泉大津には弥生時代に栄えた「池上曽根遺跡」がある。

幹線の国道26号線沿いにあるので、多くの方がご存知だと

思う。そこについても興味深いものがあるので、追って

書きたいと思うが、この遺跡に隣接しているのが、

曾禰(ソネ)神社、式内社である。創建も天武天皇

の時代と言うから1500年も前の由緒ある古社である。

主祭神は、饒速日命(ニギハヤヒノミコト)、色香我色雄命、

素戔嗚尊、住吉三神、神功皇后である。

 

色香我色雄命が祀られている神社に初めてお目にかかった。

調べてみると、ちゃんと記紀にも登場している。しかも重要

な場面でほんの少しではあるが、御名が記されている。

以前、(その8)陶荒田神社にて書いたが、崇神天皇時代に

疫病が蔓延し、夢に現れた大物主神が、「我を三輪山に祀り、

大田田根子(オオタタネコ)に祭祀をさせよ」と告げられ、

その通りにした所、無事疫病は収まった、と言うくだりがあった。

 

その一切の実務を崇神天皇から委ねられたのが、色香我色雄命

だったと言う。(このくだりのみが記紀に登場する)
第10代崇神天皇の御代に大和朝廷が広く日本を治めて行った事は

四道将軍を派遣し、各地を平定して行った事からも周知の事だが、

その大変な時に疫病が流行り多くの死者が出たのだから、国家の

一大事である。この国を揺るがす疫病を収めた色香我色雄命は

もっと英雄として記録に残っても良さそうなものだと思う。

 

と同じように思ったお方が、曾禰神社を建立する折に、主祭神

の一柱としてお祭りされたのかもしれない。

なんて事を勝手に思いながら、お詣りさせて頂いた次第である。

(追記)
さらに調べてみると、徳島県に伊加加志(いかがし)神社があり、

ここの主祭神が、イカガシメノミコト(妹)イカガシオノミコト(兄)

という事である。兄妹の記録は無いらしいが、この「妹」は何と

第9代「開化天皇」の皇后で、崇神天皇の実のお母さまなのだと言う。

ならば色香我色雄命=イカガシオノミコト(兄)は崇神天皇の叔父

ではないか!
さらに、この兄妹は饒速日の6世孫に当たるそうだ。

曾禰神社、深い!深すぎる!