かんくろうのドールハウス日記 -89ページ目

点灯式

新アトリエの配線工事をやった。

今回は自力で頑張ってみたよ。

壁の間接照明に電球が2個。

作業場の照明に2個。

玄関に1個。

シャンデリアに3個。

合計8個の麦球がいっせいにつきました~

凄い、われながらよくやった!

シャンデリアは、麦球の光が薔薇の花に当たって、とっても華やか。

壁の間接照明もいい感じ。

うっとりしながら、写真を撮りました。

HPの作品集にアップしたので、見てやってください~atorie7

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子育て回想記 勉強

勉強
上の子の成績はいつも中だったから、さほど心配はしなかった。

問題は下の子。

彼の保育園のせいもあるんだけど、遊べ遊べの園生活。

名前も書けない状態のまま入学。

当然ほかの子についていけないわけで、成績は最悪。

親も必死で教えるんだけど、僕は苦手と、自分で言ってのけるありさま。

自分で、国語と算数はダメ~って決め付けてたみたい。

一度、子供の作文を見て、なんでかんくろうの血を引いていないんだ~って、絶望した事があったよ。

「今日は○○ちゃんと遊びました。」で終わりなんだもん~。

それでも何とか義務教育だから進級できるわけで、そこんとこはありがたかったよ。

6年生に成った時、担任の先生が偉かった。

運動得意の彼を捕まえて、バスケットのシュートを誉めまくってくれたらしい。

気を良くした彼は、当然バスケット部に入って頑張った。

人間、なんか取得があるもんで、後にこのバスケットが彼を救う事になったよ。


結局、下の子は中学・高校とバスケってを続けることになり、受験戦争もバスケットのおかげで迂回。

入った高校から、そこの大学へとんとん拍子に進み、バスケットが縁でスポーツ関係の会社へ入ることが出来ました。

何が功を奏するかわかんないね~

小さい頃は、勉強も大事だけど、スポーツも大事だと思う。

そして、もっと大事なことは誉めること。

誉めると、その子の持っている才能が目を覚ますみたいだよ。

下の子の保育園で、お泊り保育の時に母親の手紙を子供に渡すんだよ。

先生から、思いっきりお子さんを誉めてくださいっていうお達しがあるわけ。

一生懸命、我が子のいいとこを思い起こして書くわけよ。

その手紙を、子供たちは寝る前に読むの。

翌日帰ってきた時の子供たちの目がね、きらきらしているんだよ。

ある日、子供の部屋を掃除していたら、その時の手紙が今も大事にとってあった。

なんか、じ~んとしてしまったよ。

いい子に育てたいお母さん、一生懸命、子供を褒めちぎりましょう~

(青字は現在のコメント)

嫁ぎ先から

ガーコちゃんの嫁ぎ先から、今日、可愛いひよこさん一家が到着しました~

satoちゃんからのプレゼントなんだけど、とっても可愛いの。

ひよこの三兄弟とお雛様のようなカップル。

小さな植木鉢もついています。

とっても小さいので、上手く撮れなかったけど、記念にパチリ。

ひよこさんは、新アトリエに飾らせていただきますね。

satoちゃん、ありがとうね~hiyoko

子育て回想記 運動会

運動会
この頃、下の子は順調に乳児園から保育園に進んでいた。

下の子の保育園は、ガキ大将大歓迎の所なんで、のびのびと保育園生活を送っていたよ。

多少体つきもがっちりしていて、何より乳児園から集団生活をしているので、当然ボス的な存在だったみたい。

ただ一つ、彼の苦手な運動会を除けばの話。

乳児園の頃から運動会が苦手で、いつも保母さんか、かんくろうの側から離れようとしないんだ。

普段はちゃんと走れるのに、運動会というと一人じゃ走れないんだ。

いつになったら、観客席から見れるのかな~っていつも思っていた。

年長さんになったときも、今年もダメかな~って話していたんだ。

運動会の朝、やけに緊張した顔で会場についた彼は、落ち着かない様子。

いよいよ出番になった時、隣の女子が手をつないでスタート地点まで引っ張っていってくれた。

しぶしぶついて行く。

合図が鳴っても立ち尽くしていたら、また女の子が引っ張って走り出した。

目の前には上り棒、みんなが上りだすのでつられて上りだした。

でも、途中で止まってしまう。

上り棒は得意中の得意なのに、しり込みしだしたんだ。

そしたら友達みんなが下の子の名前を叫びだした。

その声援で、何とか上まで上がっていく。

てっぺんについたとき、思わずみんなから拍手が沸き起こった。

もう、感激の瞬間である。

先生も、かんくろうも泣き出していたよ。

下に降りてきた彼は、照れくさそうに笑っていた。

その後の競技は、人が変わったように自分からやってのけて、それも全部一等賞。

この話は後に、その保育園の伝説になってしまったよ。


運動会という、子供にとってはとても勇気のいるイベントなんですね。

大勢の人に囲まれて何かやるっていうのは、大人でも尻込みしてしまいそうです。

下の子は、かんくろうに似ず、そんなお祭り騒ぎがきらいだったようです。

でも、お友達の力ってすごいって思いました。

保母さんや母親が6年も出来なかったことを、一瞬でやってのけてしまうんですから。

手を引っ張ってくれた女の子、名前を叫んでくれたお友達。

みんなのおかげで、彼の人生は積極的な生き方に変わりました。

かんくろうも、いじめられっ子の時に、同級生のおかげで、いじめに負けない子に変わることが出来ました。

やっぱ、友達って大事です。

そんな素敵な友達を持てる人生を送れたら幸せですね。(青字は現在の心境です)

途中経過

新アトリエも順調に作業が進み、今日は表の階段をつけました。

白壁に木の踏み板が、優しい感じを出しています。

モデリングペーストが乾いたら、手すりもつけなくちゃね。

屋根のほうも、桟が完成したので、今度の休みに取り掛かれそうです。

まだ、屋根の色で悩んでいますが、天井がついたら思い浮かぶかな?

かなり横着な施工です。

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子育て回想記 逆いじめ

逆いじめ
4年生のとき、今度は逆に学校から呼び出しだよ。

女の子をからかって、泣かせたらしい。

その親からも電話がかかってきて、ぼろかすに言われた。

運悪く、その親と昔からの知り合いだったから、情けなかったね。

でも、非は非。

自分がされて嫌だった事をなんでしたんだって、子供を叱った。

そしてそのまま手を引いて、その女の子の家へ謝りに行った。

親子で頭を下げて、もう二度としないとその子の前で誓わせたよ。

事の善悪を教えるいい機会になったと思う。

少々、親はばつが悪いけど。

子供の教育って、待ったなしなんだよね。

親もかっこつけてられないよね。

最近、子供を叱れない親が多いけど、子供の将来を考えると、やっぱ、悪いことをしたときに叱らないといけないような気がするよ。


先日TVドラマで、自分の子供が悪いことをして他人から注意を受けてるのに、逆に怒り出している親が出ていた。

ドラマだから多少オーバーだけど、叱らない親が増えているのは確かだね。

もちろん、自分の子供を信じてやらないといけないけど、悪いことをした時はちゃんと叱らないと、子供だってずるい大人になっちゃうよね。

その代わり、良いことをした時は思いっきり誉めてやる。

何が悪くて、何がいいことか教えるのも親の仕事だもんね。

特に、いじめの問題は親が気が付かないことが多いから、分かった時にはしっかり教えないと。

かんくろうも小さいときはいじめられっ子で(誰も信じないだろうけど、ほんとだよ)、よく近所の男の子に泣かされた。

だから、いじめは許さないよ。

ましてや、自分がいじめられて悲しかったのに、他人をいじめることは平気だなんて、もってのほか。

あの時、烈火のごとく叱った親の顔を、息子は一生忘れないと思う。

その後、上の子に関しては問題が起きなかったから、それでよかったんだと思う。

叱ることと、怒ることは同じようでいて、違うと思う。

愛情があるから叱るし、叱れるし。

大人の世界でもいじめはあるけど、子供の世界には存在して欲しくないな~

子育て回想記 転校

転校
上が3年生のとき、旦那の実家で母親と同居するために引っ越した。

当然、子供は転校。

いじめって言う言葉がまだ世間であんまり使われてない頃だったんだけど、やっぱりそれは存在したんだ。

男の子だから目に見えてひどい事はされなかったんだけど、何かにつけて転校生って言われていたらしい。

5年生になったとき、次の転校生が来て、これで僕は言われないって言ったから。

そんなわけで、当然学校へ行くのを嫌がり出した時があった。

ある朝起きたら、例のごとくおなかが痛いとか頭が痛いとか言い出した。

初めの一日は、その言葉を真に受けて休ませたの。

でも、どうも様子が変。

ひょっとしたらって思ってお医者さんへ連れて行くと、どこも悪くないって。

二日目、無理やり送り出すと、途中で帰ってきてしまった。

すぐ先生と連絡を取って、もう一度学校へ送っていった。

校門の前に着くと今度は泣き出すの。

ここでひるんだら、またこの子は行かなくなるって、本能的に思ったんだよ。

嫌がるのを無理やり引きずって教室まで連れて行った。

三日目も、バイクの後ろに乗せて、学校まで送り届けた。

どんなに抵抗しても連れて行くからって、無言の制圧だね。

次の日から、自分で行くって言って、ちゃんと一人で登校したよ。

なんか強行突破のような手段だったけど、今思うと、これで登校拒否の壁をぶち破れたんだろうなって思う。


登校拒否、今は結構多いって聞きます。

それはそれで、色々問題があるようで、一概には言えないかもしれませんね。

うちの子の場合は、軽く済んだのかもしれません。

少し荒療法ですが、親がひるんだらだめなような気がします。

子供の将来を考えると、負けられないですよね。

学校へ送り届けても、途中で帰ってこないか心配で、ドキドキしてました。

もしいじめられてるなら、一日中学校で見張っていようかって、本気で考えましたよ。

過保護な考えかもしれませんが、子供を守ってやれるのは親だけですから。

どんなことをしても、守ってあげるよって言う親の姿勢が安心感を生むのかもしれないですね。

まぁ、うちの場合子供が根負けして学校へ戻ったという気もしますが。

その後、一度も嫌がることはありませんでしたから、これでよかったのだと納得してます。

(青字は現在の心境です)

ガーコ警報

川崎のアヒル君が鳴いたようです。

ちょっと注意かな?

うちのガーコちゃんは、このところおとなしいです。

秋だというのにやたら暑かったり、変な天候ですね。

ニュースでは、京都の紅葉も色づくのが遅くなるようです。

紅葉狩りを楽しみにしているんですが、いけるかな~

子育て回想記 小学校時代

入学式
なんと言っても晴れがましいよねー。

子供より親のほうがおめかししたりして。

上の子の保育園では、ちゃんとお返事の仕方や、名前の書き方まで教えてくれていたからけっこう安心して見てただけだった。

その頃は団地に住んでいて、近所にもたくさん子供がいて、けっこうマンモス校だったよ。

入学と同時に学童保育のほうにも申し込んで、かぎっ子の仲間入りをさせた。

胸から家のかぎをぶら下げさして、毎日送り出すんだよ。

なんか切なくてねー。

でも、仕事を続けなきゃなんなかったから、グットこらえて、毎日仕事に行ってた。

スーパーでおやつをしこたま買い込み、一日分ずつテーブルの上に置いておくの。

せめてもの親心。

子供にしたって、ついこの間まで、親の送り迎えがあったのに、いきなり夜まで一人なんだから、心細かったと思うよ。

そこで、一人で待っていても寂しくないように、動物を飼う事にした。

でも、団地じゃ、犬やネコは飼えないから、カメを買ってやることにしたんだ。

小さな銭亀が、上の子のお友達になった。

元気のいいカメで、絨毯の上をコマコマと走り回るんだ。

亀はのろいって言うけど、あれは嘘。

実に早足で走り回るよ。

このカメのお陰で、子供は寂しいと一度も言った事がないよ。

でも、子供ながらに辛抱してたんだと思う。

子も辛いけど、親も辛いよね。

それ以来、この亀はずーッと長生きして、上の子が成人して鴨川に逃がしてやるまで、家族の一員だったよ。

きっと今でも、鴨川で優雅に暮らしている事だと思うよ。


亀に連れられ...なんか竜宮城を思い浮かべますね。

今では共稼ぎが当たり前のように言われていますが、かんくろうの時代には働く主婦は、悪者のように言われたものです。

主人の兄嫁から、散々いやみを言われてました。

だれも好き好んで働いてないのにね。

でもね、お母さんが働いていても、子供は素直ないい子に育つもんです。

食事の支度や洗濯掃除、みんなちゃんとこなして、なおかつ仕事に出かける母親を、子供はちゃんと見ててくれます。

親の背を見て育つ...そう、親はしっかり背中を見せてたら子供はいい子に育つんですね。

ピーンと張った背中、素敵じゃないですか。

時々振り向いたら、きっと子供の笑顔がそこにあるんですよね。(青字は現在の様子)

悲しい理由

毎日、子育て回想記を読んでくださる皆様、ありがとうございます。

いよいよ、子育てに苦労した時期が始まります。

少し言いづらいこと、隠しておきたいようなことも赤裸々に書いています。

別に、これだけ苦労したよって自慢するわけじゃないんです。

実は、2年前に書き始めたのですが、子育てのことを書こうと思い立った出来事があったのです。


それは、美容師をしていた頃(10代の頃です)、いつもカットに来てくれる近所の小学生の女の子がいました。

その子は、中学・高校・大学・社会人になってもいつもカットしにきてくれていました。

成人式には、振袖の着付もさせてもらいました。

そして、お嫁に行く時、白無垢のお支度もさせてもらいました。

京都から、慣れない大阪へ嫁いで行った彼女は、その後、一人の子供を生みました。

しばらく消息をたっていた彼女から、ある日手紙をもらいました。

「会って相談したいことがある...」と。

久しぶりに会った彼女の笑顔は、どこかしら寂しげでした。

聞けば、出産後「育児ノイローゼ」になってしまったとか。

「子育てが怖い。子供と生活するのが辛い。」

彼女から出た思いがけない言葉。

彼女は重い心の病に冒されていました。

その後、彼女を励ましながらしばらく付き合うことにしました。

彼女の症状は悪化の一途をたどるばかりです。

1年のうちに何度か入退院を繰り返していたのですが、ある日、退院したその足で、自らの命を宙に舞ってしまったのです。

お葬式で、彼女のお母さんと大声で泣きました。

まだ三十代でした。

もっとしてあげられることはなかったのか...悔いてもしょうがないことでしたが、悔しかったです。

そして思ったのです。


みんな同じような思いをしながら、子育てをしているんだよ。

そう、迷いながら手探りで育てているんだよ。


もし、自分が経験したことを誰かが読んで、「同じだ~」って気が軽くなるんだったら伝えるべきだと。

偉そうに言える子育ての経験じゃないですが、誰もが通る同じ道。

少しだけ先輩から、後輩の若いママさんに伝えることが出来れば、なんかの役に立つんじゃないかと。

もう二度と、悲しいお母さんが出ないように、ドジな子育ての記録ですが書きました。

昨日、リアルタイムのママさんの子育て日記を読ませていただきました。

そう、大変そうな毎日です。

ゴールが見えない道だから、正解が見えない道だから、不安だろうし、心細いことだと思います。

どうぞ、この回想記を読んで、「なんだ~そうなんだ」って少し笑顔になってください。

かんくろうより先輩の方は、「そうそう」ってうなづきながら一緒に笑ってください。

そんな思いを込めて書いた「子育て回想記」。

どうぞ、最後までお付き合いくださいね。