☆対岸の火事☆ | ☆心の支えが出来ました☆

☆心の支えが出来ました☆

ジャニヲタで人生の半分以上を過ごしました。
2019年宝塚に久々に戻り感想は書きませんが毎月観ています。
何か新しい好きな物を見つけたい。そんな日々です。

所詮

他人に起こった不幸は全て

どうでもいい対岸の火事なんだよな。

 

宙が再開したら

色んな人がもう加害側が可哀想だから、的な

こと言い出すんだけど

亡くなった彼女は、そうやって

同情させるような愁傷な態度をとることも

何もできないのに、とても不公平だと思う。

 

旭川の事件で教頭が残った生きている加害者の

未来の方が大事と言ったのと同じで。

 

劇団の思惑は

同情させて、風化させて、何もなかったように

することなんだなと、なるほど、だから

再開させたわけなのね。

 

お涙頂戴にすればいい、お前らやって来い、役者だろ?って

そういうことなのね。

 

なるほどな・・流石クソ企業うわてだわ。

 

公演をみて簡単に許していく。

そら自分の身内に不幸があったわけでもない

ヅカヲタなんかそもそもヅカ好きな信者なんだから

お花畑で生きてる訳よ

目の前で観た子が可哀想に感じたら

すぐそっちに切り替わるもんね。

だって他人の不幸だもの。

これが人の流れだなあと。

 

私だって人身事故で電車が止まって迷惑かけられたら

他でしんでくれって思うけど、

明らかに加害者被害者両方がわかっている状況で

そうは思わないよ。

全く知らないから人身事故は迷惑に感じる。

自分にとっては「遅刻の原因でしかないから」

それこそ他人だから。

 

加古川の事件の親御さんが

「娘は亡くなっているのに加害者が推薦で

実業団で働いているっておかしいだろう」と

言ってらしたけど

本当におかしい。加古川って教育者がきちがいの街なの?

海外ではいじめをした方の人間を精神科にいれる。

まともじゃないから、そうされる。

日本にはそのルールがない。

これがおかしい。

 

宝塚は今、正直加古川の事件と一緒だと思う。

「娘は亡くなっているのに加害者がのうのうと

舞台に立っているっておかしいだろう」

他人である私からみるとそう思う。

そこまでをご遺族が求めなかったのは

何か意味があるのだろうと思う。

 

恐らく、本当の主犯が既に退団済みっていうのも

あるんだと思う。

 

事実はわからない部分は多々あるけれど

 

1人だけ確定しているあの子だけは

きっとサイコパスだと思う。

自分普通にお茶会してもいいと思えちゃうのも

もうサイコパスだし

こればっかりはもう脳の病気かもしれないから

もし劇団抜きで裁判しても精神異常は逃げられてしまうから

何も出来ないかもしれないし。

 

宝塚にふれるたび、こうやって人間の汚い

嫌な部分を見る。

 

この先も

哀しみ、苦しみ、くやしさ、すべて

ご遺族がずっと背負っていくのに

加害者は退団したらしれっと過ごすのだろうと

思うと

 

悲しいよね。

世の中って。