再度蒸し返して申し訳ないが、好きな作品であろうが好きなキャラであろうが、その全ての情報を網羅することは、余程の天才か、それ以上のスーパーコンピュータでない限り無理だろう。

僕自身、過去自分が作ったはずの『WUG』でさえ、登場人物全員の名前と出身地、経歴を諳んじることはおそらく無理。 

 

暇空某は「好きである以上はその作品の情報は全部網羅すべき!」という、なんとも古色蒼然としたオタク観に囚われて相手を詰問するのだが、しかしそれがオタクの「条件」であることは、あの岡田斗司夫氏ですら言ってない。

勝手な「俺ルール」なのだ。 その混同っぷりがいかにもじじむさくてダサい。 

 

僕がオタクの「再定義」が必要だと常日頃から言っているのは、こういった「オタク」という用語・意味の恣意的な濫用が異常な狂気と悪意を長きにわたって増幅させ、ただ自分がマウントを取りたいだけの手段になっているからだ。

彼らに「オタク」を名乗らせてはいけないのだ。

 

(「X」より転載)