1世紀前のシベリアからポーランド人救済 日本の人道支援 | 愛知県春日井市の社会保険労務士のカンちゃんのブログ

1世紀前のシベリアからポーランド人救済 日本の人道支援

ジャーナリスト井上和彦氏の雑誌の寄稿記

事を目にしまして、大正時代に起きた人道

的な出来事があったことを学んだので紹介

したいと思います。

 

1918年から1922年にかけて(時はロシア

革命の真っただ中)、第1次大戦後に各国自

国に撤収するも、日本はロシアの脅威から、

ロシア革命に対する干渉戦争の一環として

シベリアに出兵し残留していました。

 

この第1次大戦により、シベリアに流刑さ

れ、難民となったポーランド人は、多くの

孤児が生まれていたのです。

 

彼らは極寒や飢えに苦しみ、生きる希望を

失っていたという。

 

ウラジオストクに住むポーランド人の救済

委員会は、日本政府に支援を求めました。

 

日本政府は、外務省と日本赤十字社を通じ

て、ポーランド孤児の救出と保護に動くこ

とになったのです。

 

当時の原敬内閣が救助決定するのに要した

期間は二週間少々ということですから、迅

速の決定というべきでしょう。

 

日本軍は、シベリア各地に散らばった孤児

たちを武力で保護し、日本に連れてくるこ

とができ、保護することになったのです。

 

日本に到着した孤児たちは、福井県の敦賀

港や大阪市の病院などで、温かい歓迎を受

けました。

 

日本国民も、義援金や物資の寄付などで、

孤児たちを支援しました。約2年間の滞在

期間の後、765人の孤児たちは、祖国ポーラ

ンドに帰還しました。

 

帰国した孤児たちは、日本の恩を忘れず、

日本とポーランドの友好関係を築くために

活動しているのですが、残念ながら報道され

ることは殆どないのが実状。

 

この出来事は、日本とポーランドの間に深

い絆を生み出し、現在も両国の親善に貢献

しているのです。

 

親日国といわれる所以は、この救助事件が

一端になっているようです。