思ってます。


いや、選択肢はあるのかもしれないけど
その選択肢を知れる環境にいなければないのと同じで
虐待を受けていたり
いじめを受けていたりする子は
『自分の選んだ道ではない』と思う。



私も小学校でそこそこのイジメがあったし
叔母と祖母からそこそこの虐待があったし
それ以外にもそこそこのアレがありましたけど

それは自分で決められる範疇にはないものでした。



だからこそ
大人になって、自分の人生に責任を持つようになれたら
諦めなくていいんだってことを学びました。



大人になれば
諦めなくて済んだんです。



嫌なものには嫌だと言っていいことも
好きなものを好きだと言っていいことも
やりたいことをやりたいと言っていいことも
子供の頃よりもずっとずっと
今の方がやりたいことをやれている。



クリスマスを家でお祝いしたかったとか
外に遊びに行きたかったとか
おじいちゃんのお葬式に出たかったとか
普通に友達を作りたかったとか
物で叩かないでほしかったとか


うん、まぁ色々とね
やりたかったこと
嫌だと言いたかったこと
全部今ならできる。


そして、娘には
なんでも言えて、なんでも出来る環境にしてあげたいなって
理想も出来た。



あ、子供時代、あれね、
祖母が宗教に入ってたので
クリスマスとか禁止だったんです。
偶像崇拝?にあたるからとかいう理由で
おじいちゃんのお葬式にも出られなかったんです。
物で叩くのは『手で叩くと私の心臓が痛いから』という超思考でした。

今から考えるとすごいヤバイんですけど
その時はこれが普通なんだと思ってた。


そして現在は申し訳ないけど私宗教大っ嫌い。

(祖母が特殊だっただけで宗教に入ってる人を否定する気持ちはないです。ただ私自身は何があっても無宗教。)





まぁそんなこんなで
そこそこに大きくなれば
自分でお金稼いで
住みたいところに自分で住んで
食べたい物食べて
側にいたい相手を選んで
好きな音楽聴いて
やりたいことを自分で選んで自分で進めるんです。



子供より大人の方が
ずっとずっと自由だと思う。



諦めるのも選択肢だし
諦めないのも選択肢。



他人に多大なご迷惑をかけなければ
誰かを傷つけなければ
法を犯さなければ
何をするのも自由。




私は数多の選択肢の中で
今自分が一番したいことをしています。




心の中で燻っているものがあるなら
チャレンジしてみてはいかがでしょうか。


心の中で諦めたと感じているなら
目の前の幸せを探してみてはいかがでしょうか。



案外
『あっ、今私幸せだったわ』
と気付くかもしれないし
『今からでもやっぱりこれやりたいわ』
と思うかもしれない。


最悪死ななければ
失敗も中々いいものですよ。




もんちゃんは今日もいろんなものに夢中です。
いいな。こんなに夢中になれる姿を眺めるのは
幸せだな。




かんな