Twitter(X)を事実上閉じて痛感したのが、 すべての言論は無意味であり、 すべてのコミュニケーションは不全であることだ。

鍵をかけたアカウントのTL上には多くの怒り・嘆き・悲鳴の声が冗談でも何でもなく、洪水のように押し寄せている。

しかし、それを客観的に見るようになって、ますます思い始めたことがある。

 

これ、何の意味があるの?

 

これで国が変わるの?政治が変わるの?全然ダメだよね?

これで批判の相手が納得できると思っているの?全然無理だよね?

そもそも、会話が噛み合うこと前提で語ってないよね?つまり、日本語からおかしいよね?

知り合いから有名人まで、皆の発言がそう見える。

 

それに気づいた瞬間、公開垢であれこれ語っていた自分のことを省みた。

確かに僕も、そんな人々の一員だった。

 

もう一度言おう。

すべての言論は無意味となり、 すべてのコミュニケーションは不全となった。

 

これはどこかに書いたかも知れないが、SNSによって、少なくとも日本人の「ことば」が悉く破壊された。

今の日本人は感情だけムキムキと滾らせているが、それを伝える手段を失ったのだ。せいぜいその口から出るのは、愚痴だ。

いや、もはや心性まで腐ってしまったと言っていい。

 

 

だから、最近僕の発言量は減っている。

「何を言っても無駄」の絶望感が強いからだ。

本当、心底絶望している。 少なくとも日本人は、理性と知性が極度に希薄化している。 これは西部邁も言ってたと思うが。