年始からの愚痴ブログ。
北陸や海上保安庁の方、自衛隊の方々の苦難やご苦労を思えば、
我が身の器の小ささが嫌になります。
2017年に40年以上生きてきた自分の故郷から10時間かかる夫の故郷へ転居しました。
2022年2月2日に夫の両親の敷地内に家を建てました。
31日は午前中そば打ちをしました。
今回は、ほぼ夫が捏ねました。
夫は前日の餅つきからの疲労もあり、
疲れ果ててました。
(今でも肩に湿布を貼ってます)
そば打ちが終わり、
義母が独り言のように、
「和室に倉庫の座卓や座布団を用意しないと。
魚が届くから、刺身にしないと。
照り焼きを作らないと。」
とブツブツ言っているのを、私は聞いていましたが、夫は聞いていない様子。
私も聞かなかったことにしました。
作らなくていいということになっているはずなのにと内心思っていましたし。
義姉妹家族がお昼から来ることになっていました。
義姉妹のそれぞれの夫、高校生、大学生、社会人の子どももいるので、
準備は任せようと思い、
自宅で自分たちの2日の日のための仕込み(煮豚、ホワイトソース作りなど)、買い出しなどに忙しくしてました。
例年は、
31日は、ひたすら元旦の事始めの準備をしています。
が、今年は、
だったので、
そば打ちの後は家に帰りました。
座卓を増やしたり座布団準備したりは、誰かがしたのだと思います。
総勢15人が集まりました。
大晦日の夕食は一緒にと誘われたので、17時頃義実家に行き、
和やかに食事を済ませたあとは、お決まりの延々と続く洗い物。
夫は義母に座っておくように言われながらも、一緒に片付けてました。
私が洗い物している間に、義姉妹たちはお風呂に入りビールを飲み、
というお決まりの光景。
私は片付けが一段落して、お風呂に入ると言って、
19時半頃に同じ敷地内の自宅に戻りました。
子どもたちは先に帰って順番にお風呂に入って家で紅白を見てました。
私も一緒に少し見てからお風呂へ。
ゆっくり浸かりました。
そのあとは年越しそばを食べる22時頃にまた行くつもりでした。
子どもたちは、面倒くさーい、蕎麦の出前をお願いします!笑と言ってましたが。
年越しそばはみんなで一緒に食べるのよと、言い聞かせると、
長女が
「ほんと、長男の嫁って、昭和の遺物。」
と言い、次女が
「いぶつって異物?どういう意味?お母さんはいらない人?」と聞いてきて、長女と爆笑。
私が、お風呂を出て髪を乾かしてた時に、
私の携帯が何度か鳴っていたとの長女が教えてくれました。見ると、
義母からの電話が2件、LINE電話が2件の連続着信。
かけ直すと、
「年越しそば食べないの?」
時計を見るとまだ20時半。
「もう食べますか?」
義母「準備がいろいろあるじゃない!」
義実家に行くと、
義姉妹たちは座ったまま話をしていました。
夫はいませんでした。
義母に和室の回縁に置いた蕎麦を持って来るように言われ、
蓋付きの大きな木のもち箱を2段運んでいると、トイレから出てくる夫と出くわしました。
夫「えっ?もう食べるの?」
私「さぁ。準備があるって、お義母さんからから電話かかってきたから来たよ。」
夫が眉をひそめます。
夫が箱を持ってくれてダイニングキッチンに行くと、
義母
「あら、〇〇(夫)が持ってきてくれたの?」
夫
「もう食べるの?」
義母
「いや、まだだけど、準備しようと思って。」
夫
「これくらいkanna呼ばずに、俺に言ってよ。ほか何するの?つゆ作る?」
義母
「もう作ったのよ。」
夫
「これ運ぶだけで、わざわざkanna呼んだの?」
義母「・・。」
義母は年越し蕎麦のつゆにはこだわりがあり、私が手伝ったことはありません。
蕎麦を茹でるのがいつもの私の担当です。
私には急いでお風呂に入って、すぐ義実家に来て欲しかったのでしょう。
家族みんなでワイワイすごす大晦日と言う感じを求めていたのかも知れません。
家を建てたことで、今までずっと義実家で年末年始を過ごしていた私と娘たちが別行動をするのがもやもやしていたのかもしれません。
それから年越しまで義実家で過ごし、
あけましておめでとうを言い合い、自宅に帰りました。
元旦の事始めは、
義姉妹に午前中用事があるとの事で、
11時開始になりました。
夫に、
「本当に手伝わないからね!」
と言うと、夫にちょっとムッとされ、
「しつこい。11時少し前に行けばいい。」と言われてしまいました。
そして、翌日の元旦。
私にとっては、想定内の一日でした。
それはまた次のお話。
福袋も沢山出てますね。
フィルター無しのドリップホルダー。
1度使ってみたい。
新玉ねぎ。