町山智浩@TomoMachi
なんで「政治と宗教の癒着の清算」に反対なの? https://t.co/Ccm48zww77
2022年07月18日 10:04
安倍元首相暗殺事件の背後に「統一教会」の存在が浮かび上がってきた。
多くの論者たちがこの疑惑だらけのカルト宗教と安倍氏・自民党との癒着を指摘し、批判し始めている。
そしてその癒着関係と事件との関係は不可分であると断じる声が多い。
政教分離の問題以前の、異常事態だ。
それに対し、一部の(自民党支持)論者は「それでは犯人の行動に理・正当性を与えてしまう!」という、実に脆すぎる反対の論陣を展開しているが、もう情勢ははっきりしているだろう。
これからもこの癒着関係への追及は過熱すると思われる。
大前提として、犯人を断罪することと、その契機となった要因の探求とはまったく違う。
「なぜ起こったか?」という、その理由と背景を深堀りすることは、事件の再発防止のためにも必須のものだ。
一方、それを敢えて妨害するかのように、「犯人の背景をとやかく言うな!」などと言い切るあり得ない暴論は、その論者に何か「後ろめたい」動機がある、と考えるのが自然だろう。
本件はその「後ろめたさ」を白日の下に晒したものだと言える。
僕はこの状況にデジャヴを覚えた。
あれ、これなんか昔あったぞ?
もうもったいぶってもしょうがないから、以下のツイートを貼っておく。
井上純一(希有馬)新連載『逆資本論』の同志募集中@KEUMAYA
流石に言っておきます。これは最悪の思想です。「作るアニメに狂気を育てる要素があり、京アニはそれに復讐された」という考え方は、犯人のやった事を一部肯定しているからです。今回の事件だけでなく、今後アニメスタジオを狙うテロを肯定すること… https://t.co/nKWOaoHKxP
2019年07月29日 17:54
三年前の7月18日、「京アニ事件」が起こった。
僕は嘆きと動揺の中、この蛮行を起こした犯人の「背後」を考え、ブログにしたためた。
それに対し、多くのオタクどもが襲ってきた。
「犯人を肯定するようなことをぬかすな!」と。
今回の暗殺事件の状況と瓜二つである。
上のアホ漫画家はもう完全に思考停止状態だったようだ。「最悪の思想」なんだとさ。
この二つの事件の「背後」に対する議論を比較検証してみよう。
つまり、上の反論にも何らかの「後ろめたさ」がある、ということだ。
安倍氏暗殺事件は、その背後にあった安倍・自民党とカルト宗教との癒着が問題視されている。
では、京アニ事件は?
僕は即ブログでこう分析した。
ほぼ同時期に、オタクどもは気付いたのだろう。
自分たちが「加害者側」だったことに。
そして年配者ほど、あの30年前の記憶がよみがえったに違いない。
オタクの地位が大きく崩れ、またあの差別と偏見の時代に戻ってしまうのか!?
(ファンから聞いた話だが、今回僕を叩く人間は年配者が確かに多いらしい)
それこそは「自業自得」だと、改めて言いたい。
アニメの地位向上と共に勝手にオタクの地位も底上げされ、それに有頂天になりやがて自分の支配欲も剥き出しに、SNSで集団暴徒化してアニメをおもちゃにしては壊し続けてきた、この12年の結果だ。
これぞ当然の末路だ。
そこへ僕の「丁寧な」文章が現れた。
彼らにあったのは、「怒り」よりもむしろ「恐怖」だったのだと思う。
「オタク」=「犯罪者」のイメージへの逆戻りを、どうしても認められなかったのだろう。
そりゃ気が気でなかったのだろう、自分らへの僕の攻撃を、あたかも「古巣」への攻撃だと転嫁したのだ。
僕の文章を敢えて誤読したのだ。
実際僕のファンはまったく誤解しなかった。
オタクに媚びまくって生きてきた情けない某漫画家はしっかり「皆の期待に応えて」誤読して、オタクたちの駆け込み寺になっていたようだが。
今更僕が古巣を恨んだところで、何かが変わる訳でもない。
オタクのイメージ失墜が避けられる訳もない。
しかし今は誰かを叩かずにはいられない!
とにかく少しでも自分が善人だと思われたい!正義側(という名の石投げる側)に立っていたい!
過去何度かまとめているが、もう一度まとめ直そう。
京アニ事件の背景には、アニメ業界と「カルト」なオタクどもとの癒着関係があった。
アニメは我々を絶えず満足させるべきだ、そして我々に支配されるべきだ、オタクの「カルト」性はこうして極まった。
その延長上で、ひとりのオタクが凶行に及んだ。
彼らオタクどもの動揺は、そのままこの癒着関係を指摘した僕への猛攻撃に表れた。
さぞ「後ろめたかった」のだろう。
「安倍氏を襲撃した犯人に理を与えるな!」と喚いているのとまったく同じだ。
再度断言しておこう。
犯人の背後・背景にあるものを調査・研究することは、いかなる事件においても極めて重要である。
それが犯人に犯行の理由を与えるのは言わば当然である。その理由をちゃんと知り、社会学的に犯罪を分析することこそが、再発防止の礎になるのだ(僕は「附属池田小事件」の時からじっくり調べてきた)。
ましてやそれが犯人を肯定することになるなど、決してない。
今こそ連綿と続く凶悪犯罪や犯人に対し、ただ目を逸らしその凶悪さをまるで異世界から来たバケモノであるかのように自分たちから切り離し、罵るだけの幼稚な発想はやめよう。
その契機となった今回の暗殺事件の一番の「価値」は、そこにあるのかも知れない。
【7月24日追記】
後日小林よしのり先生から以下のブログが更新されたのを発見した。
本論の補足として引用しておこうと思う。
繰り返すが、「テロに言い訳などない!」というのは、完全なる思考停止状態である。