昨日友人と電話していたのだが、SNSでの「言葉狩り」について、

「『殺す』なんて絶対用いちゃいけないでしょ、当たり前でしょ?」

「でもダウンタウンとかも含めて、関西では『このボケ殺すぞ!死ね!』ってのは『おいふざけんなよテメー』くらいのニュアンスでしょ?それのどこがいけないの?」

 

某乃木坂界隈でも最近こんなやりとりで演出家が一人干されたらしいが、要は「語句だけ見て文脈を読まない」昨今の風潮は、文学部出身の身としては非常にやるせない。

 

SNSはAIによる監視で、「殺す」とか「殲滅」とか使うと即アウトだと聞く。

いや、あのね、日本語をそんなにぞんざいに扱わないでくれる?

 

有名な例だが、昔「蚊を殺す」とツイートしただけで凍結されたと聞く。

あと友人と戯れて「おいてめー殺すぞ」と書いたツイートも凍結されたとも聞く。

 

おいSNSよ、お前ら、徹底してバカか?

 

 

SNSはこうして日々「言葉」を破壊していく。

「言葉の多様性」を否定していく。

 

言葉の持つ意味合い、そのニュアンスの豊かさが、SNSによってどんどん削ぎ落されていく。

僕はここに「言語の危機」を感じるしかない。

 

これは本当かどうか知らないが、あの名作『アルプスの少女ハイジ』が最近地上波でめっきり再放送されなくなったのも、アルムおんじに対し子供たちが囃し立てる「キチ〇イおんじ!」というセリフが原因だと聞く。

極めて愚かな判断である。

 

 

言葉尻だけ捉えて文脈を読まない、そんな行為は甚だ「非国語的行為」だと考える。

日本文学の衰退が叫ばれるのもこういったところに理由があるのだろう。

 

ここにも日本人、いや全世界の人々の知性の後退を痛感する。