かんみろぐ -18ページ目

かんみろぐ

ファミコン世代の現役高校生という謎の属性を持つちょっぴりヲタクな
UMA甘味堂という人物のどたばた日常記録という名前の日記。
+ポタリング記録とさいたま市某区の空記録がメイン?

品川区立中生自殺、同級生6人児相送致・通告へ : 社会 : YOMIURI ONLINE(読売新聞) http://www.yomiuri.co.jp/national/news/20130711-OYT1T01495.htm

名古屋:いじめ?中2男子自殺 ノートに「複数から死ね」- 毎日jp(毎日新聞) http://mainichi.jp/select/news/20130712k0000m040067000c.html

このニュースを受けて書きます。

「死ね」「ててなしってどうやって出てきたの?」とか性犯罪に遭えば「淫売」とかいやー顔を血だらけにされても先生は加害者を怒らなくて被害者の私を怒ったものだ。

私の足の親指あたりにはいじめで複雑骨折の箇所がある。唇の二針もそう。
回転塔って遊具が昔あって、嫌がっても、止めてくれなくて振り回されて力尽きて落ちた。
口じゅう血だらけ。

こんなイジメばっかりだよ。昭和時代のイジメって。

あとさ、自殺しないで生きてきたのではない、自殺未遂をみんなの前で小学校2年ってこともあってカッターナイフでやったんだ。
そしたらさ、帰りの会で笑い者にされただけ。

あゝ無駄なのか。って生きてきた。

中学の時も、3年の春さ、女子から「死ね」「死ね」コールがあってさ、だから制服のまま、冬の瀬戸内の海にに飛び込んだ。
学校の目の前に瀬戸があったから。
本当に当時も瀬戸にサメがいれば食われてたら良かったのにとかは普通に思う。

未だにね。

いじめって、やる方は気楽な遊びなんだよ。
本当に娯楽。
される方は地獄だけど。

される方が死ぬか逃げるか、それまで続くんだ。

いじめられた方は、一生心、または私のように体に傷が残る。

私は最近、見返そうかと一生懸命に生きてきた。
暴力で解決もしないし、一生バカにされたまま悔しいよね?
けれど、無理なのかな…。
いじめた奴らは結婚してるし、皆短大以上に進学している。
そいつの論文すら発見してしまったよ。博士としての。

一生負け犬であることを受け止めて生きるしか無いのだろうか?
PTSDという病の一つの原因がいじめの後遺症だとしても。


最後に:地元中学特定上等です。
何故なら今回のせた自殺未遂の方法ができる中学は全国でただ1校しかないからである。
(第一、地名を出さずに、学校の目の前の海に飛び込んだとごまかしても海のそばに中学があるなんて全国で1校しか無いから)

iPhoneからの投稿
【誰もが「乙武洋匡」や「アインシュタイン」になれる訳ではない。】

我ながらに挑戦的なタイトルだと自覚しております。

然しながら、毎度のように実はツイッター等で言っていることでしかないのですが、あえてブログに纏める事に
致しました。

例えば、日本には【乙武洋匡】という超有名な先天性肢体欠損障碍者がいます。
彼は「見える障害」で尚且つ「高学歴」で「同じ大学(早稲田大学)でお嫁さんを貰」って居て、子どもにも恵まれ、彼自身は「親御さん」にも恵まれています。

おまけに彼自身は、この間の個人レストランへの攻撃に対するブログでも書きましたが、【恥ずかしい事ですが僕自身はバリアフリーを意識したことがありませんでした】とあるのです。

このように、色々な意味で恵まれている障碍者は非常に特殊な存在である事をまずは、乙武洋匡氏本人も含めて、すべての人が【乙武洋匡氏という障碍者は凄く類い稀なる恵まれている人物】であること前提に障碍者福祉を考える必然性があります。

前回の記事の続きです。

元々「言論の自由」や「表現の自由」は己の表現や言論に責任を持ち、他者の「言論の自由」や「表現の自由」を侵してはならないものであったと私は感じております。

しかしながら、「(不愉快な表現)を見ない権利」が必要となったのにも理由があるのです。

「言論の自由」や「表現の自由」(「知る自由」も含めて)一部の権利ばかりが間違って先行・行使され過ぎたばかりに…。

「言論の自由」や「表現の自由」「知る自由」の被害に合う人々も出てくるようになったのです。

その被害者の代表例は各種犯罪被害者と犯罪被害者遺族です。

私のような性犯罪被害者にとっても「犯罪被害を思い出す引き金」という名前の見たくないもの(主にポルノグラフィティ)が街に溢れていたり、事件の被害者の中には探られたくない過去すべて晒された人もいます。

例えば、ストーカー殺人事件の被害者女性の名前はもちろん、友人関係や異性との付き合いの全てが晒されたり、中には「夜の職業であったから仕方ない。」との結論になった報道もありました。

殺された被害者は何も言えません。
まさしく、死人に口無しですよね?
photo:01



私とて、自衛できる範囲は自衛しておりますが(インターネットではIP遮断やフィルタリングを行う等)街中ではそうも行きません。

(性)表現規制反対派の一部は【自分の好きな性表現の自由】が守られることしか考えず、「性犯罪被害者の健やかに暮らす権利」「性表現を街中など生活圏で 見ない権利」を脅かしていい。
とか、【性犯罪被害者は《俺らの表現の》犠牲になれ】としか取れない考え方でリプ送るのが私は解せないのだ。
このように話すとこのようなリプライがかなり多く寄せられる。
一部には爆弾リプライを寄こす人もいる(おかげで私のアカウントの対ブロック数400アカウント超えています)のでほとほと困っています。
一例を抜き出します(追加することも今後あります)。
あのね、模倣をさせられた被害者の現実を話すとそういう風に言論封じを行おうとするのが問題だと言ってるんですよ。 RT: (略)ポルノの表現を模倣したり実行しない人の方が多いと思いますよ。
ごく一部の実行する輩を例に規制を主張するのはおかしいと思います

本音はこんなところだったりします。
宮崎勤事件でコミケが幕張を追い出されたり散々だったんですよね。表現規制ははっきり言いますと私も怖いですよ。
性的な事(どうしても性犯罪被害者としての語り部を背負うとつきまとう問題)を被害者の側からも発信出来なくなるわけですからね。
創作物、というのはノンフィクションに近いフィクション作品(被害を語るさい、被害者の特定を避けたりするためにこの手法をとるものもあります)にも生じる可能性が高い問題でもあります。

なんかうまくまとまってないので、その3をあげるかもしれませんが、よしなによろしくお願いいたします。
私の住む国、日本は孤立死大国と常日頃感じてる。
象徴的な出来事が私の身に降りかかって来た。

勿論、私もアパートメントに居住している。

ある晩、夜10時過ぎ、私の部屋のチャイムが鳴った。
インターホンのモニターをみると大勢の警察官が玄関の前に立っていた。
私も流石に驚いた。

ドアを開けて警察官の話を聴く。
「となりの部屋のチェーンが内側から掛かっているからベランダから隣に入るのでベランダに行っていいか?」と聞かれた。

隣で何かがあったのだろう?

人命が掛かってるだろうから了承をした。

ベランダ側の硝子について警察官に伝えた。
硝子は網入りガラスだから。

結局警察官はチェーンを切り表から入ったようだった。

救急車も来て、隣から様々な音がした。
隣で現場検証が行われたようで、カメラのフラッシュが窓から漏れたのが見え、そしてまた様々な音がした。
救急車は来た時と違い静かに現場を去って行ったようだ。

夜中まで、警察官等の話し声などがしたが、帰ったのだろう、音もしなくなった。

私は流石に眠る気も、無くなり、階段を降り、隣の部屋の郵便箱を見た。
チラシなどは2~3日程溜まってたようだった。
お隣さんにしては珍しいが、ここならたまにあることなので気にも留めなかった。

夜だったが、部屋にいるのも生きた心地がしないから、最寄り駅の隣駅まで彷徨った。
(日本の治安の良さに感謝)

そして朝方となり、帰宅しながら考えた。

私は隣の部屋の住人に何かできただろうか?
何もできなかったかもしれないが、このような事態を避けれたのかもしれない。
ひたすらに考える。

そして後味が悪い一夜を過ごしたのであった。

私のように孤立無援に生きる者。
隣の部屋の住人のように心配する家族がいる者。
どちらも独居生活を送る上で、孤立死は避けられないだろう。

大阪の特殊清掃業者には生前予約ができるという。
私も生前予約をしておこうか迷う。
ポーンと生前予約金を払える身分ならしておくだろう。

何れ私がうっかり部屋で死んだならば、特殊清掃を誰かが依頼するだろう。
その費用も積み立てておかないといけない。

うっかり「死にたい病(希死念慮)」が出てしまうし、そもそも友人などいないし、生まれることすら疎まれ育児放棄を戸籍上の養父?と産みの母親にされた身分故に孤立無援者であると言える。

私は岡山の叔母の件で確かに動いてるようなお人よしではあるが、ハッキリ言って、私生児・婚外子バッシングのこの国で結婚は期待できないし、勿論暮らしたことも無く、戸籍を見ないと三親等が誰かもわからないような身分故に身内に期待何ぞはできない。

某元友人だったかもわからない新鋭の絵本作家がさらりと

「地方自治体に支えて貰ってるかいいじゃん、一人で頑張ってる人いるんだし」

なんて言われ、「死にたい」「孤独である」と他者に訴えることも許されない私のような立場の人間は、一人で終の用意をしておく必要もあるのだ。

葬儀を出す人間も期待できない。
生前の宗教なども無関係に直葬と言う唯々荼毘になるだけというのもわかっている。

私は官に入れられる花は菊の花よりユリの花がいい。

出来れば、仏式より・元々産まれの流れに乗っ取り神式(神式の家です一応)か、一層の事、基督教式がいいと望んでいる。

でもそれすら贅沢なのが、葬儀公助なのである。

もしかしたら私は「行旅死亡人」となるのかもしれない。
荼毘を引き取る身内も、身元を紹介するような友人の期待も出来ない。


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「ごめんなさい」と「ありがとう」は魔法の言葉。

昔、「謝っても無駄」って言う少女に出会った。
場所は県立の女子高。
同級生としてであった。

きっと彼女は、今でも先ほど出した言葉を覚えてると思う。
そう思いたい。

「ごめんなさい」
この一言(心からの反省が伴うならば)で大抵の事は許される(方向になることも多い)

しかし

「ごめんなさい」というタイミングを逃したり、言わないで逃げ回るとね。

相手は「こいつは人の心を何だとおもってる?」「下に見ているから謝る気もないんだ」等と思ってしまうんだ。



こんなこと書いても本当に面と向かって(ビンタ付きで)言いたい相手に通じないのわかってる。
然し、書かないと気が済まない事もあるんだ。


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