石見銀山 みてあるきMAP

 


 

Cの龍源寺間歩の観光後、観光しながら、戻ります。

 

C~Bを拡大

 

 

 

 

龍源寺間歩を出てすぐの川のところに…

 

 

 

 

河童を見かけても、決して餌を与えないで下さいの立て看板

 

 

ほんとに河童って居るのかな~はてなマーク

 

 

 

栃畑谷・昆布山谷

 

 

 

 

 

間歩かなはてなマーク

 

 

間歩とは、鉱山で鉱石を取るために掘った穴のことです。

 

 

 

佐毘売山神社

 

 

 

 

工事中ですね。
 

 

 

15世紀中頃に創建された鉱山の守り神で、製錬の神・金山彦命を祀っています。

現在の建物は文政2年に再建されたもの

 

 

 

 

境内までは急勾配の石段

 

 


 

 

上りにくい石段です。あせる

 

 

 

 

 

本殿に参拝します。


 

 

 

 

下におります。

 

 

 

 

 

自転車置き場に向って歩いていると…

 

 

 

 

 

野良猫ちゃんが居ました。三毛猫

 

 

 

ネコ好きだとわかったのか、

それとも、ご飯を貰えると思ったのか、近付いてきました。

 

 

ご飯を持っていないので、期待させても…と思い、

その場を立ち去りました。汗

 

 

龍源寺間歩の入り口へは右側の道、出口は左側の道です。

 

 

 

 

 

またまた、ネコちゃんが居ました。三毛猫

 

 

 

 

 

福神山間歩

 

 

 

 

 

 

 

 

取り出された銀の量では、石見銀山で最も有力な坑道の一つですが、

一般の人は中に入ることが出来ません。

3カ所ある坑道は、上段が空気抜き、下段の2坑は中で繋がり、

銀山川の下をくぐって仙ノ山に伸びている特殊な構造です。

 

 

新切間歩

 

 

ここからは見えませんが、正徳5年(1715)代官鈴木八右衛門の時代に開発され、

当初は水を抜くために掘られました。

江戸時代後期に、520mまで堀り進んでいましたが、その後休山となりました。

 

 

清水谷製錬所跡に向います。走る人

 

 

 

 

 

 

 

 

清水谷製錬所跡

 

 

明治28年(1895)から29年に操業、

山裾の傾斜を利用して、最新式の技術を投入し、

総工費20万円をかけて建設した大型製錬所でした。

 

高さ33mの谷の斜面に8段の石垣を築き、

上から下に連なるように建物が建てられましたが、

わずか1年半で操業中止となりました。

 

 

 

 

 

 

 

 

上に行きます。

 

 

 

 

 

下を見るとこんな感じ

 

 

 

 

 

更に上に行き…走る人

 

 

 

 

 

下を見るとこんな感じです。

 

 

 

 

 

時期的に草や葉が多いからか、跡地の様子はあまりわかりませんね。

 

 

 

 

 

下におりて…カメラ

 

 

 

 

 

元の道に戻ります。

 

 

 

 

 

木に猿が居ました。びっくり

 

 

 

 

 

 

 

 

下河原吹屋跡

 

 

平成3年の発掘調査で発見された、17世紀初頭の銀の精錬所である吹屋の跡地、

鉛を利用した、灰吹法と呼ばれる精錬法で銀を取り出していました。

 

 

西本寺

 

 

 

 

 

大森小学校

 

 

明治5年に開設、昭和29年4月現在地に新築移転しました。

 

 

 

妙正寺

 

 

 

 

 

大森さくら保育園

 

 

 

 

 

café 住留

 

 

 

 

この古民家カフェで、昼食を頂きます。音譜

 

 

 

 

 

私はカツハヤシプレート

 

 

 

 

 

主人は、カツカレー

 

 

 

 

 

食後にアイスオーレ

 

 

ごちそうさまでした~音譜

 

 

石見銀山の観光はまだまだ続きます。