( 2019-07-31 00:01:31 エントリー)

 

 

やっぱり書こう。

どんどん仲間が減るだろうが、そもそも俺仲間大事にする柄じゃねぇや(笑)。

 

 

1989年(ちょうど30年前だ)、あの「宮﨑勤事件」が起こる。

「オタク」である犯人が、無垢な幼女を連続して殺害した。

そこから「オタク」=「犯罪者」という、根強いイメージが生まれた。

 

僕は当時15歳、アニメをやる!と志した直後だった。

その後は偏見や差別の目にずっと晒され続けた。

 

そして2019年。ここで起きた事件は、更に無残なものとなった。

 

僕は最初の一週間、嘆く術すら解らず、茫然としていた。

しかし、ある違和感に気付く。

 

どうもオタクたちが皆、ネットでさえ自己慰撫や相互憐憫に馴れ合っているのだ。

……あれ?

 

ひょっとして、お前ら被害者ヅラ?

 

この事件はアニメ制作会社が襲撃された。

必然的にオタクたちは「被害者側」となる。

……だが、僕はそう思っていなかった。

犯人は間違いなくオタクだ。そう思ったからだ。

最初の不確かな供述から、直感的にそう思っていた。

 

「オタクはやがてアニメを壊す」。

僕は随分前から、業界の流れやオタクたちに充満する空気から、そう読み取っていた。

いや実際既に「壊し」始めていた。

そして結果として今、オタクはアニメ会社をも壊した。

しかも僕の古巣だ。

 

しかしそれを今断じるには余りに証拠が少ない。僕は待った。

次第に犯人の家から押収されるDVDやサイン色紙。

ご丁寧に「聖地巡礼」までしたという。

 

ああ、決まりだ。

最初の僕の感情は、怒りではなく、無力感だった。

どうしてこの流れを止められなかったのか?

解ってたのに?

 

しかも、古巣だ。

 

そして僕は「僕と京都アニメと、「夢と狂気の12年」と「ぼくたちの失敗」」を書き始める。

いつもなら、それ見たことか!オタクはやっぱりこうだったんじゃい!と喚き散らしただろう。

 

しかし、それよりも自省の念が湧いていた。

あとLINEBLOGからの僕の論調を知らない人間には「そら見ろ!オタクが!」といきなり言ったところで、さすがに解らないだろう(そうだLINEBLOGもオタクに屈したんだった。アホが)。

 

僕は時系列を遡り、3年前に行った「アニメ・イズ・デッド」で、いかにアニメ業界がオタクの狂気に苛まれていったかを、わざわざ動画まで貼って(誰もほとんど見ていないだろうが)、丁寧に改めて説明し直した。

その起点は(僕が考えるには)2007年だ。

そこもきちんと書こう。「ぼくたちの失敗」として。

 

当時の僕は、まだ自省の念の方が強かった。

しかし今年に入ってもなお、アニメはどんどん壊れていく。

急がねば。もう犠牲を出してはならない。

 

結果としてこうして「丁寧に書いた」ことで、オタクどもに付け入る隙を与えたようだ。

 

ほぼ同時期に、オタクどもは気付いたのだろう。

自分たちが「加害者側」だったことに。

そして年配者ほど、あの30年前の記憶がよみがえったに違いない。

オタクの地位が大きく崩れ、またあの差別と偏見の時代に戻ってしまうのか!?

(ファンから聞いた話だが、今回僕を叩く人間は年配者が確かに多いらしい)

 

それこそは「自業自得」だと、改めて言いたい。

アニメの地位向上と共に勝手にオタクの地位も底上げされ、それに有頂天になりやがて自分の支配欲も剥き出しに、SNSで集団暴徒化してアニメをおもちゃにしては壊し続けてきた、この12年の結果だ。

これぞ当然の末路だ。

 

そこへ僕の「丁寧な」文章が現れた。

彼らにあったのは、「怒り」よりもむしろ「恐怖」だったのだと思う。

「オタク」=「犯罪者」のイメージへの逆戻りを、どうしても認められなかったのだろう。

 

そりゃ気が気でなかったのだろう、自分らへの僕の攻撃を、あたかも「古巣」への攻撃だと転嫁したのだ。

僕の文章を敢えて誤読したのだ。

実際僕のファンはまったく誤解しなかった。

オタクに媚びまくって生きてきた情けない某漫画家はしっかり「皆の期待に応えて」誤読して、オタクたちの駆け込み寺になっていたようだが。

 

今更僕が古巣を恨んだところで、何かが変わる訳でもない。

オタクのイメージ失墜が避けられる訳もない。

しかし今は誰かを叩かずにはいられない!

とにかく少しでも自分が善人だと思われたい!正義側(という名の石投げる側)に立っていたい!

 

さしずめそんな心境だったのだろう。

ご丁寧に僕を「犯罪者予備軍」とまで言い倒している。

おまわりさーん僕じゃありません!こいつですぅ!とでも言いたかったのだろうか?

 

でも、世間はもう気付いている。

今はまだマスコミは吉本に夢中だが、この事件を放っておく訳がない。

やがてじわじわと、投網が引き寄せられるように包囲されるに違いない。

しかも今回は「自分の好きなものを敢えて壊す変質者集団」だ。更におぞましきものとなるだろう。

 

これも改めて、「自業自得」と言っておきたい。

暴虐の限りを尽くした12年、今こそ清算の時だ。

 

しかし今回の炎上の様子を見ていて、勢いも「ちょっと黙っといて」の時より圧倒的に弱いし、クソリプの攻撃力も同様弱かった。

むしろ陰でコソコソ、の感じだった。

 

彼らは気付いていたのだろう。自分たちの置かれた最悪な状況を。

「一線を越えて」しまったのは、間違いなく彼らだ。

 

繰り返し言うが、オタクの凋落は僕一人を生贄に差し出したところで、もうどうにもならない。

「自業自得」だ。

 

「オタクの時代」の終わりだ。

業苦の10年、あるいは20年が待っているだろう。

 

 

僕のこのオタクへの思いが怨恨だ!と思うのなら、どうぞどうぞ。

怨恨で全然構わない。

だって仲間を殺されたのだから。恨みだって生まれるさ。

 

その代わり、今度こそ俺は許さない。

もちろん犯人を許さない。

そして犯人を生み出す土壌となった、このオタクの狂暴化した「空気」を許さない。

 

僕は残りの人生、アニメに関わる関わらないは抜きにしても、この「空気」だけは全力で払拭する。

そのためには命をも賭ける。

 

失われた御霊のためにだ。

言っただろ?「仇は討つ」と。