僕は基本、自分の過去の作品は観ない。

いや、厳密に言うと、ある程度の時間を置く。

『薄暮』はもう5年近く観ていないことになる。

 

理由は簡単だ、粗しか見えないからだ。イライラして観てられない。

「他人(が監督)」の作品なら尚更観ない。

自分が監督という立場じゃない以上、その後どうなってるか、コンテを監督に直されているのか演出処理でおかしな仕上がりになっているのか、とにかくどうなっていても自分で責任を負えないからだ。

 

因みにトリウッドで『薄暮』が長期上映された時も、舞台挨拶前に一度「監督もご覧になりますよね?」と言われて「観る訳ないじゃないですかぁ!!」と半ギレしたことがある。

あれは大人げなかった。

 

しかし、約5年くらい経つと、漸く「観ようかな」という気分になる。

どこをどうミスったか忘れるからだ。まっさらな目で観られるようになる。

時には「あれ、これホントに俺がやったっけ?」とすら思う時もある。

もちろん反省する時もある。

ともあれ、客観的に観られるようになるのだ。

 

どこかで言ったと思うが、数年前やっとのこさ『フラクタル』を観返したら面白くて止まらなくなって、結局全話観て「これが受けないってなんでかなぁ……」と真剣に悩んだ。

思えば「オタク」と「萌え」が、最も残念な意味で最適化されていた時代に作ったからだと思う。

 

ついでに言うと、今日遂に(10年以上ぶり!)『宮河家の空腹』を観た。

これもちゃんと毎日お薬を飲んでないアンチどもから「史上最悪の出来!」とまで言われたが、まずそんな大それたことをした覚えがない。

ちゃんと丁寧に作り込まれているし、構成も含めてほのぼのと笑えるいい作品になったと思う(声は……)。

 

 

オタクは今も、作品を弄り倒し、制作者を「おもちゃ」として罵倒するのに必死だ。もうそれ以外生きる意味を見失っているのだろう。可哀想でならない。

僕の作品は、やはり僕が死んでから本当の評価が下るのだと確信する。それでいい。

作品は嘘を吐かない。